第33話
「増沢から、ストーカーの事、聞いた」
「!!」
増沢君から・・・?
ストーカーの事を?
「増沢から、お前がストーカー被害受けてることを聞いた」
「あの子! 喋ったの?」
あれだけ口止めしたのに!
一瞬感じた彼に対する憤りを、結斗さんは静かに止めた。
「増沢を責めるな!
奴なりの、お前へと想いだってあったんだ。
それに、もともと奴は、隼人さんに今日話すつもりだったみたいだ。
隼人さん、あれでもお前のお兄さんだろ?
知っていても良い筈だし、事務所に言うとか言わないとかじゃなくて、家族として、知るべきだと判断したんだ」
彼の冷静な言葉に、私は一瞬で、冷静になれた。
世間に高評価を受けていようと、舞台俳優で人気芸能人だろうと、多少抜けていようと、隼人は私の兄。それは事実だった。
その兄に、妹のストーカー被害の事を話すのは、変な事じゃない。
増沢君が、そう思ったのも判る。
「でも、舞台初日はまずかったな。忙しくて話すどころじゃなかったみたいだ。
結局そこを俺が捕まえて無理やり吐かせたんだ」
「・・・そう・・・兄は、まだ知らないのね」
よかった。私はほっと息を吐いた。
舞台中の大変な時期に、私なんかの事で煩わせたくない。
「そのストーカーが送ってきた手紙と写真、見せてくれないか?俺も映ってるって聞いたんだ」
結斗に促され、私は頷くと、棚から、ファイリングしておいたストーカーからの手紙と写真を取り出して、結斗に差し出した。
彼が私の顔を伺うように見たので、私は頷いた。
ストーカーからの手紙、写真・・・その一つ一つを、彼は見ている。
教師姿なんて、この間初めて結斗に見せたので、結斗にとっては見慣れない別人のような私だ。さらに、気持ち悪い手紙も一緒に、結斗に晒されている。さすがにいい気分はしない。
そんな手紙と写真を一通り見た後、結斗は大きくため息をついた。
「で、何で事務所に言わなかったんだよ!」
どこかで誰かに聞いたことのある言葉を、以前聞いた時以上に鋭い口調で私に聞いて来た。
「お兄ちゃんやタレントさん絡みとは限らないでしょ?
現に、結斗が写ってるこの写真だって、結斗だって判断しにくいし、増沢君の写真にしたって、単なる男子高生にしか見えないもの。これを増沢君だって断定出来る人、少ないと思うの。
それに、手紙の中に、貴方や増沢君の名前、一回も出てきていないのよ。
そんな状況で、事務所に迷惑かけたくないもの!
もしも、これが、貴方や増沢君目当てだったら、私なんかほっといてさっさと事務所なりゴシップ好きな週刊誌に売りつけるはずでしょ?その方がよっぽどお金になるわよ。
それをしないで、あえて私の方に送ってくるのは?
暗に、目的は結斗でも増沢君でもなく、私だって言っているようなものでしょ?」
「じゃ、せめて俺に話せよ!
俺だって撮られてるんだぜ! 無関係じゃないだろ!
増沢に話して、俺には話さないつもりだったのかよ!」
「だって!」
「"迷惑かけたくない"」
私の言葉と結斗の言葉が綺麗に重なった。その事実に一瞬驚きながらも、私は一瞬の間の後、言葉をつづけた。
「当たり前でしょ!
ストーカーの目的が私だったら、貴方や事務所に言っても意味ないじゃない!
警察に行けって言われるのがオチ」
「じゃ、どうして警察に行かないんだよ!」
「警察に行ったら、その写真も手紙も全部提出する事になるわ!
そうなったら、事務所にも、結斗にも、デビュー直前の増沢君に迷惑がかかるし、私の素性も全部話すことになる!
私が、隼人の妹だという事も、事務所で以前バイトしていたこともね。
それだけならまだいいけど、写真に写ってる結斗や増沢君の事だって聞かれるわ!
こんな遅い時間に、2人で何やってたんだってね。
・・そんなこと話せるわけないでしょ!
貴方たちの人気に傷がつくわ!」
「でもっ!」
結局堂々巡りだ。
私の、絶対に譲れない一線。『事務所とタレントに迷惑をかけられない・・・』それだけは崩したくない。
「独りで・・・背負うつもりだったのか?」
私の激情とは反対に、結斗は、酷く静かで寂しそうな声で、私にそう聞いた。
「結斗、増沢君みたいな事、言うのね」
この前、増沢君にストーカーの事を話した時も、彼はそう言っていた“一人で背負うつもりなんですか?”と・・・
「増沢のことなんか、この際どうでいい!
俺はお前のこと、聞いてるんだ!」
私は迷うことなく頷いた。
「それが必要ならね!」
私が、芸能人"隼人の妹"になった時から・・・そして、兄の所属事務所でバイトするようになってから・・ずっとそうだった。
私が何か問題行動をおこせば、兄に迷惑がかかる、事務所にも迷惑がかかる。だったら一人で背負う。
それが、兄や、大好きな司さんに対して出来る事。
今までだってそうだったし、これからだって、きっとそうするだろう。
私は大きく深呼吸すると、なるべく彼を安心させるように言った。
「それにね、結斗。
このストーカー・・・多分、目的は私。
写真に結斗や増沢君が写ってるのに、それスルーして、この写真表沙汰にしないで、ただ私の方に手紙送ってくるだけなのよ」
いくら私でも、ストーカーを擁護する程悪趣味じゃない。
でも・・・このストーカーが、例えば金目的とか、一般のゴシック好きな人だったら、私に対するストーカーの手紙なんか送らずに、さっさと結斗や増沢君の写真を表沙汰にするなり、事務所に送って金銭要求するなり、するだろう。
それをせず、私の方に脅迫文を送ってくるという事は、私が目的の可能性が高い。私の"何が"目的かまでは判らないけれど。少なくともこのストーカーは、結斗や増沢君など眼中にない。
ただひたすら、"私"なのだ。
それはそれで気持ち悪い。でも、最悪、私が事務所や警察に行かなければ、事務所や結斗、兄達に危害が及ばないだろう。
「・・・花奏。
お前、いついからそんな自意識過剰になったんだよ?」
「自意識・・過剰?」
そんなつもりはない。私なりに冷静に考えた結果だった。けど、結斗は嘲るように笑った。
「ストーカーなんかを信じられるのか?
それとも・・そんな卑怯者相手でも、マジで愛されたいって思うほど、お前愛情に飢えてんのか?
そんな愛情に飢えてんなら、俺が満たしてや・・・」
バチン!・・・・
気づいた時には、遅かった。
目の前には、片方の頬を真っ赤にした結斗が、見たこともない程驚いた顔をして、頬を手でおさえ、驚いた顔をして私を見つめた。
私は、結斗の頬を、思い切りひっぱたいていた。
やっちゃった・・・はっと我に返ったとき、そう思った。
でも、いくら結斗でも言われたくない一言だった。
「あなたもストーカーも紙一重でしょう!
無理やり私のこと、性欲処理に使ったくせに!!
直接触れてこないだけストーカーの方がまだマシよ!
この間、この部屋で結斗にされた事。結斗は私のことを好きで・・・ってさっき言ってたけれど。
そんな優しい言葉も何もなく、無理やり身体を拓かされた私の気持ちなんか、考えてないじゃない!
そんなの、ストーカーと一緒じゃない。無理やり行為に走るか、無断で写真を撮って送りつけるかの差があるだけで、私にとっては迷惑好意には変わらない!」
痛い言葉を言われたせいか、結斗の表情が再び、悲しい色に変わった。
「・・今更。誰かに愛されたいなんて思えないよ」
切り捨てるように、私は言った。
そう・・・今更、そんなこと望まない。まっぴらだ!
「そんなもの、信用できないよ!」
「・・・花奏・・・・?」
そう、信用できない。
愛されて、まかり間違って私もその人の事好きになって、信じ切ってしまったとしても。
私の素性を話したら、その"愛情"とやらは打算に変わる。
"だって、花奏と友達でいたら、お兄さん通じて芸能人に会えるかもしれないじゃん!"
"花奏なんて二の次! 芸能人の妹と友達、なんて絶対ありえないでしょ?"
"花奏のお兄さんって、司とコンビ組んでるんだもんねー! 花奏と仲良くしておけば、ひょっとしたら司に会えるかもだよね!"
"ポラリスって、かっこいいアイドルやモデル、一杯いる事務所だもんね。もしかしたら●○とも会えるかもねー"
"本気なわけないだろ?
確かに顔はいいよなぁ。スタイルもいいし、だから。最初は遊びだったし、身体目当てだったぜ。でも、疑いもせずに俺のものになったから、最近ちょっと飽きてきた"
"え? 別れねぇよ?"
だって花奏って、あの新堂隼人の妹だぜ? で、花奏だって、今、ポラリスプロダクションでバイトしてるんだぜ!
上手くいけば、ポラリスのモデルとかともお付き合いできるかも知んねーじゃん。"
兄が事務所に研究生として入ってから20年以上。愛情、友情、好意っていう名前を嘘を、私は小さいころから何度も目の当たりしてきたの!
今更、そんなもの、信用できない!
「信じられるわけ、ないじゃない!」
自分でも、はっきりと判っていた。
「事務所関係者、隼人の妹、ってだけで目の色変えて近づいてくる連中、ずっと相手にしてたのよ!
そのおこぼれに預かろう、っていうのが見え透いている人しか側にいなかった。
そのおこぼれさえ、周囲の期待外れだってわかった途端、手のひら返して友人関係返上されるわ。
恋人だって同じ!
司さん以外、やっと好きになれた人もっ!
私が隼人の妹で事務所でバイトしているって話した途端、彼の目的は私から事務所のタレントに変わったわ!
人の正体なんて所詮そんなものなの!」
理性とは裏腹に、感情が、どんどん暴走していく。
「そんな人、好きになれるわけないよ!
だって誰も、私の事なんか見てないもん!
誰も、私の事なんか好きじゃないもの!」
暴走しているのが判るのに、自分でもそれが止められず、
「だから私はもう誰も好きになんかならない!
恋愛なんかしたくない!
隼人の妹で事務所関係者だって知っただけで目の色変えるような人に、本性晒して向き合っても、傷つくのは私だけだもの!
そう言う人に限って、私の事なんか何も見ていない!何も理解しようとしない!
どれだけ他人に理解を求めたって、理解できる訳ないもの!」
私はただ、感情を暴走し、吐き出し続けた。
「貴方達だってそうでしょ!
所詮あなたにとって私は、隼人の・・・尊敬する先輩の妹でしょ?
元事務所関係者で、多少の融通を聞いてくれる便利で都合のいい存在なんでしょう?
私はっ
そんな都合のいい存在じゃないし、そうなりたくいない!
でも、周りはそうは見てくれないの!
結局、私は演じ続けるしかないの!!
物分かりのいい、“隼人の妹”をっ!」
今まで、必死で取り繕い続けていた、“物分かりの良い隼人の妹”の仮面が、壊れる音がした。
「・・か・・なで・・・」
突然暴走した私に対して、結斗は驚いた顔をしたまま、ただ凍り付いていた。
無理もない。こんな私の姿、結斗は見たことがない筈だ。
結斗の前では、ずっと、私は"隼人の妹"であり、"事務所の元バイト"として振る舞っていたんだから。
物分かりの良い、理解のある"隼人の妹"の仮面をかぶり続けて事務所にいたんだから!
兄が大好きだったから、司さんが大好きだから!
兄や司さんに、事務所に迷惑がかからないように、嫌われないように、煙たがられないように。物分かりの良い、事務所に都合の良い存在で居続けたんだから!
それに、結斗との関係には、"幼馴染"も混ざっているけれど、それだって始まりは、"隼人の妹"としての私だったんだから!
「みんな・・・私の事、
芸能人との接点、とか、隼人の妹位にしか見ていないんだから!」
感情の暴走が終わったとき。
取り繕い続けていた"隼人の妹"の仮面は、すでに剥がれ落ちていた。
そんな姿を目の当たりにした結斗は、驚きを隠せない顔をして固まっていた。
きっと、今まで彼自身、見たこともない、醜くゆがんだ姿だったにちがいない。
私だって、こんな風に感情を暴走させたことなどなかった。
そんな事をすれば、事務所にも兄にも迷惑がかかるし、周囲に訴えてもどうにもならない事だし、理解など出来ないだろう。
伝わらないガラクタのような言葉を吐き出す事を諦めたのは、もうずいぶん昔だ。
固まっている結斗は、それでも何か、私にかける言葉を探しているようだった。
感情の嵐が終わった後、重たく静まり返った部屋は、居心地が悪い。そんな中でも、かける言葉を探している結斗が、酷く滑稽に見え
た。
「・・・帰って・・・くれる?
もう、私、貴方に話すことなんかない
こんな姿、結斗達に見られたくない」
感情を叩き付けた後の私に、さらに感情を暴走させる力はなく、ただ、無気力にそう呟き、私は力尽きるようにソファの肘掛けに顔を伏せた。
もう、泣く力さえ、残っていない。
"隼人の妹""事務所関係者"、そんな肩書の重荷とそこから湧き続ける膿を部屋中にぶちまけた後は。
ただ、空っぽで無様な抜け殻だけが残った。
抜け殻になった私には、もう泣く力も、結斗にどなりつける力もないし、研究生にとっての"優しい姉御"なんかでもないし、兄にとっての"都合のよい妹"でもない。
ただの、人の形をした抜け殻だった。
泣くでもない、話すでもない、ただソファの肘掛けに顔を伏せて・・・寒くもないのにだんだん身体が震えてきた。
(もう嫌だ・・・死にたい・・・)
結斗にあんなに感情を吐き出したって何も解決しないし、しょうがない事なのに。
結斗にとってだって、私なんか所詮、"都合のよい存在"でしかなくて、こんな風に泣き叫ぶ私は、結斗にとって、"俺が知っている花奏とは違う"、都合の悪い存在なのだろう。
結斗が子供の頃からずっと私の側にいたのは、私が"隼人の妹"で、事務所でバイトしている、都合のよい存在だったから。
でも、その都合の良ささえ崩れれば、
結斗にとっての私は、切り捨てても構わない、無用の長物になりさがる・・・
「か・・・な・・で・・・」
「帰って!」
何か言おうとする結斗に、私はそう怒鳴りつけたけど、もう声さえ、まともではなかった。喉ががらがらで、しゃがれた涙声だった。
早く結斗、帰って! 帰って! 出て行って!
貴方も、兄も、事務所のタレント誰一人、顔も見たくない!
そう叫んでいたつもりだったけれど、それさえ私の身体の外には出なかった。
「花奏」
帰って、帰って! 帰って!!
帰って!!! 帰って!!!!
私の叫びは声にはならず、ただ荒い息にしかならなかった。
もう嫌っ! 嫌っ! 辞めて!
もう、私の事なんかそっとしておいて!
ただ、私は、私として。
静かに生きてゆきたいだけなの!
心の中で、そう叫んだ。
でも、無様な抜け殻に成り下がった私の声は、ただの荒い息にしかならず、その息さえも、言葉を発するたびに息苦しさを増していった。
「花奏っ!・・・花奏っ! 大丈夫か?」
背中にそっと触れた、結斗の手を、私は身体を起こして渾身の力を込めて振り払った。
「やっ! 触んないでっ!
どうせ結斗にとっての私も、・・・ただの都合のいい存在なんでしょ!
都合よく性欲処理して、都合よく自分の為に動く、出来の良いお人形なんでしょ!」
必死になって叫んだ言葉が、ちゃんとした言葉になっていたのか、結斗に聞こえていたかさえも、もう意識自覚できない。
力いっぱい、結斗の腕を振り払ったけれど、結斗の腕は、そんな私の抵抗など全く意に介さず、両腕をつかみ、そのまま自分の方に引き寄せた。
次の瞬間、私は結斗に抱きしめられていた。
「・・・っひっ!」
結斗の、私のとは違う、でも覚えのある体温に、嫌悪感が体中に走った。あの、無理やり身体を拓かされた、悪夢の夜が脳裏をよぎった
「落ち着けっ!」
「いやっ! やだ、辞めてよっ!!
どうせまた都合よく扱うだけしょ!」
結斗に抱きしめられているのか、押さえつけられているのか、もう判らなかった。
結斗の腕の中でさらにその腕を振りほどくべく暴れたけれど、結斗の腕は、私の力で振りほどけるほど軟ではなかった。
いくら暴れでも、結斗の腕を引っ掻いても爪を立てても叩いても。
どんな攻撃を結斗の腕に、身体に仕掛けても、結斗はビクともしなかった。
ただ、結斗の腕に抱きしめられたままパニックを起こし、暴れまわる私をしっかりと抱きしめ続けていた。
結斗の手の甲や首筋や、顔にさえ、ひっかき傷や痣を残しながら・・・
「な・・・ん・・・で・・・?」
抵抗する力さえ使い果たし、抜け殻になった私は、やがて力尽き。
「何で誰も・・・あたしをほっといてくれないの・・・」
言葉にならない言葉が、抜け殻から零れ落ちた。
「大嫌い・・・みんな・・・」
ストーカーは勿論、兄も結斗も、事務所も・・・
私から大好きだった兄を私から遠ざけた芸能界も。
勝手に私の事を都合のよい存在として扱った結斗達も。
おこぼれを期待して集まってきた自称友達も・・・
どうして、私の事を、
ただの"新堂花奏"として見てくれないのよ・・・
どうして、そっとしておいてくれないのよ・・・
そしてそのまま、息苦しさも手伝って、意識は遠くなっていった。




