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第28章

(増沢視点)


「そんな心配そうな顔、しないで。かっこいい顔が台無しよ」


終演後、姉御はそう言って、席を立ち、行ってしまった。


「姉御っ!」


慌てて引き止めたけど、姉御はもう、他の事務員に挨拶して回っていた。本当に、隼人さんには会わずに帰る気でいる。


俺は、この後、一緒に来た研究生仲間と楽屋に挨拶に行くので、帰ろうとする姉御と一緒に行くことは出来ない。


こういう時、事務所に縛られている俺と、比較的自由に動ける姉御の決定的な差を思い知る。


事務所に所属する研究生として、事務所の大先輩の隼人さんに挨拶するべく楽屋に行くのは当然な事。俺はそう思っているし、姉御が事務所にいた頃に、姉御から教わったことだった。


 もちろん、あの姉御が口に出してそう言っていたわけではない。でも、自分たちを支えてくれている人がいて、ちゃんとした上下関係が成立している世界。支えてくれている人あっての俺たちだって事。そういった、支えてくれる人に対する感謝を忘れてはいけない。

 それと、目上の人には礼節を尽くす事・・・


姉御の背中は、いつもそれを俺たち研究生に伝えていた。


姉御自身、“隼人の妹”という切り札を出せば、かなりの融通や我儘の利く立場だ。でも、それを潔しとはしない。


ただ、そんな肩書きのない、ただの事務所の1スタッフとして、研究生に対して平等に接してくれた。


そういう、自分に対しても他人に対しても、潔いほどの厳しさと、それと同じ位の愛情と良識を持って接してくれる人だからこそ、俺も、姉御のことが好きになったんだ。


もちろん、歳が一回り近く違う、しかも年下の俺の事を、姉御が本気で相手にしてくれるとは思っていない。


 それに、姉御が司さんの事を好きだって事は研究生の間では周知の事実だ。知らないのは司さん本人位だろう。


 ・・・もしかしたら、司さんだって気づいているかもしれない。でも、姉御は、自分の意思で告白をしない。一歩引いて、ただ、司さんを見つめている。姉御と司さんとの恋愛は、そのまま司さんの人気に影響する、自分の存在が司さんの仕事の重荷になる事・・・姉御はそのことを一番恐れている。


「そこまで気にすることかよ・・…」


姉御も一度、当たって砕けてみればいいのに、そう思いもした。でも、当たって砕けるのが自分だけならまだいい。万が一、ことが公になれば、心ない一部の人は、“隼人の妹が、その立場を利用して司さんに、付き合う様に強要した”なんて事になりかねない。


それ位、事務所内外問わず、隼人さんの人気と存在感は大きいのだ。


姉御も考えすぎだと思うけど、それさえも、姉御らしいと思う。


でも・・・世話になった一研究生として。今苦しんでる姉御の為に俺が出来ることをしてあげたい。


それが、姉御に対する恩返しであり、世話になった姉御に対する礼儀だと思った。


姉御が、ストーカーや、所属タレントのスキャンダルとか人気や影響を気にして動けないなら、代わりに俺が動く。


俺は、決心した。




楽屋で、隼人さんや、知り合いの共演者の方々に挨拶して、一緒に舞台を観にきてた研究生達と別れると、俺は、もう一度隼人さんの楽屋に戻った。


隼人さんの楽屋には、彼以外誰もいなかった。さっきはスタッフやマネージャーの千秋さんもいたけど、今は彼一人、寛いでいるようだった。


「増沢、どうした?」


俺は、この楽屋に顔を出して、真っ先に 楽屋に隼人さんに挨拶した。その俺がこうしてまた隼人さんの楽屋に戻って来たからか、不思議そうな顔をして俺を見ている。


「隼人さんに、話しておきたいことがあるんです。

その・・・姉御・・・いえ、花奏さんの事で」


『花奏さん』


姉御の事をそう呼んだせいか、隼人さんの表情が見たこともない色に変わった。それは、芸能人、新堂隼人、ではなく、花奏の兄、としての顔だった。


「何があったんだ?」


 簡潔に、聞いてきた。でも、その言葉の重みを、俺は重々理解しているつもりだった。


 周りに迷惑をかけるのを極端に嫌がる姉御の事だ。今回のストーカーの事に限らず、ちょっとしたことでも、隼人さんや事務所の誰かに頼ることはないだろうし、自らに危機が迫ったとしても、事務所にSOSを出すことだけは、しないだろう。・・・事務所や所属タレントに余計な迷惑をかけることを恐れて・・・


 俺は、ごくりとつばを飲み込んで、深呼吸した。そして、あの日、姉御から聞いた話を、隼人さんに話そうとした。


ところがその時。控え室のドアが勢いよく開き、スタッフが入ってきた。


「隼人さん!まだこんな所にいたんですか?これからミーティングですよ!すぐに来てください!」


まくしたてるように隼人さんにそう言った。と同時に隼人さんは“ヤバい!”と言って立ち上がった。


「悪い、増沢!今聞いてられない。次の機会に必ず聞くから!」


「えっ?隼人さん?」


突然の事に、俺は話しかけたことを飲み込んだ。


「でもっ!姉御が!」


ストーカー被害受けてるんですよ!


泣いていたんですよ!


再び出かかった言葉を打ち消すように、隼人さんは軽く笑った。


「花奏なら心配ない。俺よりずっとしっかりしてる。何か問題が起きても自分で解決出来る位、強い女だ」


俺にそう言い残すと、隼人さんは“じゃあな!”と言って足早に控え室を出て行った。


その後ろ姿を見送りながら、俺は大きく溜息をついた。


今の隼人さんにとって、花奏さんの事よりも舞台の事が大切なのは十分判っているつもりだ。でも、成人しているとはいえ、たった一人の妹に対する兄の態度があれじゃ、花奏さんが、少し可哀想だ。


(隼人さんは、花奏さんのことパシリにする癖に・・・)


俺は、事務所の社長に相談してみようと思って、控え室を出た。確か社長も、さっきこの楽屋に居たはずだった。


その時だった。


「増沢!」


 突然名前を呼ばれて、俺は息をのんだ。


 声の方に振り返ると、廊下の壁に、結斗さんが寄りかかっていた。


「結斗さん!」


どうしてここに? 確かに結斗さんは今日舞台を見に来ていた。さっきみんなで楽屋に顔を出した時、一緒にここに来たけど、てっきりもう帰ったかと思っていた。


 そういえば、今日、姉御は一度も、結斗さんと話していないような気がする。いつもは挨拶位するし、話だってするのに・・・あからさまに避けているような気がした、今思い起こすと妙だ。


「どういう事だ?」


低い声で、そう聞いてきた。その表情は、いつもの俺様な雰囲気に、かすかな怒りともイラつきとも取れる空気を纏っていた。


「何かあったのか?」


結斗さんは、俺に近づいてきた。その纏う空気が怖くて、俺は無意識に結斗さんから距離を置くように後ずさった。


でも、楽屋から出た俺の背中は壁で、必然的に、俺は結斗さんに壁に追い詰められた。


「・・・なんでもないです・・・!」


“誰にも言わないで” 。姉御にそう言われていた。隼人さんに伝えようとしたのは、隼人さんが姉御のお兄さんだからだ。結斗さんにストーカーの事を伝える訳にはいかない。


「失礼します」


そう言って、結斗さんから逃げようとした俺の腕を、結斗さんには掴むと、そのまま壁に押し付けた。


「っひっ!」


いわゆる壁ドン、って奴だ。男が男に壁ドン、なんて、他の人に見られたら絶対誤解されると思ったけど、廊下には誰もいなかった。


 男が女に壁ドンをしたら、それはそれで映画やドラマではドキっとするシーンだが、男が男にこうして壁に押し付けられると、脅しかカツアゲしか想像できない。


「花奏に何かあったのか?」


低い、自分の中の恐怖に直接ひびくような声でそう言われ、鳥肌が立った。


その結斗さんの表情に、纏う恐怖に、俺は太刀打ち出来なかった。


(姉御、ごめんなさい・・・)


 自分が情けなくなった。事務所の先輩とはいえ、結斗さんの脅しに屈して、姉御との約束を破るのだから。


心の中で、ここにはいない姉御に謝罪した。


 でも、結斗さんだって無関係ではないのだから、話しても平気だろうとも思った。そもそも、結斗さんにも一因がないわけではないのだし。


 俺は、もう一度、大きく深呼吸して、壁に俺を押し付けている結斗さんの顔を見上げた。


「ちゃんと話すんで、手、放してください。それと、他人に聞かれたらヤバい内容なんで、場所、変えませんか?」


 俺の言葉に、結斗さんは一瞬考えて、"判った"と言って、俺を自由にしてくれた。


「千秋ちゃんに車のキー借りてくるから、そこで待ってろ!」


 千秋ちゃん、とは、隼人さんと司さんのマネージャーだ。俺は去ってゆく結斗さんの背中に無言で頷いた。


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