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第27話

 やがて開演前になり、私は草野先生と別れて、一階の関係者席へと向かった。




 "隼人の妹"として事務所を訪れるときの私とは違う、教師姿の私を見て、みんな、誰だか判らなかったみたいだった。席に座ろうとしたとき、周囲がにわかにざわついた。


けれど、


「花奏!?ひさしぶりじゃない!」


私の教師姿を知っている・・・この姿を私にくれた茉莉花さんだけが真っ先に私に気づいてくれた。


すると、他の人たちも次々に私が花奏だと気付き、


「えっ? 花奏さんなの?」


「うっそ! 誰だかわからなかったよ!」


「そうそう、こんな人、いたっけ? って、たった今話してたのよ!」



 口ぐちにそう言う事務所スタッフに苦笑いで応えてながら、関係者席を見渡した。少し離れた所には、両親や事務所関係者や偉い人たちもいて、私は暫く挨拶に奔走した。


やがて、その挨拶がひと段落ついた時、ふと、関係者席の一角に、結斗と"Colors"のメンバーが座っていた。結斗はメンバーと話していたけれど、私の存在に気づいているみたいで、一瞬、こちらを見た。


 その視線が怖くて、私は気づかないふりをしていると、その視線を遮るように、茉莉香さんが近づいてきた。


「花奏!その姿、ずいぶん似合ってるわね!」


「茉莉花さんのおかげです」


 モデル兼女優の茉莉香さんは、兄の恋人で、芸能人の友達の中でも、一番仲良しで、一番付き合いが長い。


 茉莉香さんは、現役モデルらしい最近流行りのブランドの服で統一している。一応変装しているみたいだけれど、それでも周囲にばれているようで、近くにいる人が、茉莉香さんを見ては、ひそひそと話をしているのが聞こえる。


 本人はそんなこと全く気にする様子はなく、私の姿を見て、うれしそうにはしゃいでいる。そして、そっと耳打ちした。


「前に教えた変装術、しっかり自分のものにしてるじゃない!

その格好も素敵よ」


 そう・・・一番最初に、私に変装術を教えてくれたのは、ここにいる茉莉香さんと、兄たちのマネージャーの千秋さんだった。大学時代、恋人の事や兄たちの事で傷つき、自殺しかけた私に、もう一つの姿と顔をくれたのだ。


 勿論、2人から教えてもらった変装術は、あれから随分使い方を分けられるようになって、今は、教師姿とプライベート姿、といった様に分けるようになっている。教師をするときは、自然な色とメークで、兄とよく似た顔のパーツの特徴を穏やかにして、それで不自然さを出さないようにしている。そうしないと、兄そっくりな顔立ちが際立ってしまうのだ。


 茉莉香さんのすぐ近くには、母がいた。大学入学と同時に家を出てしまったので、正月と夏休み以外は、こういう機会がないと家族と会う機会なんかない。


 母は元気そうだけど、やはり歳のせいか、以前よりもずっと老けたように見えた。


「元気にしてる? 就職してから、全然実家に帰ってこないから、どうしているかと思ったわよ」


「うん。大丈夫だよ」


「隼人は、よくテレビにも出ているし、元気なんだな、って判るんだけどねぇ・・・さっき、増沢君に貴方の事聞いていたのよ。自分の娘の事なのに、他人に聞かなきゃわからないなんてねぇ…」


 そんな、心配に愚痴が混ざった言葉を受け流しながら、私は席に座った。私の席は、茉莉香さんの隣で、もう片方の隣は・・・


「姉御!」


 聞き覚えのある呼び名と声が聞こえた。そこには、私服姿の増沢君がいた。


「増沢君!」


「こんばんは。姉御」


 私の席は、茉莉香さんの席と増沢君の間の席だった。母は、増沢君の隣を陣取って、増沢君はたった今まで母の相手をしていたようだった。増沢君が大のお気に入りの母は、私のいない間は随分盛り上がっていたようだ。


「本当はさっき、ロビーで見かけたんですけど、他の男性と一緒だったから、声掛けにくくて・・・」


 さっき、私が草野先生と話している時の事だ。


「うん、うちの学校の先生。この舞台、興味があったんだって、人気あるから、やっとチケット取れたって言ってたよ?」


 そう言いながら、草野先生と話していた時の微かな違和感が脳裏をよぎった。


「ふーん・・・その人、どこの席ですか? 近くですか?」


「ううん、二階席のあっちの方」


 草野先生のチケットの席番号を思い出して、そっちの方にそっと目くばせした。


 すると、私達の後ろに座っていた事務所の人が、怪訝そうな顔をした。


「え?あっちの席?」


「はい・・・何かあるんですか?」


「あの辺の席は、当日券ですよ」


「え?」


 兄たちの舞台は、その九割以上が前売りだ。けれど、一割弱、当日券も販売している。事前キャンセルになったチケットや、二階席の舞台が見えにくい場所がそれに充てられる。前売り券と比べたら、あまり良い席はない。


「じゃ、草野先生は、前売り券で入った、って事?」


「そう言うことになりますね」


 事務員さんははっきりとそう言った。


「よっぽどこの舞台、見たかったのねー」


「そうですね。聞いた話だと、今日の当日券、すごい少なかったみたいですよ」


 事務員さんの横に座る茉莉香さんがしみじみとそう言い、事務員さんがそれに同調するように頷きながら答えた。

 

 けれど、私は、さっき草野先生と話していた時に感じた違和感が再び膨れ上がっていた。


"チケットとるのも大変だったんですよ"


 さっき、草野先生はそう言っていた。あれは、当日券を買った時の言葉だったんだ・・・


 当日券で入ることは別に悪い事でもない。むしろ、そういった人だって珍しくはない・・・ただ、前売り以上に競争率が高いのは確かだ。


 事実、今日は舞台初日。どの舞台も初日と千秋楽は前売りだってチケットの競争率は高くて、入手困難なはずだ。当日券だってそうたくさん出ていない筈・・・あってせいぜい数枚の筈だ。


 草野先生も、今日は午前中、学校にいた。あの午前中の業務が終わってから、劇場に直行して、当日チケットを買った、という事?


 でも、私は、あの時、草野先生に、お昼ご飯に誘われていた。・・・一緒にご飯など食べていたら、当日チケットなど手に入らないだろう。


 草野さんと話したときの、微かな違和感も手伝って、妙な感じだ。


「・・・姉御? どうしたの?」


 突然黙り込み、考え込んだ私の顔を覗き込み、増沢君が心配そうに声をかけてくれた。


「え?ううん、何でもないよ?」


 そうは言ってみたけれど、草野さんと話したときの違和感からは、腑に落ちない何かが芽生え始めていた。


「姉御?」


返事をしない私に、増沢君は気遣うように言った。


「・・・やっぱり、例のストーカーの事、事務所と警察に相談した方が良くないですか?」


 彼は、声を潜めていた。


彼には以前、ストーカーの事を話していた。あの時も、彼は警察と事務所に相談する事を勧めてくれた。でも、私は首を横に振った。


「事務所に、余計な迷惑かけるわけにはいかないでしょ?」


「でもっ!」


 さっきよりも少し大きな声でそう言う増沢君に、私はしぃ、と指先を彼の口許にあてた。


「結斗や増沢君のことを考えたら、事務所に相談するのが一番だよね」


そんなこと、私だって判ってる。でも、ストーカーの目的が私っぽいのに、私のことで事務所に迷惑をかけたくない。


「大丈夫だから。心配しないで。最近の手紙で・・・目的が増沢君達じゃなくて、私だって・・・判ったから。

事務所の手を煩わせる理由、無くなったわよ」


 なるべく笑顔で、そう言った。彼を少しでも安心させたかった。


 今、きっと、増沢君が、一番私の事を心配して、気遣ってくれているのが判るから。


 判るからこそ・・・デビュー直前の彼のお荷物にはなりたくない。


 増沢君は、私の笑顔をどう解釈したのか、軽くため息をつき、さらに何かを言おうとしたけれど。


 それと同時に、開演を知らせるブザーが鳴り、この話はうやむやになった。




兄の舞台は、お世辞抜きで面白かった。


 笑いあり、恋愛あり、ダンスや歌もありと盛りだくさんで、観客の人たちもみんな、兄の舞台に釘づけになっていた。


 あっという間に舞台は終わり、私は大きく息をついた。


 関係者席のタレントさん達は、一般のファンの人が出るのを待ってから会場を出ることが多い。その方が騒がれにくいからだ。それに、母も茉莉香さんも増沢君も、このまま楽屋に顔を出す人たちみたいだった。


「花奏は? 行かないの?」


「そうよ。隼人、きっと貴方に会いたがるわよ」


 茉莉香さんと母が交互にそう言っていたけれど、私はそれをやんわりと断った。


「ごめんなさい、この後、人と会う約束してるの」


 草野さんがロビーで待っている、と言っていた。あまり待たせるわけにはいかない。


「姉御・・・」


 何か言いたげに私を見つめる増沢君の頭を、私はポンポン、と撫でた。


「そんなに心配そうな顔、しないで?

かっこいい顔が台無しよ?」


「姉御っ!」

 

 顔を真っ赤にしてそう言う増沢君に軽く手を振り、他の事務所の人たちにも軽く挨拶し、私はロビーへと出た。




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