第23話
あの、増沢君と話をした数日後。
いつものように帰ってくると、ポストから、白い封筒がはみ出していた。
見た途端、背中に冷たい汗が流れた。
ここ何日かおきに届いてくる白い封筒。
相変わらず、住所も切手も貼っていなくて、私の名前が書いてあるだけ。
他の郵便物と一緒にそれをポストから出して、部屋に入った。
部屋に入ると、靴を脱ぐのももどかしく部屋に入り、恐怖で震える手でその封筒を開けた。
封筒の中には、いつものように、パソコンで書かれた無機質な文字が羅列された紙が二枚、入っていた。
そこまでは、いつもと一緒だった。
一枚には、いつもの手紙。
『愛しい花奏。
君が年下趣味でアイドル好きだとは思わなかったよ。
あんなガキ、あなたには相応しくないよ。
君の涙は、俺だけに見せてくれればいいんだよ。
あんなガキに、君の涙は似合わない。
すぐに別れな。
そうしないと、この写真、学校やPTAにバラしちゃうよ。
君は僕だけの君でいればいいだよ。
僕はいつも君の側にいる。
待ってて。すぐに会いに行くから・・・』
怖い・・・
気がつくと身体中に鳥肌が立っていた。
誰もいない筈の部屋なのに、誰かがいるような気がする。
見られている気がする。
「いや・・・いやーーーーーーっ!!」
慌てて部屋のカーテンを閉めて、ドアにキーチェーンをかけた。
おぼつかなくテーブルの身体をひどく打ち付けた。と同時に、テーブルから、封筒に入っていた写真がばさっと落ちた。
写真には、本屋でアイドル雑誌を抱えている私、増沢君と一緒にカフェで向かい合っている写真、泣き出した私の頭を撫でてくれている彼・・マンションの前で向かい合って話している写真・・・
そして・・・彼が私の頬にキスした、あの一瞬の写真まで・・・
しかもどれも、私と彼、ハッキリと顔が認識できるほど、鮮明なものだった。
「ひっ!!」
それを見た途端。このストーカーに、今までにはなく戦慄を感じた。
それは、私に対するこの変質者のような行為云々ではなく、私と一緒にいる増沢君の正体を知っていて、それで写真を撮っているのでは・・・という事・・・恐怖、なんて生易しいものじゃない。
『年下』
『アイドル』
『バラしちゃうよ』
その3つのキーワードは、私から冷静さを奪い、恐怖に突き落とすには十分過ぎた。
私と増沢君が一緒の所、しかもこんなキスシーンがもしも表沙汰にされてしまったら、もうすぐデビューする彼の人気に傷がつく。
それは避けなきゃ!
増沢君は、守らなきゃ!何があっても!
私は、彼の努力を知っているから・・・
研究生の頃から、彼がどれだけ努力して、デビューまでたどり着いたか・・・
だからっ!
無意識に携帯を取り出して、覚えのある名前を呼び出す。
ポラリスの事務所社長。何度となく顔を合わせている、子供の頃から良くしてくれている人。
"何かあったら直接でいいから、電話してください"
私が、"隼人の妹"というだけの理由で様々な嫌がらせを受けたとき、社長が教えてくれた、社長の携帯に直接繋がる携帯番号・・・
今まで、自分の事で使ったことなど一度だってない。
でも今回は・・・・今回だけは・・・
通話ボタンを押せば、出てきた社長にストーカーの事を話せば、増沢君の事だけは助けてもらえるはず!
大きく深呼吸して、そのボタンに指をあてた。
押してしまえばいい。押してしまえば・・・・
でも・・・
「みんなに・・迷惑がかかるよ・・・」
バイト時代から、自分に言い聞かせていた言葉が、心にブレーキをかけた。
"事務所や、研究生や所属タレントさんの迷惑になるような行為は、絶対にしない。"
"自分の立場をわきまえて。隼人の妹だからといって、迷惑行為をしていいわけではない!"
(・・・・・・・)
結局私は。
その通話ボタンをおさないまま、携帯をソファに投げた。
恐怖はまだ残っている。
でも。
「事務所の迷惑になること、やっちゃダメだ!」
ソファに膝を抱えて座り込み、自分に言い聞かせた。
言い聞かせながら、何度も、何度も深呼吸して、心を落ち着けた。
「ストーカーの標的は私・・・事務所を巻き込めないよ・・・」
どのくらいそうしていたんだろう?
やがて、やっと、体の震えが収まった。
声が出ないくらい、喉の奥が渇いているのに気づいて、立ち上がり、ふらふらと台所へ行こうとした。
その時。テーブルの下に落ちている、もう一枚の白い紙に気づいた。
あのストーカーからの封筒に入っていた手紙の続きだという事は、見なくても判る。
その手紙には。
紙一面に。パソコンの文字で。
「花奏 愛している」
と、隙間なくびっしりと書かれてあった。
「標的、本当に私だ・・・」
その異常行動の標的が、アイドルやタレント目当て、という雰囲気ではない。それに、芸能人の近くにいた私に対する逆恨みとか、そんな可愛らしいものじゃない。
手紙の、そして、手紙そのものが持つ独特な空気・・・
それを感じた途端。
恐怖と、訳のわからない感覚で、
体が動かなくなった。
ストーカーに遭おうと、写真を撮られようと。
私は私でいなくちゃいけない。
「新堂花奏」という一人の人間であることには、変わらない。
どんな形容詞がつこうと。結局はそこにたどり着く。
そして、今の私についている肩書は。
「高校教師」
この肩書きを持っている以上。休んでしまったら、生徒たちに迷惑がかかる。
その穴埋めをする同僚や先生方にも迷惑がかかる。
だから・・・こんなことの為に、仕事や学校を休むわけにはいかない。
誰にも迷惑なんかかけられない。
いつも通りの生活をするしか、術はなかった。
夕べ、いつ寝たのかさえ、覚えていない。
着替えもせず、メークもそのままで、震えるからだを抱きしめながら、ソファに座り込んで、そのまま眠ってしまった。
疲れ切った身体を無理やりシャワーでリフレッシュさせて、食欲のない胃袋に無理やり食べ物を押し込んだ。
疲れた顔は、メークでごまかし、目の下のクマで黒っぽくなった目もとは、メガネの種類を少し変えてごまかした。
ストーカーに遭おうと、写真を撮られようと。
それで引きこもれない。下がることはできない。
学校も、"隼人の妹"としての私の予定も・・・
ところが、あの日以来、ストーカーからの封筒は届いてこなかった。
私も、仕事が終わるとなるべく早く帰り、他の職員との飲み会も断りがちになった。
「最近、新堂先生付き合い悪いよ!」
親友の野間先生が、文句とも心配とも取れる顔でそう言う。その言葉に申し訳なく思いながらも、私は早めに帰宅して、家の中で過ごしていた。
職員室で、いつも見ている司さんの報道番組も、ろくに見れなくなった。テレビ越しとはいえ、司さんを見ることが出来る唯一の機会さえも、あのストーカーの事を考えると、司さんに集中できなくなっていた。
土日も、正直出かけたくなかった。
でも、平日、最低限の買い物をすることさえ怖く、"隼人の妹"。事務所に顔を出す時の姿を念入りに仕上げて買い物に行くようにした。
ストーカーからの写真は、"教師姿"の私の写真しかなかったので、"隼人の妹"の姿でいけば、写真は撮られないと思ったからだ。
そんな生活に呆れた。
本当は、"隼人の妹"でいるのが嫌で作り始めた、もう一つの"教師姿"の筈なのに。ストーカー被害から逃れるために、普通に見て目立つ方の"隼人の妹"の姿で外を歩くなんて、考えもしなかった。
でも、二つの姿を持っていてむしろラッキーだったし、助かった。
"隼人の妹"の姿をすると、ストーカーとは違う意味で周囲の目を引いてしまうけれど、それは仕方ないことだ。
いずれにしても、ストーカーからの手紙がなくなったのは、そのせいかもしれない。
教師姿で出歩く頻度を少なくして、休日出かけるときは、念入りに"隼人の妹"姿で出かける。
でも・・・無くなったのは手紙だけで。
相変わらず、教師姿でいると、視線を感じた。
地下鉄に乗る瞬間、地下鉄の車両の中。
地下鉄を降りた駅、駅からマンションまでの道すがら。
買い物で寄るスーパー・・・
おおよそ、学校内以外のいたるところで、視線を感じた。
それでも、増沢君と一緒の所を撮られて以来、あの白い封筒が届かなくなったせいか、以前よりも落ち着いていた。
そしてそれは、私にとって、文字通り、つかの間の休息だった・・・・・




