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第21話

「ストーカー?」


 私は、ここ数日のストーカーの事を、増沢君に話した。


 変な手紙と写真が届いた事。それから視線を感じる事。


 手紙と一緒に送られてきた写真には、その時偶然居合わせた、酔っ払った結斗も映っていた事・・・


 さすがに、あの晩の結斗との事は話せなかった。でも、マンションの前で偶然会った、程度だったら話しても差し支えないだろう。


「それ、事務所と警察に言った方がいいですよ!絶対に!」


 増沢君はそう力説した。そう。事務所と警察に届け出るのが、正解なのだろう。事務所は結斗を、警察は私を助けてくれるかも知れない。


 でも・・・私は首を横に振った。


「何でですか!」


「ここで警察沙汰になったら、事務所にも、事務所のタレントにも迷惑がかかるでしょ?

写真には、私と結斗が映ってるのよ。

その写真が下手に表沙汰になったら・・それだけでまたスキャンダルよ。


これ以上、結斗をスキャンダルに巻き込んだら、"Colors"の人気に影響するわ


それに。このストーカーの標的は、タレントじゃなくて、私みたいなの。そんな状態で事務所にも話すわけにはいかないでしょう?」


 今まで何度も、結斗は女性モデルや女優さん、キャバ嬢とのスキャンダルで週刊誌を騒がせている。これ以上騒ぎを起こすのは得策ではない。


「でも、結斗さんが写真に写ってるんでしょう?

結斗さんは、そういうスキャンダルさえも逆手にとって自分の人気にしちゃうタイプだから、今更スキャンダルが一個増えた所で、結斗さんや"Colors"の人気が落ちる・・・って事はないですよ。


それよりも姉御の方が心配です!


 先生の・・・仕事の方に影響、出ますよ! 」


 増沢君は、言葉を選ぶようにそう言った。私はハッとして、彼の顔を見た。



「最悪、結斗さんのことは事務所が引き受けてくれるとして、俺は・・・姉御の方が心配です。結斗さんのスキャンダルの相手が姉御・・・って事がもしも表沙汰になって、学校側に知られたら・・・学校側の、姉御に対する対応とかも変わるんじゃないですか? 


 結斗さん、女子高生にもすごい人気だから、その結斗と姉御が恋仲、みたいな事になったら大変です!


 姉御の高校、進学校なんですよ! その進学校の女性教師と人気アイドルのスキャンダルなんか知れ渡ったら、たとえそれが嘘でも大変な事になる筈です。


 姉御が必死になって叶えた先生になるって夢、こんなバカみたいな事で手放すんですか? 勿体ないです!


 ストーカーにしたって同じです! ストーカーされて、被害者として、姉御の事が表沙汰になれば、姉御の高校だって表沙汰になります! 姉御の高校、すっげー進学校だし、そういう学校が、そういう良くない事で表沙汰になったりしたら、学校だって姉御の事、いくら被害者でも不問にはしにくいと思います。


 それに・・・姉御の身に何かあったら、俺や隼人さんも、研究生みんなも、すごく心配します」


 増沢君は、私が教師になりたいって思って、必死になっていた時代を知っている子だ。だからこそ・・・この事件がきっかけで私の教員としての立場が悪くなるのも気にしてくれている・・・そんな増沢君の気持ちは、とても嬉しい。こんな状態になっても、事務所の先輩よりも私の方が心配だ、と断言してくれる彼の強さと優しさ。それだけでも、何処か逃げ切れたような、相談して良かった、と思った。


「ありがと、増沢君

そんなに私の事、心配してくれてすごく嬉しいな」


 その優しさは、素直に受け取れる。でも、やさしさに甘えることはできない。


「ストーカーの目的がはっきり判らない今の状態で、事務所や学校に言うのもね・・・目的が結斗じゃなかったら、事務所、無駄に動かすことになるのよ。


 学校だって、学校が原因でストーカーされているとも限らない状態で学校に報告するのも違う気がするんだ。


 だってね、ストーカーからの手紙には、一緒に写っている結斗の事なんか、一言も書いてなかったのよ。学校に対する批判も恨み言も書いていなかった」


「・・・・」


 増沢君は黙り込んだ。


「この事は・・・自分でどうにかするから。

増沢君も、この事は誰にも言わないで」


 出来るだけ明るく笑って、私は彼にそう言った。彼は、少し納得いかない顔をしていたけれど。


「判りました」


 と言ってくれた。そして、それでも。


「何か困ったことがあったら、遠慮なく連絡してくださいね!」


 彼は、そんな一言を忘れなかった。そして、コーヒーを一口飲むと、少し話を逸らすように、息をついた。


「でも、姉御。

どうしてそんなに・・・その・・・事務所とか学校とか、周りに頼んないんですか?

いつも一人で抱え込んで、苦しくないんですか?」


 増沢君は、真剣な顔をして私の顔を見つめている。


「学校で、姉御がどんなふうに仕事してるか、俺は知らないけど。

 今までの、姉御の事務所やタレントに対する貢献度を考えたら、例えば今、姉御がストーカー被害を受けてること、事務所に話したら、事務所、絶対手を打ってくれると思います。


 前、事務所でバイトしていて、隼人さんの妹で・・・ストーカー被害受けてもおかしくない立場ですよ。


 事務所に言えば、手を打ってくれると思います。社長だって、未だに姉御の力、買ってくれているの、俺、知ってますよ!」


 ある意味、増沢君の言う通りかもしれない。

 

 私の、事務所に対する貢献度なんか考えたこともないけれど、未だに社長が私を正社員としてスカウトしてくる、という事実や、私が、隼新堂人の妹だという現実、そしてストーカー被害を受けている事・・・それらをひっくるめて考えれば、事務所に一言相談すれば、ストーカー事件など、一気に解決してしまいそうだ。


 でも・・・それは出来ない。


「・・・増沢君はさ、立場と人間関係について、考えたこと、ある?」


「え?」


 立場と、人間関係。この二つは、いつも私を悩ませていることだった。


「立場が変れば、人間関係も変わってしまうのよ


 私が、以前みたいに、事務所でバイトしていて、その時にストーカー被害を受けていたら、事務所に相談していたかもね。

 あるいは、今のストーカーの目的が、兄だったり、事務所のタレントさんだったりしたら、ちゃんと事務所に相談している。


 それはね、私がそう言う立場だから。"隼人の妹"っていう立場、"事務所のバイト"っていう立場だから、事務所は私に、仕事絡み、兄絡みの被害が及ぶようなことがあったら、相応に手を打たなきゃいけないの。


 でも、今の私の立場は、ただの高校教師なのよ。事務所とは何の関係もない、ただの新堂花奏。

 隼人の妹、っていう事は、学校には公表していないし、この状態で私がストーカー被害を受けているとしても、事務所は私を助ける義務はないんじゃないの?」


「でもっ!」


「表立って、タレントさんや兄が絡んでいないのよ? 事務所としては、無関係を通したいんじゃないのかな?」


 私の言葉に、増沢君は黙り込んだ。


「事務所の力を使えば、ストーカーの一人や二人、握りつぶせるでしょう。事務所にはそれくらい力はあるわ。

 でも、その力の行使先は、私じゃない。事務所のタレントや、もっと別の事に使うべきなのよ」


 もし、事務所に、私のストーカーを握りつぶす力があるなら、その力は、タレントを守るために使うものだ。ただの一般人として静かに暮らしている私のために使うものではない。


「姉御・・・考えすぎですよ」


 増沢君はあきれ顔だ。


「そこまで事務所に気ぃ遣う事、ないと思いますけど?

 確かに今、姉御は事務所に無関係だけど、事務所に今の姉御の状況話せば、事務所は絶対姉御の為に動きますよ」


「増沢君・・・」


 彼の言葉に、私は呆れたようにため息をついた。


「・・・増沢君には話したことないよね?」


「何をですか?」


 私は、ずっと胸に秘めていた、誰にも話したことない、言ってはいけない事を、口に出した。


「私、芸能界は・・・嫌いなのよ

 芸能人も、それに携わる人も・・・」


 そう言ったとたん、増沢君の表情が、驚いたような、少し悲しそうな色に変わった。


 きっとこの話をしたら、増沢君は私のことを嫌いになるだろう。でも、言わないで通すことは、彼に対しては、もう出来ないと思った。ここまで私を慕い、心配してくれている彼だからこそ。


「嫌い・・・じゃないな。

 恨んでるし、憎んでる」


「姉御・・・なんで・・・?」


「この業界さえなかったら、って思った事、何度もあるのよ?」


 そう、これは私の中の、絶対明けてはいけないパンドラの箱。

 

 開ければ、抜け出せない矛盾の塊しか出てこない。


 私は、それを口に出した瞬間、周囲のざわめきさえも聞こえなくなった。きっと、彼もそうだろう。


「姉御・・・」


「だい・・・きらい・・・」


 そう呟いた途端、再び涙腺が緩み、涙があふれた。彼の輪郭は勿論、テーブルのコーヒーカップさえも歪んで見えた。


「あの業界さえなければ・・・

もうちょっとだけ、お兄ちゃんは、私の側にいてくれた・・・

でも、そのちょっとの時間が、私にとっては必要だった・・・」




 遠い、幼い日の記憶。


 兄と兄の友達と、私と、一緒に泥だらけになるまで遊んだ日々。


 私は男だと、信じて疑っていなかった日々・・・


"花奏ちゃんはお兄ちゃんそっくりね"と言われて、嬉しかった日々。


 そして、その兄が、芸能人になるべく、研究生となった日。


 今考えれば、いつかは私だって兄離れしなくちゃいけない日が来る事位、理解できる。

 

 でも当時の私は、そんなこと理解できる訳もなく。


 兄が研究生になると同時に、私の周囲は激変した。


 当たり前の様に毎日遊んでくれた兄も、兄の友達も、兄が研究生になってレッスンに没頭するようになると同時に、私と遊んでくれなくなった。



 自分が男だと信じて疑ってなかった私が、自分の住む住宅地から離れた所に住んでいる、さして仲良くもない同学年の女の子に、誘われるままに遊ぶ、違和感。


 自分が女の子だと自覚するまで、時間がかかりすぎた。


 そして、やっとそれらに慣れて、私も、女の子と普通に遊ぶことが出来るようになった頃、兄はアイドルとしてデビューして、周囲は私の事を、"アイドル、新堂隼人の妹"としてしか見てくれなくなっていった。


 やがてそれが原因で始まった嫌がらせやいじめ、嫉妬の数々・・・


 全部、全部、芸能界のせいだ・・・


 兄が芸能界になど入ったせいだ・・・


 そう思わないとやってられなかった。


 兄の事は大好きだし、その兄が選んだ道だったから、兄の事は応援したかった。


 でも、私が抱え込んだ寂しい気持ちや、辛い気持ちは、芸能界を恨む事でしか、消化できなかった。


 芸能界さえなければ、兄はもう少し、側にいてくれた。

 

 自然に成長して、自然に自分が女だと自覚することが出来て、もっと自然に兄離れして、女の子と溶け込む事が出来たかもしれない。


 芸能人の妹故に虐められたり、妬まれる事だってなかった。



 それなのに・・・



 それなのに私は、大学進学と同時に芸能人の兄と同居させられ。


 大嫌いな芸能界の、芸能事務所のバイトをすることを余儀なくされ。


 芸能人の妹で、芸能事務所でバイトしているが故に、たった一度の、司さん以外との恋愛さえも、裏切りで終わった・・・


 頭でははっきりと判っている。

 兄のせいじゃない。芸能界のせいじゃない。と。

 芸能人は、人に夢を見せる職業だと。

 人を笑顔にする仕事だと。


 でも、私は、その芸能界のせいで、笑顔の何割をも奪われた。


 芸能界を、嫌い、恨む事でしか・・・心のバランスは取れないのに・・・


 それでも尚、大好きな兄がいる業界だから、恨んでも恨み切れない。

 憎んでも憎み切れない。


 更に、初恋の相手で、今をも想いを寄せている人でさえ、今や芸能人で、想いを伝える事さえ困難な存在になっている。


 沢山の相反する想いを、心の奥底にしまい込んだまま、ずっとずっと、生きてきた・・・


 だから・・・



 「嫌いなのよ」


 

 すべてを吐き出した後、私はそれだけ、増沢君に言った。


 そして、吐き出した後、私と彼の間には、沈黙しか残らなかった。



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