第20話
やっとの思いで涙腺を落ち着かせて、私達は本屋からでると、駅前のコーヒーショップへと場所を移した。
本屋に入ってから随分時間が過ぎていて、もう夕暮れ時だった。外には、学生の他に、仕事終わりのサラリーマンやOLもちらほらと見かけるようになっていた。
駅前のコーヒーショップは、夕方とはいえ、ちょっと時間が中途半端なせいか、意外と空いていた。
季節限定のフレーバーコーヒーと、コーヒーに合うサンドイッチやサイドメニューが売りのこの店は、コンビニのようなチェーン店展開をしているけれど、各店にバリスタがいて、専門的に美味しいコーヒーを出してくれるので、私もとても気に入っていた。
増沢君も気に入っているようで、このショッピングモールに来るときは、良くここで一休みするらしい。
私の向かいには増沢君が座っている。彼は、高校の制服にメガネ、といったスタイルだった。普段バックダンサーとして舞台に立つときは、眼鏡を外してコンタクトを入れるし、もうちょっと見た目も派手にするのだけれど、今は年相応の真面目な高校生、といった雰囲気で彼の正体に気づく人もいない。
それに、周囲が彼に気づかないのも無理はない。雑誌に出るくらいに人気があるけれども、それは"Colors"のバックダンサーの一人として。増沢君はまだ正式デビュー前、知名度は低い方で、もうすぐデビューが決まっているとはいえ、今はまだ日の目を見ない存在削筈だ。
確か事務所の話だと、お披露目がもうすぐで、CDデビューが秋。これから忙しくなる・・・ううん、もう忙しくなっている筈だ。
目立たない隅の方の席を選んで座った。窓側ではなく、目立たない席を選んでしまうのは、お互い、職業病のようなものだ。
それぞれ、お気に入りのフレーバーコーヒーとケーキを注文すると、増沢君は、泣いていた私を気遣いながら、軽い世間話を始た。
学校での些細な事、今日の取材の事、事務所のレッスンの事・・・
そして。
「姉御もまた事務所に遊びに来てください。研究生、よく姉御の事、話してますよ。次はいつ来てくれるんだろうって」
「ごめんね、私もちょっと忙しくて・・・」
曖昧にそう答えた。
結斗の一件以来、正直事務所には行きたくなかった。結斗と、顔を合わせたくない。
「何か・・・あったんですよね?」
それは質問ではなく、確認だった。驚いて増沢君をみると、増沢君はいつになく真剣な顔で、私を見ていた。それは、初めて会った頃の子供の顔ではなく、あの頃以上に成長した男の子の顔だった。
「・・・どうしてそう思うの?」
なるべく話をはぐらかしたくてそう聞くと、増沢君は、切なく、悲しそうに笑った。
「ずっと・・・姉御の事、見てたから。
判っちゃうんです。
事務所でバイトしてた頃の姉御は、もっと笑ってたよ。
事務所のバイトと学校の両立はすっげー大変だった・・・ってあの頃言ってたけど、それでも笑ってた。
笑って、俺たちを励ましてくれてた」
「それが私の仕事だったから・・・」
そう、それが私の仕事だった。研究生の面倒を見る事、タレントさんの付き人的な仕事、ライブの時のグッズ販売、そして事務仕事・・・事務所で雑用、と言われた仕事は一通り、やらされていた。
でも彼は、そんな私の言葉に首を横に振った。
「姉御にとってはそれが仕事でも、俺は・・・そんな姉御だからこそ、ずっと好きだったんです」
「あら、私も増沢君のこと、好きよ」
何の迷いもなく、そう言った。増沢君だけではない。事務所の研究生みんな、私にとってはとても大切な存在だ。
ところが、彼は静かに首を横に振った。
「そういう好き、じゃないです。
本気で、好きです」
「え・・・」
その言葉を、正確に理解するのに、数秒かかった。
好き? 増沢君が? 私を・・・?
そんな私の戸惑いを見て取ったのだろう。彼はさらに言葉を続けた。
「あ、これは・・・俺の勝手な想いです。無理強いしません!
それに、姉御は司さんの事、好きなんですよね!」
そう爆弾発言されて、私はびっくりして彼を見た。
私が司さんを好きだという事を、増沢君や研究生達には話したことない筈だ。でも増沢君は、軽い笑みを見せてくれた。
「研究生はみんな、気づいていますよ」
「そんな・・・私の態度、バレバレだった?」
そんな、バレるような態度、していないはずなのに・・・
「少なくとも、研究生の間では、です。研究生以外、誰にも話してはいません。あくまでも研究生同士の雑談です。結斗さんや"Colors"のみなさんも気づいています」
そこまで言うと、彼は大きく息を吸って、吐いた。
「姉御が司さんの事、好きだって判ってます。どうしてそれを司さんに伝えないかも・・・理解してるつもり・・・です。
でも俺は、勝手に、姉御の事、好きなんです」
勝手に好き・・・か。
そういえば、草野先生も似たような事、言ってたっけな。つい先日の事を思い出した。
「好きだから、だから、判っちゃうんですよ。
姉御が今、苦しんでるって。家で一人で泣いてるんじゃないかって・・・
ねえ、姉御。話してくださいよ
今の姉御の姿、他の研究生の連中が見たら、きっと今の俺とおんなじこと言うと思いますよ?
それ位、研究生の連中も、姉御の事、すっげー大事だし、好きなんですよ。
姉御は、俺たちみんなの、大事な、大切な姉御なんですよ!」
増沢君の話を聞きながら。
気がついたら私の涙腺は再び崩壊していた。
「姉御?」
泣き出す私に困った顔一つせず、彼はハンカチを差し出した。
今どきの男の子で、こんな行動が絵になる子なんて、そうたくさんいない。
綺麗なハンカチを持ち歩いて、泣いている女の子に差し出せる子なんて、どのくらいいるんだろう・・・
しかも私は彼よりも10歳年上の、一見キャリアウーマン風教師姿をしていて、泣いていて、彼がそんな私にハンカチを差し出す・・・そんな私と増沢君のカップルは、どう見たって不思議な組み合わせだ。
でも、涙腺と一緒に崩れた私の心は、周囲から私たちがどう見えるか、なんて考える余裕もなく、感情も涙腺も、一人で立て直すことが出来なかった。
「姉御?何があったんですか?
もし、嫌じゃなきゃ・・・姉御の重荷、俺に分けてください。
俺、研究生になった頃みたいなガキじゃないです。
姉御に守ってもらうだけの、何もできない子供じゃないです!」
彼の優しい言葉を聞きながら・・・私は、決心した・・・




