第一話
五月、最初の連休初日。
会社員だったら、四月の終わりから、やれ9連休だ、10連休だ、と喜んで遊びに行くだろう。それも現実。
あるいはお店で客商売をやっている人たちは、かきいれどきでお休みどころではないだろう。それも現実。
私の現実は、色気も何もない、カレンダー通りの連休だった。それでも、五月のこの連休が飛び石にならないだけましだ。
綺麗にこの時期に連休が取れただけでももうけもの。確か去年も一昨年も飛び石連休で、遊ぶどころではなかった。
それが、私のまぎれもない"現実"だった。
お昼くらいまで、惰眠をむさぼろうと思ったけれど、連日早起きして出勤しているせいか、その癖がついてしまって、いつもより少し遅いかな?くらいの時間に目が覚めてしまった。
「なぁんか、損したかなぁ・・・」
窓の外を見ると、見慣れた都内の風景だった。セキュリティーの整った、駅からもそう遠くないマンションの中層階。就職して数年の女の独り暮らしにしては、随分良いところに住んでいる・・・と自分でも思う。
でもここは数年前まで兄が住んでいて、私の大学時代は、ここで兄と同居していた。兄が引っ越すことになったので、私がそのあと、引き続き住んでいる。家賃も半分、兄が出している。就職した直後は、兄のその好意はありがたかったけれど、流石に私もそれなりに給料をもらえる様になって来たので、そろそろ家賃の援助もやめて欲しい。ちゃんと金銭的自立もしたい。けど、なかなか聞き入れてもらえないのは、小さな不満の種の一つだった。
起きて、シャワーでも浴びようと思って寝室を出るとき、部屋の隅にかけてある黒っぽい数着のスーツと、その隣の化粧台にある、数種類のメガネ、化粧品に目がいった。
スーツは、俗にいうリクルートスーツとは違う、でも、それに近いスーツだ。華美ではない。むしろ地味系だ。けど、職場では、"生徒にも保護者にも不快感を与えないよう、服装には気を使ってください"と言われ続けている。さらに、流行に敏感な女子生徒もいる。センスの悪いものを着てゆくと、女子生徒の容赦ないファッションチェックに曝される。ダメだしされると後あとまで「新堂先生は服装のセンスが悪い!」といわれる。それも同じ女として悔しい気がする。
胸元の空いた服もNG。男子生徒や他の男性教師に、やれ色仕掛けだなんだと言われるのも面倒だ。
こういう時、服を選ぶ余地があまりない男性はいいな、と思う。とりあえず背広を着ておけばいいんだから。
眼鏡も、別に私は目が悪いわけではないので、かける必要などない。でも。兄そっくりな顔立ちをメガネをかけることでカモフラージュできるし、かけた方が教師らしく見えるので、かけるようにしている。
(・・・・・・・)
そういえば、このスーツを初めて着て、メガネをかけた教師スタイルを兄に見せたときは絶句してたっけ?
華やかな業種で働く兄から見たら、このスーツや、私が仕事中に着ている服は、どれも地味そのもので、『もうちょっとおしゃれするとかできないのか?』とか、『こじらせ系のツンデレOLみたいだ』とため息交じりに言われた。
仕方が無い。私が勤めている場所は都内でも有数の、私立の進学校。私は英語教師をしている。下手に教師が問題を起こせば、理事会や保護者がうるさいのだ。服装も然り。生徒や保護者の手前、華美にならぬよう、相手に不快感を与えない様に、常に気を配らなければいけない。
現に私が仕事している時の服装やメーク、髪型を、兄や兄の仕事仲間が見ても、私だとはばれないだろう。俗に言う、“メガネにおさげ姿の優等生”がそのまま成長して、そのままのイメージで、教師をやっているようなものだ。
それくらい、隙のない、別人のような格好をしてゆく。
本来の顔を、姿を、他人にばれない自信はある。ある意味、ばれちゃったら困るのだ。
今日はせっかくの休日だし、朝食を食べたら、気分転換に買い物にでも行こうかな?
最近オープンした大型ショッピングモールでウィンドーショッピングもいいし、先日公開したアクションサスペンスの映画を見るのもいいな・・・
一人で休日を過ごす事はもう慣れた。気楽な女子のお一人様生活を満喫している。恋人もいない。作る気はさらさらない。
別に男嫌いというわけではないけど、私の素性を晒して、それでも平気な顔をして付き合ってくれる異性など、少数派だろう。
のんびりと今日の予定を考えながら、トーストとコーヒーで軽く朝ご飯を食べていると、突然携帯が鳴り響いた。
普通の着信音ではない、この着信音は・・・
着信の主が思い当たった途端、電話に出るのをためらった。
でも、出なければ出ないで、あとあと面倒だ。
軽くため息をつきながら、私は電話に出た。
「もしも・・・」
もしもし? 私がそう言い切るより先に、携帯の向こうからは、聞き慣れた・・・ある意味聞き慣れたくない人の声が聞こえた。
『あ!花奏? 隼人だけど』
少し慌てた様な声の電話の主は、私の兄の隼人だ。
兄がこのテンションで私に電話をかけてくる時は、大概面倒ごとだ。
『お前、今日休みだろ? ヒマか?』
また来た・・・私は内心ため息をついた。この後の会話の見当がついてしまった。
「休みだけど、これから出かけるの・・・」
『どうせ一人で暇つぶしだろ? 頼みあるんだ!』
そう言うと、兄は矢継ぎ早に要件を言い始めた。
『今日の打ち合わせの書類、部屋に忘れちまったんだ!俺の部屋の鍵持ってるよな? 悪いけど、部屋に書類取りにいって、事務所に届けてくれねぇか?』
「だから、どうしてそんな大事なもの忘れるのよ!」
うちの職場(といっても高校だけど)では、会議の書類を忘れるなんて信じられない!
『頼む! 晩飯奢るからさ』
「嫌よ。たまには困りなさい!」
兄の悪い癖だ。兄はとにかく物忘れが酷い。特に忘れ物は子供の頃から凄まじく、子供の頃から、しょっちゅう私が兄の忘れ物の宿題やらお弁当やらを兄の教室まで届けていたのだ。
その癖は今だに治らず、忘れ物をしては、私に届けるのを頼む。
『じゃ、晩飯の時、司も連れて来てやる! だから頼む!!マジで書類ないと困るんだ!』
「っ・・・ずるい!」
顔に一気に熱が上がる。私の、兄に対する唯一最大の弱点を、いつも的確に攻めてくる。
“司さん”
彼の名前が出てきたら、私が断れない事を、兄はよく知っている。
『お前の好きそうなサングリア置いてる、イタリアンの飲み屋、後輩から聞いたんだ。お勧めらしいぜ。そこ連れてってやるよ。
じゃ、頼むな! 事務所の受付には言っておくから』
そう言うと、私の返事を聞かずに、兄はさっさと電話を切った。
「ったく・・・台本覚えるよりも、もうちょっと忘れ物どうにかしてよ・・・」
そう呟いてみても、それを一番聞かせたい人は、もう私の言葉など聞いていない。携帯からは無機質な音が聞こえるだけだ。
「あーあ・・・
久しぶりにウィンドーショッピングしたかったなぁ」
私は携帯を置いて、ため息を一つつくと、すっかりぬるくなったコーヒーを飲み干した。
私の兄"新堂隼人"は芸能人をやっている。
二人組のダンス・ヴォーカルユニット“ジェネシス”としてCDデビューしたのが今から15,6年前で、ファン層も幅広く、国民的アイドル、と言われている。
そして、さっき兄が言っていた“司さん”というのが、兄のユニットの相手だ。兄よりも一歳年下だ。
デビューして15年も経つと、どんどん、同じ事務所でも、後輩グループやユニットがデビューする。その中でもトップに君臨し、後輩にも慕われ続けているのだから、兄も司さんも、天性の何かを持ってるんだろうし、デビュー前もデビュー後もそう言った鍛練を欠かさなかったのだろう。我が兄ながら凄いと思う。(忘れ物が酷い、という癖を除けば)
今は、兄と司さん、二人とも挑戦してみたい事もいろいろ増えて、兄は歌手の傍、舞台やミュージカルをこなす俳優として、司さんは報道番組のキャスターや司会をやっている。もちろん、定期的にアルバムやら新曲やらをリリースしている。リリースずれば必ずランキングトップに入り込んでいる。それだけ、兄たちのファンも多いということだ。
このマンションも、数年前まで兄が住んでいた。私の大学時代の四年間は、両親の意向もあって、ここで兄と一緒に暮らしていた。
けれど、私が四年の頃・・・兄が舞台を頻繁にをやるようになってからは、舞台練習に通いやすい場所に引っ越した。それ以来、引き続き私が住んでいる。
このマンションはセキュリティーもしっかりしてて、立地条件も悪くない。一人暮らしのOLさんや、高給取りな人が多く住んでいる。何れにしても、物騒な世の中、女のような一人暮らしにはもってこいの場所だ。
「どうせ花奏、都内で就職するんだろ? だったらこの部屋、好きに使えよ。家賃だったらお前が自立できるまで助けてやるから」
その頃すでに兄は、若手とはいえ、芸能人、歌手、アイドルとして成功していて、兄と同年代の一般の人よりも高給取りだったので、私は兄の好意に甘えてここに住み続けている。
けど私もいい加減、社会に出て数年経っている。ここの家賃を払えるくらいの収入をもらっている。だから家賃の補助はいらない、と何度も話をしたけれど、兄は“いいからいいから”と言って相手にしてくれない。
私はため息をつくと、出かけるために着替えた。ウィンドショッピングと映画に、ではなく、兄に忘れ物を届けるために。
部屋の隅にかけてある、仕事用のスーツは、今日は着る必要はない。メガネも必要ない。
学校の同僚や生徒、保護者の目を気にしなくても良い。 むしろ、兄の事務所に行くのなら、顔見知りの事務所の人やデビュー前レッスンに来ている研究生に会う可能性の方が高い。大学時代、兄に請われて事務所で四年間バイトしていたし、あれから何年か経った今も、兄のせいでしょっちゅう事務所に出入りしているせいか、事務所スタッフや研究生には、今だに顔見知りもおおい。
それに、ひょっとしたら、司さんにもあえるかもしれない。そう思うと、自然に胸が高鳴る。
「・・・ちょっとおしゃれしてこぅ・・・」
私はクローゼットから、普段は滅多に着ない、年相応な女性が着る、流行りと華やかさを意識した服を選んだ。
それと、ジュエリーボックスに入れてある、パールのピアスと腕時計を取り出した。
このピアスは、昔、就職祝いに司さんから、腕時計は当時の研究生たちからプレゼントをされた、私の宝物だ。教師姿の時も、そうでない時も、出かける時は必ず身につけている。
それでも、いつもの教師スタイルで事務所には行けない。きっと、あの服装で行ったら、全員ドン引きするか、気付かないかのどちらかだから・・・




