第17話
草野先生に"今まで通りで"と言われたし、"勝手に好きでいるから"と宣言されたけれど、実際、草野先生と私の関係は、以前と変わらなかった。それは"学校"という職場のおかげかもしれない。
生徒の目がある、他の教職員の目もある。時として保護者の目もある。これ見よがしに馴れ馴れしく出来ない・・・というのが彼の本音なのかもしれない。いつ、どこで誰が見ているかわからない。迂闊なところを見られて、変な噂になったりしたら大変だ。
だからこそ彼は、"勝手に好きでいる"といったのだろう。彼が勝手に私の事を好きでいたとしても、表立って何かをしてくることは絶対にない。それは、私だけでなく、彼自身の首も絞めることになるから・・・
それに彼だって、一学期一杯でこの学校を去ることが決まっていた。
アメリカにある姉妹校の人事交流の為、二学期からアメリカへ行ってしまう。
向こうへ行ったら最低でも3、4年、日本には戻ってこない 。夏休みになれば、彼は渡米する。それまで今の状態でい続ければ・・・
そう思うことで、私は平常心で仕事に打ち込むことが出来た。
私は相変わらず、生徒と接して、職員会議に出て、小テストの採点をして、学年末考察の試験問題を作り・・・目まぐるしいけど充実した毎日を送っていた。
世間はあっという間に梅雨入りし、じめじめとした季節になった。
"今年は、例年よりも3日早く梅雨入りとなりました・・・"
授業が全て終わった後の職員室で、誰が見るわけでもなくつけっぱなしになっているテレビ。ブラウン管の向こうでは、司さんの報道番組が流れていた。
司さんは、相変らずのスーツ姿に、アイドルをしているときには見せない知的な表情をしている。傘を片手に、お天気キャスターの女性とテレビ局の前の広場で天気予報とその解説をしている。
私は、そんな彼を頬杖をつきながら見つめてため息をついた。
あの、お天気キャスターの女性みたいに、司さんの隣に立てるなんて、羨ましい。そう想えば想うほど、近くて遠すぎる、今の私と司さんとの距離が悲しくなってゆく。
(もしも、私が、あのお天気キャスターの女性位、司さんの側にいたら・・・)
そんな妄想をしていたのは、もうはるか昔。舞台の度に、ドラマに彼が出演するたびに、相手役の女性を自分と重ねてみたり、嫉妬したりもやもやしたりして過ごした。
でも、そんな気持ちも、時がたてばたつほどに燃え尽き、今は、ただ、好きだという強い想いだけが、心の中にくすぶり続けている・・・
(いっそ、諦められた方が楽なのになぁ・・)
何度、そう思っても、こうしてテレビ越しに見るたびに、事務所でたまに顔を合わせるたびに、諦めることなど出来ない、と自覚してしまう。
厄介すぎる想いだった。
結斗とは、あの夜以来、連絡を絶っていた。
兄から相変らず、よくメールが来る。でも、急ぎの用ではなく、返事を求めない近況報告程度だったので、私も軽い、差しさわりのない程度の、返事を求めない近況報告だけをしていた。
それでも、結斗の事は話さなかった。話せるわけがない。
結斗に性欲処理に使われた、なんて・・・
でも、もし兄にそう言ったら、兄はどうするだろう?・・・結斗にくってかかるだろうか? それとも・・・
そこまで考えて、私はこの不毛な妄想を辞めた。考えが不健康すぎる。
それでも、そんなことで落ち込んでいるひまはない。
もともと、六月から七月、夏休み前は、学期末考察や成績つけで忙しくて、事務所に顔を出すどころではない。私は、"教師"としての"新堂花奏"として過ごすことが多くなるし、兄たちも、もうすぐ大きな舞台公演があるので、今はその練習で忙しい筈だ。連絡など、すぐに絶えるだろう・・・毎年そうであるように。
それに寂しさを感じる反面、こういうときだけは、芸能界と切り離された世界で、私は自由に"新堂花奏"として生きていた。
校内を歩いていると、教室から生徒の楽しそうな声が聞こえる。
おしゃれの事、ファッションの事、好きな芸能人の事・・・進学校でも、そうでなくても、女子生徒が話している内容は、普通の女子高生と変わらない。
見るともなく教室を覗いてみると、女子生徒が教室でアイドル雑誌を見ながら談笑している。
一瞬見えた雑誌のグラビアの中の結斗は、相変らずの俺様なアイドル顔をしたり、甘える目をしたりして、ファンの子を魅了している。
「結斗、かっこいいよねぇ!」
「本当!うちの学校にも、こんな人いないかなぁ・・・」
「無理無理!」
たとえ受験生でも、進学校の女生徒でも、アイドルや芸能人好きな子はいる。
そんな女生徒の背中越しに結斗のグラビアが視界に入るたびに、あの夜、あの腕に抱かれた事を思い出し、胸がざわついた。
(一体どういうつもりなのよ・・・)
そんな思いと、
(性欲処理なら他でして!)
という、彼に投げつけた言葉が、心の中で燻りながら渦を巻いていた。
…………………………………
そんな梅雨時の夜。
いつものように仕事を終えて、雨の中、マンションに帰ると、郵便受けに数通の手紙が入っていた。
そのうちの半分以上は、速攻シュレッダーにかけても差し支えないDMで、残りの二通のうちの1通は兄からだった。
「珍しいなぁ…」
いつもだったら直接ここに来るのに・・・と思いながらも、今が舞台本番前で忙しい時期だという事を思い出した。
案の定、封筒の中には、チケットが一枚と、走り書きのような手紙。
兄の主演する舞台のチケットだった。席番号からして、関係者席、と言われているところだ。
大体、兄が融通してくれる兄出演の舞台チケットは関係者席で、ここには私の父母とか共演者の知り合いとか、芸能人も含めた事務所関係者とかが座っている。
“初日の夕方公演のチケット同封するので、暇だったら見に来てください。来たら楽屋にもみんなで来て下さい”
普段の兄から考えると、随分丁寧な文章だな、と思った。でも、いつもならこの手のチケットは手渡し、メールも敬語抜きな関係を思い起こすと、こうして手紙でやり取りするなんて初めてだった。敬語で一筆添える、なんて芸当、いつ身につけたんだろう?
私は手帳を広げて、その日の予定を見た。その日は土曜日で、授業は休みだけれど、午前中だけ、学校の用事で出勤する事になっている。その後は何も予定が入っていなかった。私はその手帳の夕方の所に、「兄・観劇」とだけ書き、兄へお礼のメールと観に行くことを伝えた。
そして、ポストに入っていたもう一通の封筒は・・・
「あれ?」
切手がない手紙だった。郵便というより、直接ポストに入れた感じだ。
宛名には一言、"新堂花奏様"とだけ、パソコンで書かれていた。
(・・・・・・)
一瞬、兄に対する嫌がらせかと思った。ここは数年前まで兄と同居していたマンションだ。まだ兄がここに住んでいる・・・と思っている人だっているかもしれないし、隼人が妹と同居している・・・という情報を、週刊誌が未だに大切に握っているのかも知れない。
こういう手紙は初めてではない。中学の頃までは、しょっちゅうもらっていた。中学の時は、私が、隼人の妹だと学校中に知れ渡っていたから、嫉妬や妬みも混ざって、嫌がらせの手紙や呼び出しなんか、日常茶飯事だった。
ここで兄と暮らすようになってからも、こういった手紙は時々届いた。けれど、どんな手紙が来ても、ことごとく兄と一緒に無視していたせいか、そんな嫌がらせは消えて行き、嫌がらせの手紙を貰うこともなくなっていった。
貰わなくなったのは、こういった嫌がらせに全く無反応でい続けたからかもしれない。無視し続けていれば、相手も嫌がらせに飽きてくる。特にアイドルや芸能人に対する無記名な手紙レベルだと、そういうものだ。
兄にとっては“有名税”とかいうものみたいだけど、標的が私でそういった嫌がらせの手紙が来るのは良い迷惑だ。無視するに限る。
一瞬、考えてから、私は封を開けた。もしも兄絡みだったら、事務所と兄に相談した方がいいだろう、そう思った。
封を開けると、中からは、パソコンで打った手紙と数枚の写真。ここまでは、以前まで貰っていた嫌がらせの手紙と同じだった。
ただ、内容は今までとはちょっと違った。
今までは“隼人と一緒に住むなんて生意気だ!さっさと出て行け!”といった罵倒のような言葉の手紙なのに、そういったものではなかった。
その代わり・・・
"花奏へ
こうして手紙を出すのは初めてだね
いつも君を見ているよ
愛しい、愛しい花奏
大好きだよ"
短い一文があった。
「なによ・・・これ・・・」
明らかに、私宛のものだ。ラブレターにも似た文面。文面を読んだ途端、鳥肌が立った。
「気持ち・・・悪い・・・」
今まで貰ってきた嫌がらせの手紙の中で、一番気持ち悪い。以前なら嫉妬と悪言雑言の限りを尽くしたものだった。そういった文面を予想していただけに、この文面の気持ち悪さが際立った。
差出人のない手紙、というだけで胡散臭いのに、その内容がこんなだと、胡散臭さに気持ち悪さも加わって、なんとも表現しがたいほどに胸くそが悪い。
そして、その手紙と一緒に入っていた数枚の写真は・・・
「・・・え・・・?」
私が学校へ通勤途中の写真、帰りに買い物をしている写真、近くのカフェでのんびりしている写真、本屋で雑誌を物色している写真・・・カメラや視線など全く意識していない、私の写真だった。
盗撮されているのは一目瞭然だ。
「標的・・・私だ・・・」
兄絡みとか、芸能人目当てとか、事務所絡みとか、そんな単純なものじゃない。この手紙の主は、私に対するストーカーだ・・・
てっきり事務所や兄絡みだと思って、疑っていなかった私にとって、これはどう対処していいか判らない。
そして・・・
「・・・嘘・・・」
最後の数枚の写真は、見た途端、目を疑った。
それは・・・この間、結斗がマンションの前で私を待っていた時の写真・・・
幸い、結斗の顔はぼやけてて、結斗だと断定できるものではない。でも、あの独特な髪色ははっきりと映っていた。教師姿の私と、私と同年代の、金色に近い髪色とラフなスタイルの男・・・こうして写真で見ると、異質だ。
「やばい・・・みられ・・・た・・・・」
血の気が失せる感覚がした。もしもこの写真が表沙汰になったら、結斗はどうなる?
『Colorsの結斗、夜中に一般女性と密会!』
なんて事が週刊誌に書かれたら、結斗やColorsの人気に影響が出る!
その瞬間、私は携帯で、兄に連絡しようとした。
兄の携帯番号を呼び出し、通話を押そうとした瞬間・・・
(駄目だよ・・・)
冷静な部分の私が、その行動にブレーキをかけた。
兄はもうすぐ舞台本番、こんなことで手を煩わせたくない。
それに、事務所社長に話すにしても・・・どうして結斗がうちに来たのか、という話になったとき・・・最悪、あの夜の事を話さなくてはいけなくなる。
私がごまかしたとしても、結斗の方に話が行った時、ごまかした話のつじつまを合わせるのが厄介だ。
大体、あんな時間に男女が同じマンションの同じ部屋にいて、男が朝帰り。何もない方がおかしい・・・っていう考え方をするのが週刊誌の記者だ。
そもそも、この手紙自体、見る限り標的は私。事務所を巻き込むのは筋が違う。
「もう・・どうしたらいいのよ・・・」
そう呟きながらも。最善の策なんて・・・そう簡単に思いつかなかった。
散々悩んだ挙句、私は、この手紙を黙殺することにした。
でも、シュレッダーにはかけず、ちゃんととっておいた。もし万が一のことがあって、警察のお世話になるとき、証拠になるだろう。
質の悪い兄たちのファンの仕業かと思ったけれど、そうではないみたいだ・・・
手紙の内容からして・・・標的は、私自身だ。
大きく息を吸って、吐いた。
嫌がらせくらいだったら初めてじゃない。中学の頃はしょっちゅうあった。
周りには、隼人と私のことを知っている人ばかり。羨望と嫉妬の混ざった嫌がらせを受け続けてた。
兄絡みかそうでないかの差はあるけれど・・あの時のように耐え抜くだけだ。
そう、自分に言い聞かせた・・・




