第14話
翌朝。
目を覚ますと、私を包み込むような感触が、いつもくるまっている毛布以上に熱かった。
いつもと違う感触、いつもと違う、自分以外の体温・・・しかも、布や服越しではない。素肌の体温だった。
その感触に驚いて、昨日の夜起こったことを思い起こした。
服なんて、彼も私もまとっていない、部屋に脱ぎちらかされてあった。
何があったか、何をされたか、なんて思い出すまでもない。はっきり焼きついている。
そして、記憶が全てつながった途端。
「痛っ!」
身体に・・・というか腰に、あり得ない位の激痛が走った。結斗の行為のせいなのは明白だ。
変な言いがかりをつけて腕力に身を任せて・・・挙げ句の果てに性欲処理。
「人気アイドルの正体がこれか・・・」
アイドル、というより、男の正体、といった方がいいのかな?
自分の欲望の為なら、女なんてなんとも思わない。それが、自分の恋人だろうと先輩の妹だろうと・・・平気な顔をしてセックスできる・・・
結斗も、夢の中に出てきたかつての恋人も同類だ。
今更ショックなど受けやしない。再認識しただけだ。
ショックを受けたのは、初めて体感したあの時だけだった。
あの時一度でたくさんだ。
私は、気持ち良さそうに私のベッドで眠りこけている結斗を、もう一度見た。きっと今の私は、感情のない、冷たい目をしているだろう。
そして、全ての感情を切り捨てるように部屋を出た。
シャワーを浴びて、身体にこびりついた結斗の性臭や香水の匂いを落としたけれど、いくら身体を洗っても、移った臭いが消えていない気がした。
やっとシャワーをあがって、鏡を見ると・・
「あんのばかっやろう!」
こんな言葉遣い、学校で使ったら問題になるかも。そう思いながらも、口から勝手にこぼれ落ちてきた。
身体のあちこちに、結斗がつけた赤黒い痕跡が残っていた。
「こんなの、生徒や先生達に突っ込まれたらなんて答えればいいのよ!」
そう独り言を吐き出したけど、幸い全部、いつも仕事中に着ている服を着れば隠せる場所だったので、ホッとした。今が真夏じゃないのが救いだ。
シャワーから上がって、台所に立ち、自分用の甘くないカフェオレを淹れてながら、今だに起きない結斗をどうしようかと考えていると・・・
「ようっ・・・」
寝室のドアが明き、結斗が寝ぼけ眼のまま現れた。
「・・・ぉはよ・・・」
なるべく平然を装ってそう言った。そして結斗の方を見ようとして・・・辞めた。
結斗は全く服を纏っていない、全裸姿だった。見た瞬間、顔が赤くなるのをはっきり実感した。
鍛え上げられた筋肉や、余分な脂肪が一欠もついていない身体。腹筋は軽く六割れしている。服を着ていると細マッチョな感じだけれど、普段からダンスやボイトレをこなし、仕事の合間にはトレーニングジムに通って、鍛え、節制して。オフがあれば芸能人仲間とサッカーやフットサルをして・・・そんな生活をしているだけの事はある。意識していないと、見とれてしまいそうだった。
そして、あの腕に、身体に夕べ抱かれたのだと思い至った瞬間、心臓が変な音を立てて軋んだ。
「あ、あのさ・・・」
せめて服位着て! そう言おうとした瞬間、
「シャワー、借りるな」
一言そう言うと、私の返事も待たずに、お風呂場へと歩いていった。
以前、兄がいた頃、結斗もここに何度か泊りに来たことがある。その時の名残で、来客用のバスタオルやら着替えは兄のが置きっ放しだ。
結斗は何の躊躇をすることもなく、お風呂場へと向かっていった。
「結局・・・なんなのよ・・・」
結斗の行動の意味が判らない。夕べは変な言いがかりをつけられてあんな事されるし、起きれば起きるで、何もなかったように振る舞うし。
まるで私だけが、彼に振り回されているだけのようだ。
「バカバカしい」
なんなのよ。
なんなのよ!
なんなのよ結局!!
酔っ払って勝手に押しかけて来て、言いがかりつけてあんな事して!
隼人の妹って立場は、そんなに都合の良い尻軽女だと思ってるの?
それとも、こんなことがあっても、週刊誌に表沙汰にならない女だと思ってるの?
ふざけないで、ふざけないでよっ!
怒りと、悔しさと、もやもやした気持ちのまま、私はソファーに座り込んで、泣き出しそうなのを堪えながら頭を抱えた。
やがて、結斗はお風呂から出て来た。そして、バスタオルを腰に巻いたまま、寝室へと向かった。多分、服を着るんだろうな、そう思いつつ、私は条件反射のように、彼のコーヒーを入れた。いつも、兄と一緒の時にそうしていたように・・・
コーヒーを淹れて、テーブルに置いた時、まるで図ったように結斗が部屋から出て来た。
「コーヒー、入ってるから。
・・・あと・・・
今日の仕事は?」
彼に視線を合わせないように、なるべく淡々とそう聞いた。場合によっては、マネージャーさんに、ここに迎えに来てもらわなくてはいけなくなる。このマンションから朝、結斗が出てきた・・・そんなところを週刊誌にすっぱ抜かれたら大変だ。最悪マネージャーさんに迎えに来てもらう必要がある。
「仕事は夕方からだから、一旦家に戻る」
「そう、よかった。タクシー、呼ぶ」
「いや、大通りに出れば拾えるだろ? そんな事気にするな」
「・・・うん・・・」
マネージャーさんに余計な説明をしなくて済むのは有難い。面倒くさい事はやりたくない。
そう思いながら、私もカフェオレを飲み干して、自分用のブラックコーヒーを淹れた。ようやっと、さっきまでの怒りが少し落ち着いて来た。
テーブルでコーヒーを飲む彼と、ソファーに座ってコーヒーを飲んでいる私は、その位置関係から、目を合わせることはない。
不気味なほどの沈黙が部屋を包んでいた。まるで、私も彼も、相手が話の口火を切るのを待っているような空気だった。
「結斗」
「ん?」
話してくれるのを待っていたわけではないけれど、口火を切ったのは私だった。
「・・・酔っ払ってうちに来て、そのまま寝ちゃったことにするね」
それが、彼にとって、一番都合の良いことだと思った。でも、彼は不機嫌な顔をした。
「なかったことにしろってことか?」
その不機嫌さに、軽い恐怖を感じながら、それでも淡々と言葉を続けた。
「それが結斗の為、でしょ? 夕べの事、表沙汰になったら大変だよ?」
「それじゃあ!」
結斗は口をつぐんだ。自分の立場のことを、改めて思い返したのかもしれない。
重たい沈黙が私たちの間に流れたけど、それも、長くは続かなかった。こんな空気に耐えられなくなったのか、彼が口を開いた。
「俺の気持ちはどうなるんだよ!
なんでっ・・・そんな平気な顔してんだよっ!!」
絞り出す様に彼から投げつけられた言葉は、私の予想外だった。
「え?」
思わず聞き返した。平気も何も・・・結斗は私が、うろたえて欲しかったの?狼狽えて、困る顔を見たかったの?
「酔っ払った男に玩具にされた女の気持ちなんか、結斗、考えたこと、ある?
考えてないんでしょ?
それとも、貴方が・・・いつも相手にしてる子達は、こういう時、もっと可愛い反応してるの?
"私、Colorsの結斗とヤッたのよ。うふっ!"って?」
無感情に、逆にそう聞いた。すると彼は少し、嫌味ったらしく笑った。
「なんだよ。他の女に嫉妬か?」
「まさか」
無感情に切り捨てた。
「どうせ男なんて。好きでもない女の子ともセックスできる生き物なんでしょ?
でも、私は、たとえ無理矢理でも、そんな風に扱われたくない!」
昔の恋が、脳裏をよぎる・・・大好きだった、信じていた、あの先輩でさえ、好きでもない女(私)と平気な顔してセックスする人だったのだ。
所詮、そういう生き物なのだ。男にとって女は、単なる性欲処理と遊ぶための存在・・・
「花奏・・・」
結斗の顔色が、はっきりと変わった。それはもしかしたら、酔ったとはいえ、自分がしでかしたことに気づいたのかもしれない。
あるいは・・・私が、結斗がいつも相手にしている女とは、根本的に違う考えを持った生物であることを思い知ったのか。
「お前さあ・・・そんな、なんでもない顔出来るほど・・・俺は」
さらに結斗が言葉を続けたけれど、その言葉に詰まった。いつも、ずけずけと言いたいことを言う結斗にしては珍しいな、と思った。
その一瞬の間に、私は軽いため息をついて言った。
「次から、性欲処理は他にしてくれる?
昨日、結斗に言ってたけど。
私、あんたの性欲処理に付き合うほど暇じゃないし、そんな尻軽女じゃない」
感情を込めたつもりはない。でも、その無感情さが余計に、突き刺さったのか、そう言った瞬間、結斗の顔が、私が見てもはっきりわかるほど、怒りに歪んだ。
「性欲処理?」
怒りを孕んだその声に、一瞬恐怖が湧いたけれど、夕べの彼の強引さと比べたら、まだマシだ。
「違うの?
いつも週刊誌で取りざたされている女性の方々と私を一緒にしないで。
私は、好きでもない男に無理やりあんなことされて喜ぶような安い女になりたくない
それに、結斗判ってるの?
こういうのが一つ、表沙汰になれば、あんたの人気に影響出るわよ?
あんただけならまだいい!
一緒にがんばって来た“colors”のみんなだって・・・」
そう、結斗のグループ、“colors”のみんな、今までどれだけがんばって今の人気を築いたか、知っているつもりだった・・・
事務所でバイトしていた頃から、彼らの無名時代からずっと、ずっと、知っていたのだから。
それに、私の気持ち・・・男なんて・・・恋愛なんてもうまっぴらだ。
夕べ、結斗に抱かれたまま見た夢を思い出した。傷ついて泣いた、消せない過去。
「花奏?」
知らないうちに溢れた涙は、断じて結斗の行為のせいではない。あの忌々しい過去の恋愛のせいだ!
結斗の、私を気遣う言葉を振り払う様に、私は顔を上げ、精一杯に結斗を睨みつけた。
「誰かに無理やりあんなことされるのも、恋愛沙汰も、私はやりたくない!
私にっての恋は、伝えずに想っているだけで充分なの!
だから、あんなこと二度としないでっ!」
気がついたら感情のままにそう怒鳴っていた。他人に感情のまま言葉を発するなんて、想いを叩き付けるなんて、何年ぶりだろう?
「・・・わるかった・・・」
珍しく、結斗がそう謝った。
意外だった。
いつだって俺様で、勝気で強気、時としてわがままにさえ見える結斗が、素直に謝ってたのだ。
私はもう一度、結斗を見た。結斗は既に立ち上がり、帰り支度を整えていた。その表情を伺うことは出来なかったけれど、一瞬垣間見えた彼の表情は
まるで別人のように、哀しげだった。
その見たこともない表情に、一瞬、心が抉られるような気がした。
「頭、冷やすわ」
そう言って玄関に向かう彼の背中に、私は、なるべく感情を抑えながらいった。
「・・・しばらく、私、事務所に顔出すつもり、ないから。結斗もしばらく私の前に現れないで」
自分の感情のこともあるし、ことが表沙汰になったら厄介だ。
“結斗と、隼人の妹が・・・”なんて噂になった時、一番困るのは、結斗自身であり、兄なのだ。そして、私自身も。
けれど結斗はそれに応えず、“また連絡する。じゃあな”と、短い挨拶を残して、部屋を出ていった。
部屋の中には、微かに結斗の香水の匂いだけが、残った。それが余計に、落ち着かなさとやり場のない、怒りとも悲しみとつかないモヤモヤとした気持ちを、熾火の様に燻らせていた。
夕べ、あんなことになったのに、あっさりと帰ってくれたのにホッとした。その反面、一人残された部屋が、やけに淋しかった。
「っふっ・・・くっ・・・」
そのさみしさのせいか、結斗の行為のせいか、とめどなく溢れ出した涙を、止めることが出来なかった・・・




