第13話
昔、大学の頃。
初めて、兄でも、司さんでもない人を好きになった。
大学のサークルの先輩だった。
その時、私は愚かにも、彼の本心になんか気づかず、ただ、私の事を"好きだ"と言ってくれた彼に溺れていた。
長く思い続けていたのに、想いが報われない、報われる術のない司さんを想い続けるのに、疲れきっていた頃だった。
否、想いなんか報われないこと、判り切っていた。だからこそ、司さんから目を逸らした時、疲弊した私に手を差し出してくれたのが、彼だった。
初めて、異性から告白された。その時の驚きと言ったらない。
でも、司さんや兄とは違う、私と同じ年頃の男性が持つ、年相応の魅力に惹かれた。
タレント候補生ばかりが周囲にいた私にとって、私と同年代の、一緒にいて肩の凝らない、背伸びしなくても良い異性の彼と向き合っていると、まるで逃げ切れたような気持ちになり、ひどく落ち着いた。
その落ち着いた異性関係が、司さんへの思いとは違う、現実的な恋愛感情に変わったのはすぐで、いつしか、私もその人の事を好きになり、付き合い始めた。
当時は、あんまり先輩の事を好きすぎて、周りさえも見えていなかった。
恋は盲目、とはよく言ったもので、持ち合わせていたはずの、人を見る目さえも、曇って盲目になっていたのだろう。
付き合い始めて半年ほどたった時、私は、誰にも秘密にしていた、兄の事や、当時の事務所のバイトの事も、彼に打ち明けた。
私が、新堂隼人の妹だという事。私が今、バイトしている場所は、新堂隼人が所属する事務所だという事も・・・
それでも、彼は、私に対する態度を変えず、ずっと優しくしてくれた。
私の事を、"隼人の妹"としてじゃなく、"新堂花奏"として好きでいてくれている、と思った。それが何よりも嬉しかった。
でも、彼は、そうやって私との関係を崩さずに・・・巧妙に私との距離を縮めていたのだ。
付き合い始めてもうすぐ一年・・・という頃。
たまたまその日は、先輩の講義は全部休講、私の講義は午前中だけだった。
彼を驚かせたくて、彼のアパートへと行ってみた。
バイト先に行ってみたけど、バイト先に先輩はいなかった。だから、家にいる・・・と信じて疑っていなかった。
『来たい時にいつでも来ていいよ』
彼はそう言って、私に合鍵をくれた。それ位、私と彼の関係は親密だった。
呼び鈴を鳴らして、先輩が出てくるのを待ったけれど、先輩が出てくる様子はない。
でも、ドアの中から話し声らしきものが聞こえた。
「・・・・・」
私は、ドキドキしながら、先輩からもらった合鍵で、そのドアを開けた。
部屋の中には、先輩しかいないみたいで、先輩の靴があるだけだった。
でも、ドアが開いたこと、私が来たことには気づかないみたいで、部屋の奥から先輩の話し声が聞こえた。
話し声・・・携帯で、誰かと話している声だった。
"本気なわけないだろ? "
"確かに顔はいいよなぁ。スタイルもいいし、だから。最初は遊びだったし、身体目当てだったぜ。でも、疑いもせずに俺のものになったから、最近ちょっと飽きてきた"
この話・・・誰の事・・・まさか・・・
"え? 別れるわけないだろ?"
ふっふっふ、と先輩は卑しく笑っていた。私の前では絶対に見せない、そして私の嫌いな笑いだった。
"だって花奏って、あの新堂隼人の妹だぜ? で、花奏だって、今、ポラリスプロダクションでバイトしてるんだぜ!
上手くいけば、ポラリスのモデルとかともお付き合いできるかも知んねーじゃん。
ほら、最近デビューした茉莉香ちゃんもポラリスだしさ。もうちょっと花奏で遊んで、手懐けたら切り出して、茉莉香ちゃん紹介してもらって・・・"
話を聞きながら、心臓が嫌な音を立てた。
この一年近く、私が心底好きだった人は・・・私が、この世で一番毛嫌いする事を平気な顔をしてする人、だった・・・
そう思った瞬間、持っていたバッグが手からするり、と落ちた。
(しまった!)
そう思った時には遅かった。
「誰だっ!」
鋭い声とともに、先輩がおくから玄関へとやってきた。そして、私を見るなり、その顔色がさっと変わった。
「せんぱい・・・もう、あたし、先輩と、会わない」
そう言って、私は先輩に思い切り、合鍵を投げつけた。
「おい、花奏? 違うんだっ!」
お決まりなセリフを言いながら、近づいてくる先輩、でも、私は、その先輩に、私はついさっきまでの愛おしい感情を持てなくなっていた。
結局、先輩も、過去、私に近づいてきた人たちと同じ。
兄目当て、事務所のタレント目当てで、私の事なんか見てもいない。
他の人と一緒!
あわよくば利用できるだけ利用しようとする人だ・・・
所詮他人なんて、そんなもんだ!
先輩の部屋から駅へと道すがら、逃げるように走りながら、私は出てくる涙を止めることなど出来なかった・・・
(もう、絶対に誰も好きになんかなんない!
恋愛なんかたくさんだ!)
単なる友人でさえ、自分が利用されてる、と自覚してしまうのは、この上なく辛いし、傷つくものだ。私はそれまで、そう言った扱いを数えきれないほど、受けてきた。「隼人」の妹だというだけで。
そしてまた、心から信じ、大好きだった恋人にまでも、そんな扱いを、受けていたんだ・・・
もう、誰を信じたらいいの?
誰を、好きになれというのよ?
結斗に無理やり身体を拓かされた悪夢のような夜。
浅い眠りから目を覚ますと、結斗の逞しい腕の中にいた。
いつの間にか、ソファではなく、ベッドにいた。
シングルベッドで二人、恋人同士なら甘い夜のはずなのに。見ていた夢のせいか、気持ちが悪い。
結斗の腕は、とても優しく、何かから守っているように感じたのは、都合のよい錯覚だろう。
それ以上に、ずっと目を背けていた、思い出さないようにしていた大学時代の記憶を、リアルに思い出していた。
「・・・ひっ・・・」
抱きしめる結斗の腕よりも、思い出した記憶の方がおぞましくて、思わず声をあげていた。
「ん・・・」
次の瞬間、結斗が身じろぎした。起きるかと思ったけどそうではなく、まるで私にまとわりつくあの記憶から守るように、ぎゅっと私を抱きしめ直していた。
不思議と、その体温に嫌悪感は全く感じられず、酷く安心して、私は再び、眠りに落ちた。
その後、おぞましい過去の夢は、もう見なかった・・・




