第12話
最寄り駅で地下鉄をおりて、自宅マンションまでの道のりをのんびり歩いた。ほろ酔いで、楽しい気分で帰ってくる・・・筈だったのに。
兄に接近遭遇して酔いが覚めるは、突然告白されるはで、気分は微妙だった。
私の住むマンションの最寄駅は、若者向けのショップが入っているファッションビルや駅ナカが充実した場所にある。
けれど、駅から少し離れれば、地元の人向けの、現実的なショッピングモールが続く。もともと治安がそれほど悪くない場所、しかも歩いてすぐの距離なので、酔っ払った女が一人歩きしていても、それほど危険を感じたことはない。
ショッピングモールから一本、道に入るとマンション街になり、私が住んでいるのはそこの一つだ。
いつも通りの足取りでマンションの前に着いた。
ドアは、セキュリティーカードを入れて暗証番号を入力するものだ。そして、カードを入れようとした時。
(え?)
突然、人の気配がして、手が止まった。
びっくりして辺りを見回した時・・・
「花奏」
聞き覚えのある声で、名前を呼ばれた。見ると、建物の影から、よく見知った人が出てきた。
髪を隠すように被ったニット風の帽子と、夜に不似合いな、大きめなサングラス。迷彩柄のパーカーに七分丈のズボン・・・ちょっと見、柄の悪い若い子のように見えるけど、長年見慣れている私が見間違えるわけがない。
「結斗」
「・・・ようっ」
結人は私が気付くと、私に近づいて来た。ニット帽を被っているのは、金色のあの髪を隠すためだ。
その帽子を彼は前触れもなく外した。
夜の明かりに照らされた彼の髪が、不思議な色に輝いて、一瞬その光に目を奪われた。
それでも、彼がこんなところにいる不自然さと危険さが、すぐに頭をもたげた。
「どうしたのよっ!こんな所にっ!」
「話がある。ちょっといいか?」
そう言いながらも、近づいてくる彼の顔と、漂ってくる彼の香水と酒の臭いが鼻をついた。
「酔ってるでしょ?」
「隼人さんたちと飲んでた」
さっき、同じ店で兄と会った。あの店にいたということだ。
(結斗、危ないなぁ・・・)
結斗は酔っ払うとたちが悪い。酒乱とか、酔って暴れるとか、暴力沙汰を起こすとか、そう言うわけではないけど、酔っ払ってキャバ嬢をお持ち帰りした、とか、モデルの何某さんに酔って言い寄ってる所を写真に撮られたりと、面倒な騒ぎを引き起こす。
今も、女優さんやらモデルさんの間で、水面下で結斗を取り合って壮絶な女の戦いが繰り広げられていて、バラエティー番組でも、その二人と結斗の共演はNG、とまで言われている。
また、何年か前、お持ち帰りしたキャバ嬢に、情事後の寝顔を撮られ、ネットや週刊誌流出して大騒ぎになった。流石にその時に懲りたのか、表向きは騒ぎになる事は控えているけれど、水面下では何をやっていてもおかしくない。
「とにかくっ! 中入って! こんな所写真撮られたら大変でしょ?」
『Colorsの結斗、夜中に一般女性と密会!』
『その一般女性はジェネシスの隼人の妹で、某有名進学校の教師!』
なんて、週刊誌に写真が撮られたら厄介だ。
幸い、このマンションは、週刊誌関係者にはノーマークになっている筈だから、張り込んでいる雑誌関係者もいない筈。でも、ここで二人で話していたら目撃者を作りそうで、危険極まりない。ましてや、帽子を外して、あの派手な髪の毛を晒している結斗、それだけでも目立つのに・・・
私は、急いでマンションのオートロックを解除して、中に結斗を入れた。とにかくマンションの建物の中に入りさえすれば、目撃者を作る可能性も低くなる。
待機しているエレベーターに誰も乗っていなかったのが救いだ。そのまま酔った結斗をエレベータに乗せて、私の部屋の階を押した。
結斗の足は、少しおぼつかなくて、私の身体にもたれかかりそうになる。こんなところで倒れたら、女の細腕じゃ動かす事も出来ないだろう。とにかく結斗を部屋まで運ばないと・・・
部屋に入ると、結斗は、いつものようにどかり、と遠慮なくソファーに座り込んだ。兄と同居していた頃は、ここに司さんや結斗が遊びに来ることはあった。でも、兄を介さずに結斗が一人でここに来たことなど、ない。だいたい兄と一緒だ。そして兄と来た時も、結斗は遠慮なくあのソファーに座る・・・
「酔ってるでしょ? お茶でも飲む? あ、カフェインレスのコーヒー、あるけど、そっちにする?」
とにかく、酔っ払ってる結斗をどうにかしないと。さっきまで兄と一緒にあの店で飲んでいたのだろう。酒豪な兄や結斗が一軒で満足するわけ、ない。
でも、悪酔い状態で少し朦朧とし始めている結斗の酔いを覚ますのが先決だ。私は結斗にカフェインレスのコーヒーを淹れた。
「お前さぁ・・・」
口調が、いつも以上に俺様になるのも、酔っ払った時の結斗の悪い癖だ。こんな状態の彼に絡まれるとろくなことがない。
「何?」
少しだけぬるめに淹れたコーヒーを、結斗の前に置いた。そして、着替えるべく寝室のドアへ向かった。
「いつもそんな格好で仕事してんのか?」
「は?」
言われて、私は足を止めると、改めて、自分の姿を見た。
黒いジャケットに膝丈より少し長めの黒系チェックのフレアスカート。黒ぶちの伊達眼鏡、暗い色のシンプルなストッキング。髪の毛はおろさずに上の方で結い上げて、目立たない髪留めで留めている。どこも乱れていないし、普通の格好・・だと思う。
そこまで考えて、やっと思い当った。
結斗は、高校教師をしているときの私の姿を知らない筈だ。普段、結斗に会うとき・・・というより、学校関係以外のプライベートで出かけるときは、普段、顔を合わせている同僚教師や生徒が私をみても、「新堂先生だ」と気づかれないように、年相応の服装と、少しはっきりとしたメークをして、服装も少し華やかに、気を使ってゆく。
一方、学校で仕事をする時は、目立たない服装に眼鏡をかけて、ナチュラルメイク・・・兄達の事務所の人や結斗達が今の私を見ても、すぐに私だとは気付かないだろう。
すべて、兄と私の関係が世間に露見しないようにするため・・・露見すれば、嫌な思いをするのは絶対的に私だから・・・
「新堂先生」と、「新堂隼人の妹」は、別人じゃなきゃいけないのだ。全て、私が平和に過ごすために・・・
私は、秘密にしておいた自分の半分の姿を迂闊に晒してしまったミスに呆れて溜息をついた。
そして、観念して白状した。
「・・・そうだよ。これが、仕事してるときの私。
一応、私、高校教師だよ? 結斗達と会う時の格好で教師面できないよ」
学校以外に出かける休日は、年相応の、おしゃれなカジュアルなスタイルで、髪を下ろして、教師とは違う、兄そっくりな顔立ちに見合うメイクを堂々とする。その姿で街を歩いていると、時としてスカウトされたりナンパされたりと面倒な事になるけれど、まさかそんな格好をしている女の正体が、某有名進学校の教師だとは誰も思わないし、逆にそこまで堂々としてしまうと、たとえそっくりでも、"新堂隼人の妹"とはばれないらしい。(影では言われているかもしれないけれど)
兄達の事務所に顔を出す時もそうだ。モデルさんや兄達の手前、見劣りしない程度の、それでも会った人に不快感を与えないような服装をしてゆく。「隼人の妹」らしく。事務所関係者らしい服装をする。
でも、そんな私の考えなど、結斗は意に介していないようだ。
「ふぅん・・・
で、教師の癖に他の男の教師にお持ち帰りされそうになるんだ?」
「お持ち帰り? なによそれ?」
驚きの上に、さらに驚きが重なる。
「さっき、一緒に呑んでた男に言い寄られてただろ?」
さっき?・・・草野先生との事だ!
「あんな草食系な弱腰な男と付き合ってんのか?」
「改札まで送ってくれただけよ!他の人たちはみんな二次会に行くだとかで、一次会で帰るの、私と草野先生だけだったの!帰る方向も一緒だったし、送ってくれたのよ!
変な言いがかりつけないでよ!」
びっくりして、そこまで言うと、彼の纏う空気が、また少し変わった。怒りが少し、消えたような。
「それが何? そんなことで怒ってたの?
そんなことで・・・マンションの前で待ち伏せしてたの?」
「なぁんにも、なかったんだ?その何とか先生とは?」
「あるわけないでしょ!!」
「告白、されてたくせに? キスされたくせに?」
結斗の機嫌はまだ収まらない。
そう言われて、私は一瞬、返す言葉を失った。
「・・・見てたの?」
いい加減、私もイライラしてきた。こんな、私のプライベートな事で、結斗は私のマンションまで押しかけてきた、という事だ。マンションの前で彼を見たとき、滅多にない出来事に心配して損した!
でも、私の怒りなど、全く意に介さず、言葉をつづけた。
「・・・司さんの事好きな癖に、他の男に迫られても拒否んねぇんだ?
最低だな、お前!」
「そんなの、私の勝手でしょ?それに草野先生の申し出は断るわよっ! どうしてっ」
どうして結斗にそんなこと言われなきゃいけないのよっ!私のプライベートにずかずか踏み込まないで!
そう言おうとした瞬間、彼はソファから立ち上がり、つかつかと私の側まで来ると、言葉を紡ごうとしていた私の唇を、唇で封じた。
噛みつくようなキスだ。触れるだけ、なんて可愛らしいものではない。逃げようとする私を押さえつけて彼の舌が私の歯列に割り込んでくるような激しいキスだった。そんな息もつかせない突然な出来事に、私は反抗さえ出来なくなった。
それでも必死で結斗の腕から逃げて、結斗から距離を置いた。結斗は、悪びれもせずに私を酔っ払った目で見ていた。酔っていても彼の目力は健在のようで、その目力に、酔っ払った、なんとも表現しがたい色気が混ざっていて、背中のあたりがぞくり、とした。
なるほどね、世の女性たちは、結斗のこの視線にヤラれちゃうんだなぁ・・・まるで他人事のようにそう思った
「結斗っ! 酔っ払ってるでしょう?
あんたがいつも相手してるような表舞台の女と私、一緒にしないでっ!」
結斗のスキャンダルは、しょっちゅう週刊誌を華やかに賑わせている。どこぞのキャバ嬢をお持ち帰りしたとか、女優の何某と路上や駐車場でキスしてたとか、ドラマで共演している女優さんに手を出すなんて日常茶飯事だ。
それを言った瞬間、結斗の表情が変わった。
「ああ、酔ってるよ!
でも、本気だっ!」
そう言うと同時に、結斗は私の両腕を掴んで拘束すると、強引に引っ張ってソファに押し倒した。
「やっ! ちょっとやめっ!」
辞めてっ! そう言おうとした言葉は、再び結斗の口でふさがれた。そのまま結斗は、私の服に手をかけ始めた。
「ひっ!」
改めて結斗の顔を見ると、いつもの結斗の目の筈なのに、まるで小動物をいたぶる肉食獣のように見えて、再び体中がぞくり、と鳥肌が立った。
私の服を剥ぎ取ってゆく慣れた手つきに反吐が出そうになった。きっと、結斗はいつもこんな風に他の女の子を扱っているんだ!
やめてっ! そんな声さえもでず、体中が恐怖とそれ以上の何かで震え始めた。
それが、さらに彼の嗜虐心を刺激したようだ。結斗は勝ち誇ったように にやり、と笑った。
結斗の指が、唇が、私の素肌に触れ、這い始めるのと同時に、私は恐怖とそれ以上のトラウマに耐え切れず・・・悲鳴さえ上げられなくなった。ただ、結斗の行為になすすべなく流され・・・
そして、恐怖とトラウマに全てを占領されるのと同時に、意識を手放した。




