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第11話


やがで、みんな程よく酔っ払って、飲み会はお開きになった。


「二次会行くけど、みんなどうするー?」


落合先生がみんなに聞くと、この場にいる私を除いた全員が二次会参加だった。いつもだったら私も、二次会には出席しているけれど、今日はとてもじゃないけどそんな気分になれなかった。


この同じ街の、同じ空の下の、どこかに司さんが・・・そう思うだけで、平常心などどっかに行ってしまいそうだ。


こんな状態で下手に泥酔したら、トップシークレットな私と兄のことを喋ってしまいそうだ。


「ん・・・今日は辞めとくね」


私がそう言うと、みんな意外そうな顔をした。


「えー珍しいね!どうしたのー」


他の人たちがそう騒ぐ中


「俺もパス。明日、朝から用があるんだ」


草野先生もそう言った。


「あ、部活?」


「ああ。明日午前中から練習だから」


「そっかー、試合だって言ってたもんね」


草野先生は、バスケ部の顧問をしている。聞いた話だと学生時代ずっとバスケをやっていたとか。


科学の先生で、普段は白衣姿に眼鏡をかけて、典型的な理科系の雰囲気なんだけれど、部活の時になるとジャージ姿になる。そのギャップと鍛えられた筋肉・・・俗に言う細マッチョ姿がたまらない・・・とは女子生徒が話していたことだ。


店を出る時、例のVIPルームは空いていて、見覚えのあるスタッフさんがぞろぞろと部屋を出てきているところだった。そのスタッフさんに混ざって、司さんもいた。


(あっ・・・)


思わず声に出てしまいそうになった。


目立たない服とメガネで、一瞬誰だかわからない。でも、長いこと兄たちや事務所に関わっていた私が、彼を見間違えるわけがない。


司さんは、私に気づくこともなく、スタッフさんと何か話をしながら店から出て行った。


(・・・・・・)


その後ろ姿を見ながら、また涙腺が緩みそうになった。


たとえ司さんが、今の私を見たとしても、司さんは花奏だと気づかないだろう。


今の私は、完全に教師姿をしている。普段の“隼人の妹”としての花奏しか知らない人が私を見ても、気づかないだろう。


(・・・・・)


その現実は、いつも、心を重たくする。


気づいて欲しい・・・いくらそう思っても、教師姿に、文字通り“変身”している私を彼が気づくわけがない、というのも重々分かっているつもりだ。


そのジレンマは、いつも私の心を重たくする。


 私の手は、自然に耳に飾っているムーンストーンのピアスに触れていた。


 昔、司さんがプレゼントしてくれたものだ。


 そのムーンストーンは、少しひんやりとしていて、私はその感触で現実を取り戻した。


そうこうしている間に、兄たちのいたVIPルームは、人がいなくなり、代わりに店員さんが入り、 部屋の片付けをしていた。兄達はもうここにはいない。


その状況に心底ホッとした。司さんとは接近遭遇は大歓迎だけど、兄とは遠慮したい。


でも、兄たちがこの店一軒で満足してお開きにするとは思わない。楽しむ時も酒を飲む時も、とことん楽しむタイプの人達だから。


 私は、兄たちがいたVIPルームから目を逸らし、二次会はどこにする? とわいわい騒いでいる仲間の背中を見ながら、店を出た。


「二次会出ないで正解かなぁ」


下手に二次会会場まで被ったらもっと面倒だ。


「なんか言ったか?」


二次会集団たちの背中を見送りながらそう言ってしまったせいか、草野先生が不思議そうに私の顔を見た。


「え?あ? 何でもないですっ!」


「そうか?

・・・でもなんか顔が赤いよ?酔っ払った?」


「だ、大丈夫!」


慌てて取り繕ったけど、不自然だったかもしれない。でも、草野先生はそれ以上、何も言わなかった。


店の前の通りに仲間はもういなくて、心地よい空気が漂っていた。その空気は、多少酒が入って火照った身体と、酔いとは違うテンポで高鳴る鼓動を、少し、鎮めてくれた。


「じゃ、私これで・・・」


 全てを断ち切るようにそう言うと、草野先生は自然に、私の方を見た。


「心配だから・・・近くまで、送るよ」


「平気ですよ! そんなに酔ってないですよ」


実際、私の住むマンションは、ここから割と近くで、最悪タクシーが拾えれば簡単に帰れる。タクシーに乗れなくても、地下鉄で二駅ほどで帰れる場所だ。この、地下鉄路線が発達した大きな街で地下鉄で二駅、という距離は歩いても十分たどり着ける距離だ。


「そうか」


目の前に草野先生がいるにもかかわらず、私は帰ることを考えながら、タクシーで帰ろうか地下鉄で帰ろうか、一瞬悩んだ。時間的には地下鉄で十分帰れる時間だ。


「花奏先生?」


「はっ?」


気が付くと、隣に立つ草野先生が、肩が触れるほどの至近距離にいた。学校内でさえ、こんな近くに立つことはない。この距離感に緊張と戸惑いを感じながら草野先生を見ると同時に、彼は私の手首を掴んだ。


「駅まで送るよ」


掴まれた彼の手にぎくり、としたけれど、草野先生は平然と歩き始めた。


心なしか、先生の声が硬い様な気がした。駅までは歩いてすぐだ。突っ込んだ話ができる程、時間はかからない。


「花奏先生?」


「はい?」


歩き始めて、外の少し冷たい空気に晒されると、身体の熱も心臓の音も随分落ち着いた。


「さっきの人、本当に、お兄さん?」


「えっ?」


さっきの人・・・突然乱入した兄のことだ。


「いや、最初見たとき、花奏先生の彼氏かと・・・」


突然あり得ない様なことを言われて、私は返す言葉を失った。


そのせいか、私と草野先生の間には奇妙な沈黙となった。


「・・正真正銘、私の兄。あんまり似てないの」


実際、眼鏡をかけた教師姿をしている私と、溢れて有り余るタレントオーラを変装でカモフラージュしている兄が並ぶと、とても兄妹には見えない。


素顔はそこそこ似ているけれど、私の方が学校で教師姿をしていると、全然似ていない。


「兄は・・・ちょっと華やかな業界で仕事をしてるからね・・・」


まるで弁解しているみたいで、気分が悪かった。素顔の私と兄はそっくりなのだけど、私はそれを隠して生きている。ううん、隠して生きることを私が選んだのだ。


兄もそれを理解してくれているので、辛うじてバランスを保っている人間関係だ。


「そうか・・・」


私がそう言うと、草野先生は、少しホッとした顔をした。


「?」


その表情を不審に思いながらも、見ないふりをしていると。


「じゃ、俺が立候補しても問題ないかな?」


「えっ?」


草野先生のその言葉は、本当に突然だった。


彼は足を止めた。ちょうど目の前には地下鉄の入り口がある。けど、彼が足を止めたのは、目的地についたから、だけではない。


奇妙な予感がした。瞬時に、この場から逃げ出したくなる様な・・・


「俺、花奏先生が、好きです」


まっすぐな目で、心なしか、優しさと緊張感が混ざった眼差しが、ひどく痛く感じた。


嫌な記憶が、苦味と一緒に喉の奥からこみ上げて来る様な・・・


「花奏先生?」


名前を呼ばれたけど、私はそれに答えられなかった。ただ呆然と、立っているだけだった。


「・・・あの、急でごめんな。

さっき、お兄さんにあった時、本当はお兄さん、花奏先生の恋人かと思って、すごいショックだったんだ。」


「あ、あのっ」


戸惑いを隠せないまま、続かない言葉を吐き続ける私の頬に、草野先生は


「っ!」


軽く、触れるだけのキスを落とした。


あんまり急な出来事で、頭が彼の行動についていかない。


ただ呆然としていると、彼の声が聞こえた。


「返事は、急がないから。

でも、長くは待てない。


知ってるだろ? 俺、1学期が終わったら、アメリカ行くからさ」


「あっ・・・」


うちの高校は、アメリカに姉妹校があって、何年かに一度、人事交流として、教師もその姉妹校に赴任する。去年その募集があった。


私も応募したけれど、私は落選して、草野先生は赴任が決まった。

まだ、生徒には公表されていないけれど、彼にはもう内示が出ているのだ


一学期終了時、夏休みに移動するのは、現地の学校の新学期と時期を合わせるためだ。


「俺がアメリカに赴任するまでに、返事が欲しい」


まっすぐに私を見つめてそう言うと、彼は、それじゃあ、と言って去って行った。


私は何も言えず、去ってゆく草野先生の後ろ姿を見送るしか、できなかった。


草野先生は背が高くて、知的で真面目な雰囲気のカッコいい先生だ。女生徒にも人気がある。生徒だけじゃない、同僚の女性教師や保護者の間でも、信頼のおける人、として人気だ。かく言う私も、恋愛感情はないにしても、決して嫌いではない。でもそれは同じ仕事をする仲間として、同じ教師としてで、それ以上のものではない。


でも彼は・・・私の正体を知っても、私のことを好きでいてくれる?


私の兄が、人気アイドルにして俳優、新堂隼人だとしても?


私は以前にも何度か、友人や彼氏にそのことをカミングアウトして、人間関係や恋人同士の関係を微妙にしてしまったことがある。それも1度や2度ではない。


兄が悪いわけではない。ただ、兄のことをカミングアウトすると、みんな私のことを、“新堂花奏”としてではなく、“新堂隼人の妹”としてみるようになる。私が見ても、はっきりとわかるほど、態度が変わる人もいる。


そして、“芸能人の家族”のおこぼれをあずかろうとする・・・


やがて、兄と同じ事務所の俳優さんやアーティストさんに会わせろだとか、サインをもらって欲しいだとか、ライブチケットをとって欲しいとか・・・


私にはそんな権限ないのに。


“新堂隼人と比べられるのは、男として耐えられない。あんなかっこいい凄い人と、四六時中一緒に過ごしてるんだろ?


俺なんて何やったって、新堂隼人には敵わないもんなぁ〜

花奏さんだって、心のどっかで新堂隼人と俺、比べてんだろ?”


そんなことを言われて振られた事もあった。

兄と誰かを、恋愛対象として比べた事などないのに。


私の素性が明るみになると、みんな私の事など見なくて、私の素性と、その推測で私を見る。みんなそうだ。だから、その先入観と私の実像が違っていてもそうでなくても、最終的には人間関係が粗悪になったり、微妙になる。


そんな場面に、私は何度も遭遇して来た。


「もう・・・あんな思い、したくないんだけどな」


そう独り言を呟くと、私は地下鉄に乗るべく、階段を降りていった。彼とは反対方向へと向かう地下鉄。彼は既にさっき来た地下鉄に乗って帰って行ったのだろう。反対車線のホームには人影がない。


おかげで、一人でゆっくり考える時間が出来て、ホッとした。


駅に滑り込んで来た地下鉄に、私も乗り、出入り口のそばに寄りかかった。地下鉄なので、窓の外を見ても、外の景色など全く見えない。


「断ろう・・・」


気がつくとそう呟いていた。彼が嫌いなわけではない。同じ職場の先輩として尊敬している。でも、異性と付き合って、楽しかった記憶がない。大概、兄のことを話すと、相手との関係が微妙になって、最終的には別れることになる。最後にそれを体感したのは大学時代。それ以来、恋愛などしたいとも思えない。


胸の内で想う存在など、司さん一人で十分だ。それ以外の恋愛は、今は欲しくない


もしも、誰かともう一度、恋をするなら・・・私の素性を話しても、変わらずに接してくれる人がいい。


大好きな人との付き合いが、私の素性のせいで粗悪になるくらいなら


「一人で生きてる方が、気楽だよ・・」


過去の苦い思いを断ち切る様に、そう呟いていた。




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