第9話
「リア充」
そんな言葉がある。
実際の現実生活が充実している、という意味で、部活とか、友人関係が上手く行っていること。転じて恋人づきあいが上手く行っている人のことを指す・・・らしい。ようするに、恋人とラブラブな状態の人も「リア充」という。
こと、恋愛に関してだけ言ったら、私の現状は“リア充”とは程遠い。
派手な仕事をしている兄を持っている割に、私の日常生活は、至って淡白で平凡だった。
「じゃあ、プリント配るから、次の授業までにやっておいてください。
あと、次回は今週やった授業の小テストやります」
授業の終わりにそう言うと、クラスの生徒の数人が嫌そうな顔をしたけれど、他の人はそれを普通に受け入れて、配布した宿題プリントに目を通している。
進学校の3年生のクラスは、大概こんなもんだ。小テストも抜き打ちテストも日常茶飯事。授業内容は大学受験に即したことがメインだ。
この四月から、その3年生の受験生のクラス担任を任されるようになった。去年よりも忙しさが増え、毎日が充実している。
そういう意味では“リア充”と言えなくは無い。
でも、例えば今時の女子高生のような、放課後お友達と、これからどっか行こうか?と相談している子や、部活に励む子達と比べたら、至って淡々とした生活だ。
それを不満に思うことは無い。元々華やかな世界はあまり好きでは無いし、友人付き合いもどちらかと言えば希薄な方だ。
子供の頃、同学年の女の子より、兄達と遊んでいた時期が多かったせいか、兄がいなくなった後、他の女子と遊ぶのに抵抗を感じていた時期が長かった。女の子と、どうやって接していいかわからない時代もあった。結果、自分でも、他人との付き合いが悪いかな?という自覚はある。
高・大学時代の友達で未だに連絡を取っている人など、年々減りつつある。
かと言って女友達が皆無、というわけでもない。
とりあえず今は、同じ職場の女性職員の皆さんが、私にとって、一番近くにいる“女友達”に近い存在だ。
淡々とした日々だけれども、楽しいことが皆無、というわけでもなく、そんな中でも、そこそこ話すことのできる女友達と、そこそこの楽しみを見出している。
こういうのを、世の人達は“順応性”と言うのだろうか?
「新堂先生」
隣に座っている落合先生が話しかけて来た。落合先生は、三年生の学年主任もしている、国語の先生だ。
「今日、忘れてないでしょ?」
「はい!大丈夫です!」
「七時だからね」
「はい」
今日は金曜日。先生同士の飲み会がある。
しかも、二日前、私の誕生日で、仲良しの同僚教師達がこの週末に、お祝いに、とセッティングしてくれたのだ。
残業にならないように、いつもより急いで仕事を済ませている途中、ふと少し離れたところにあるテレビでは、夕方の報道番組がやっている。そこには司さんが映っていた。
夕方の報道番組の司会をやっている司さん、この仕事が決まった時、アイドルとして、それは異例のことで、世間では大騒ぎになった。
“アイドルにキャスターなど出来るのか?”“所詮売名。そこまでして芸能界にかじりつきたいか” などなど、司さんは、歓迎は程遠いことをたくさん言われた。
でも、彼はこの報道番組をきっかけにイメチェンを果たし、王子様風アイドルの容貌と、キャスター風の知的な雰囲気、二つを持つ稀有なアイドルとなった。そして、これをきっかけに、ニュース離れしていた世代の人がニュースを見るようになったらしく、その効果は絶大だった。この時間帯の報道番組の視聴率を、かなり塗り替えたらしい。
「あ、司のニュースやってるよ!」
「かっこいいよねぇー!」
「それにスーツがいい!すごい似合うよねー」
職員室に来た女生徒が、小さい声でそう言っていた。
そんなひそひそ話をBGMに、私の視線はテレビの向こうの司さんから目が離せない。
もうすぐ終わるデスクワークさえも続きができないまま・・・
先日あった司さんは、もっとラフな格好をしていて、私がよく見知っている司さんだった。けど、今、テレビでニュースを読んでいる彼は・・・
(やっぱりカッコいいよなぁ・・・)
心臓の音が、痛い。
この前は、あんなに近くで雑談した筈なのに。その後は兄たちも一緒にご飯食べたりもしたのに。
今テレビに映っている彼は、とても遠い存在で、カッコ良いのに、素敵なのに、悲しくて泣きそうになる。
(・・・・っ・・・)
一瞬、視界が涙で歪んだ時。
「新堂先生!」
突然声をかけられて、驚いて、流れ出しそうになった涙が引いた。
「は、はいっ!」
慌てて返事をすると、そこには草野先生が立っていた。化学担当の男性の先生だ。彼も今日の飲み会に出席する人だ。
「大丈夫か?」
「え?」
「いや・・・なんか泣きそうな顔してたぞ?」
テレビで司さんが報道しているニュースは、そんな涙を誘うような内容ではない。
それなのに、テレビを見ながら泣きそうな顔をしていたから、草野先生が心配したらしい。
「な、なんでもないですよ! 仕事、終わらせなきゃ。
草野先生は・・・部活は?」
草野先生はバスケ部の顧問をしている。毎日、放課後は時間が許す限り練習の指導をしている。
「今日はこの後自主練。俺もそろそろ出るけど、新堂先生は?一緒に行きましょうか?」
「あ・・もうちょっとかかりそうです。でも集合時間には間に合わせますから!先に行ってください」
しまった。心の中で溜息をついた。
司さんに見惚れて仕事が進んでなかった。そんな事、草野先生には絶対に言えない。
「新堂先生はいつも仕事熱心だな
でも、今日くらいはもう少し肩の力を抜いても良いんじゃないか?」
そう言って、彼は”お先に!”といって、職員室を出て行った。私と話をしながらも、帰り支度をちゃっかりしていたようだ。
「私も急がなきゃ!」
残った雑務を進めながらも、耳や目は、時折テレビ越しに司さんの姿を追ってしまい、思った以上に時間がかかってしまった。
やっと雑務が終わって職員室を出る時、もう司さんの報道番組は終わりに近づき、最後の天気予報と、エンディングトークを、共演者の気象予報士さんとにこやかに交わしていた。
職員室には、既に今日一緒に飲むメンバーはいなかった。みんな早々に仕事を切り上げてしまったようだ。私が最後かも知れない。
「やっばーい。急がなきゃ!」
そう言いながらも、テレビの向こうの司さんのトークを最後まで聞いてしまった。
“それでは、また明日。”
最後の締めの言葉まで聞き届け、司さんの笑顔を見ながら、私は気がつくと、耳に付けてあるピアスを指先でそっと触れていた・・・
昔、司さんがくれたピアスを・・・
(司さん、またね)
テレビの向こうの司さんに、心の中で囁いた。




