小説投稿サイト俯瞰記
「うぅーむ、誰か力の持った作者が、此処に乗り込んで参戦してこないかなぁー」
私は直接的利益受容者なので、このサイトを常に管理監視する立場にある。
この世界には沢山人は居るが、真に力を持った人は極小である。
更に言えば、私の現在展開しているビジネスに適合する力、そして持っていても力を貸してくれる人になると、星の数は途端に一等星よりも少なくなる感だ。
まあ、気軽に気侭に適当に、ここは小説を見れる場だ。
私の手足も趣味の一貫で此処を見ている人が沢山居る、そういう中で情熱的に”この人を押したいですぅ!”なんて言ってくる奴が偶に居る。
それはとても費用対効果が高いのだ。
基本的に労働意欲なんてみんな高くないのだ、それを引き上げれるだけでメッケもの。
まあつまり、思い入れの作者を担当できるなら休日返上もサービスなんたらげふんげふんも、惜しまない、惜しみませんと、自動的に動いてくれる状況が自動的に整うのがこの場であるだけの話。
まあ小説大賞とかを盛大に行って作品を集められない弱小出版社の、ゆるやかな連合体みたいな感じかね、なんかまとめて言い表した感があって非常に心地よい。
お電話だ、どれどれ。
「なんだね、私に何かようかね、うむ、おお、面白そうな作品があるから、俺が売ったるでぇ? いいよいいよ、いけるいける、いけるっしょ!やってみいや! お前にすべて任せ足るでぇ、ほなさいなら」
超手短に適当に切る。
こんな風になるのだ。
作者の、または担当の自費だろうと、数撃ちゃ、撃てれば、何となく程度で絶対に確立で当たる世界なのだ、隙間産業的なアレである。
さっきの話みたいなのを続ける。
とにかく私達は、今までに無いような、またはアレンジを加えて独創性や確実なオリジナリティーを感じれる物に価値を見出すのだろう。
なんで、そんなに自分がコレを超重要視するのか、直感でなく客観的に考えてみよう。
最近言われる個性が大事というのも、最近言われ始めるに至った経緯があるのだろう。
情報化社会の進展により、昔のように皆が同じような、画一的な娯楽を嗜む傾向が緩和された。
だから、ずば抜けた個性を持てる環境が整い、さらに人間的個性派自体の絶対数も飛躍的に増大し、全体の中で異端視されず好意的に受け入れられるようにもなった。
まあ付加価値するのが、商売の大前提みたいな時代、そういう流れは必然だったのだろう。
そういう流れの中で、個性を高める娯楽が、自己投資的な啓蒙、その為の情報、その価値が飛躍的に上がったのだろう。
そんな風なので、作品、物語は個性的であれば、それだけで価値があるように見えるのだ。
それは人間も同じであろうね。
そういう訳だったのだ。
その為のこのネット上の小説投稿サイトだ、とは一口には言えないだろうね、それ以外にも沢山の要素が散りばめられていて、一口には語りつくせそうにない。
とにかく、今までに無い真新しいモノかどうか、それを敏感に察知するのは、やはり最先端の娯楽を鬼集する世代だろう。
それに対応する為に、ここでは日々、知恵と持てる力を全て結集した感じで、沢山の娯楽が沢山の作者によって生み出されている。
この場で生み出される情報は、一つ一つにまでは、ハッキリ言って価値が無いかもしれない。
だがでも、全体として見れば、もの凄く価値があるようだ。
それはなぜかと言えば、酷く曖昧で難しい、統計や収集の仕様が限られる、”現在の流行”というのをソコから感じれて、察知する為の情報になるからだろう。
そういう現在の、一過性に過ぎないかもしれないが、確実に真剣に作られた、作品という土台の上で語られた、作者が信じる流行。
それを見れる場、そして価値ある流行だけが脚光を浴びて生き残り、淘汰の果てに、真に価値ある流行が確立される場、と大言壮語を厭わず発言していいなら、私はそこまで言ってしまいたいね。
まあ、流行に沿うのが、最も尊ばれるような、気軽な乗りの、半分遊び場みたいな敷居の低い場所。
ちょっと卑下しすぎかもしれないが、瑞々しい感性を持った学生や、それに混じった学生気分の抜け切らない活き活きとした社会人とか、そんな即興的に即物的に楽しい面白い可笑しいと思える人が集う場所だとしたら、人が集まるのは道理なのだろうかね。