戦略2・探偵はどこにいる
前回、ケイシー投擲事件を無事解決したエイプリル。今回は、新たな事件に首をつっこむ最短ルートを考えた。探偵とお友達になればよいのだ。
エイプリルお嬢様が、思いつきであれこれおっしゃることは慣れております。しかし、その大半が面倒なことです。
「アウグスト。ラドミールという探偵を探して欲しいの」
水色の淡いカラーのドレスをお召しになっている、見た目だけなら美しく可憐なお嬢様。しかしその口調はどこの女王だ、と言えるくらい高圧的です。
「探偵ですか? エイプリル様が探偵に頼りたいなんて、驚きですねー」
「頼らないわよ」
そして小馬鹿にしたように(実際は大馬鹿にしていらっしゃるのでしょうが、あくまで小馬鹿にしている、という風を装ってくださるエイプリル様はマジ天使、というやつです)自室の椅子に腰掛けたまま、お気に入りのクランベリーパイをつまみつつ、キラキラしたアイスグレーの瞳を向けてきます。夕焼けがお嬢様のプラチナブロンドをブロンズに染めております。
「こんな屋敷や学校にいるだけじゃ、早々事件なんて起きないわ。ぜいぜいケイシーを投げられるくらい」
本日もお嬢様の傍らに鎮座している人形のケイシー。相変わらず痛々しい姿です。
「で、探偵とお友達になれば、毎日のようにワクワクする事件に遭遇できる、っていうのが、あの辺の本にもよく登場するわけ! 事件に出会いたければ、そういう立場になればいいのよ!」
ミステリー小説だらけの自慢の書架の、ざっくりした位置をくるくると指差します。
本に影響されやすいあたり、まだまだ九歳の子供だな、とは思うのですが、自分から事件に巻き込まれたい、なんて薦められるものじゃありません。
もし知られたら旦那様になんとお叱りを受けるか。
しかし、迷うことはありません。お嬢様に何かあって旦那様に叱られる前に、これを断れば私の命が危ない気がするのです。
エイプリル様の言うことは絶対、というのが、私の執事としての唯一最大のモットーなのですから。
「かしこまりました。探して参ります」
まったく、こんなにも自ら寿命を縮めたがる九歳児、世界中どこを探したっていないでしょうね。
教えられた探偵事務所へ行き、ラドミールさんにお会いしてきた私は、さっそくエイプリル様にご報告です。
「この謎を解いたら、友達になるのもやぶさかではないと言われました」
封筒を、エイプリル様に手渡します。赤い封蝋の捺された、薄茶色のものです。中には謎の書かれた文章が入っております。
「まぁ! なんとも探偵らしいわ。素晴らしい。さっそく解読をしないと」
丁寧に封蝋をはがし、中の紙を凝視します。
そこまで言って、エイプリル様は言葉を止めました。
真剣に、キラキラした瞳で謎解きをする姿は、無邪気そのものでございます。
「ところでどんな内容です?」
エイプリル様は、ふっ、と小馬鹿にしたように笑うと、封筒ごと紙を渡してきた。
探偵事務所から2Hにある、蜃気楼が生まれる場所
書かれているのはそれだけだった。
「簡単には、友達にはなってくれないようね……」
「お嬢様ですら、難しいとおっしゃる?」
「あちらは本業だものね」
いささか悔しそうに下唇を噛んで握りこぶしを太ももに打ち付けている。いささか、ではなく、かなり、のようです。
「まずは、2Hからですね」
「は? それは簡単でしょう。初心者向けよ、これは」
言葉を言い終える前にバカにされてしまう。仕方ないですが、エイプリル様は気が早い。
「地図を持って来て」
エイプリル様の指差す自慢の書架には、地図もあるらしい。私がそれをいそいそ持ってくると、エイプリル様はラドミールさんの探偵事務所の位置を指差します。
「Hは、hour、時間ね。つまり2時の方向ってこと。ミステリーの基本の暗号よ。そんなことも……」
またも罵倒されそうだったので、私は慌てて地図に指を置きます。
「2時の方向に進んでいくと――海ですね」
探偵事務所からさほど遠くない位置に、大海原が広がっております。
「蜃気楼が生まれるのは海上ですよね。てことは、海の上で待っているんですかね」
冗談で言ったのに、またもエイプリル様の氷の視線をぶつけられました。蒸し暑い季節ですから、それもまた涼やかでよろしいですね。
「蜃気楼……蜃気楼……」
ぶつぶつ呟くお嬢様。
私がお会いしたラドミールさんのことをお伝えしましょう。
「エイプリル様、本当にラドミールさんとお友達になりたいんですか? 実際お会いしましたけれど、結構辛気臭い……いえ、神経質そう……うーんと」
言葉を選ぼうにもなかなか、良い言葉が思いつきません。
「あたしだって会った事あるわ。言葉は交わしていないけれど。女性から声をかけるのはいけないことだもの。だからアウグストに頼んだのでしょう? それに、探偵と言えば、はかなげで、センシティブで、口数が少なくて、色白で……」
延々理想の探偵像を口にしております。あんなひょろい男のどこが良いのでしょう。
少々不潔ですし、長い髪がうっとおしそうですし。というか、どこの小説を読んで、そんな探偵像を思い浮かべたのでしょうか。
「うーん、難しいわ!」
エイプリル様は、背もたれに寄りかかり、椅子の上で両手両足を伸ばします。そして、予想通り、後ろに盛大に倒れてしまいました。
思わず、ぷっ、と笑いそうになります。そんなことをしたら、次のケイシーは私になってしまいますから、死んでもポーカーフェイス!
エイプリル様は気まずそうにすっと立ち上がり、何もなかったかのように椅子に座りなおしました。しかし、耳や首まで真っ赤です。なんとも愛らしい。
「蜃気楼についてあれこれ調べたいから、しばらくひとりにしてちょうだい」
上ずった声は照れ隠しでしょう。
無理矢理外へ追い出されてしまいました。
「あ、あのー……。なるべく本日中、早めに来いとおっしゃっていましたが。それとお夕食は?」
扉の向こうへ話しかけるものの、エイプリル様からお返事はありません。こうなったら、もう誰が何を言っても無駄ですね。おなかがすいたら、勝手に食堂に下りてくるでしょう。
ひとつのことにしか集中出来ないあたり、まだまだお子様です。
翌朝、私は食堂に下りてこないお嬢様を心配し、朝食を持ってお部屋へ伺いました。
「エイプリル様―、朝でございますよ」
しかし返事はない。トレイを片手に持ち、そっとドアを開ける。
分厚い書物を枕に寝ていらっしゃいました。
もちろんこのハイパーイケメン執事のアウグスト。一晩中扉の外で様子を窺っておりました。早い段階で部屋から物音が消えたので、私がこっそりお部屋に入りランプを消しました。エイプリル様の集中力なんてこんなものです。寝相も昨晩のまま。考えすぎて疲れたのでしょう。けれど勝手にベッドに移したら、部屋に入ったことを知られ、旦那さまにあることないこと報告されては困ります。
なので、放置。ブランケットをかけてあげた優しさは皆様に知っていただきたい。
それにしても、とってもキュート。
寝顔は天使。これを見ると、日ごろの罵詈雑言を忘れてしまいそうです。いつまでも眺めていたいですが、そうも参りません。
「エイプリル様、起きてください。今日は良いハマグリを頂いたから、バターでソテーしてみたんです」
私は料理も好きなので、お嬢様のために作ることもよくあります。誰に作ってもらった食事より、喜んでくださっている……と、信じております。
「んー……朝? 珍しいわね、ハマグリなんて……」
半開きの目から覗くアイスグレーの瞳が、私の手のハマグリに向けられます。貝殻がついたままの状態で、香ばしく湯気をあげております。
「あー!」
突如、何かひらめいたように口をぽっかりあけます。
「蜃気楼が生まれるのは、ハマグリなのよ」
目をキラキラして説明するエイプリル様。何をおっしゃっているのか。そんな呆けた様子の私に、苛立ちながら優しく説明してくださいます。
「蜃気楼は、大きなハマグリの吐く気によって生まれる、という言い伝えがあるのよ。だから」
寝起きでぼんやりした様子はどこへやら、エイプリル様は地図を颯爽と広げます。机の上の沢山の書物は丁寧にベッドに放られます。これが本でなかったら、床に放られているのだから、いかにお嬢様にとって本が大切かわかりますね。
「ラドミールの事務所から2時の方向にあるこの海岸。干潟になっていて、ハマグリが取れるのよ。彼はここにいるわ!」
朝食に手もつけず、着替えもせず、エイプリル様は部屋を飛び出しました。謎解きが絡むと前後見境がなくなるのが、良いところであり悪いところです。
干潟となった海岸沿い。しわしわになった水色のドレスの裾を私が持ち、お嬢様はお高いブーツを泥まみれにします。また靴職人を呼ばねばなりませんね。
「アウグスト、ドレスの裾汚さないでね! ラドミール! どこにいるの! ここにいるのはわかっているのよ!」
エイプリル様がはしたなく声を張り上げます。今はハマグリの旬でないことが幸いして、人は見かけません。そこにあるくたびれた漁師小屋から、ひとり、漁師らしからぬ風貌の男が出てきました。
「お前か、エイプリルってのは」
もそっとした声の主。彼は疲れたように、猫背でこちらに歩いてきます。寝起きのようですね。昨日私があったラドミールさんよりやつれております。
色白の肌、ボサボサの金髪はくせっ毛。緑の瞳がこちらを凝視しております。きっと、顔は整っておりますし、私と同じくらい若いのですが、雰囲気がそれを邪魔しているようです。
「あなたが、ラドミール?」
「遅い」
ぴしゃり、と短いながら澄んだ声がエイプリル様の動きを止めます。おお、凄い。
「昨日のうちにって、言ったのに。一晩中……」
「ハッキリしゃべりなさいよ!」
でも、すぐ自分のペースに持ち込むところはさすがです。
「こういう、センシティブなタイプがいいとおっしゃったのはエイプリル様ですよ」
私がとりなすと、エイプリルは不服そうに、しかし自分の発言を思い出したように口をつぐみました。しかしラドミールさんは、吐き捨てるように続けて言いました。
「不合格。こんなに、時間がかかるなんて。お子様のお守りは出来かねる」
「あたしをお子様扱いするのはやめて」
ドレスの裾を私に持たれ、身動きのとれないエイプリル様はその場で体を揺らして文句を言います。
「うるさい。今回はダメだ。俺とお友達になりたいなら、知識を増やして、一人ですぐここに、来られるようにしとけ」
ラドミールはそれだけ言うと、ふらふらと干潟から出て行きました。
「あの人、何言っているのかしら? ドレスを持つ人間は必要よ?」
「そうですよ。それに、こんなに愛らしいお嬢様をおひとりで出かけさせるなど、私には出来ません」
その言葉に、エイプリル様は嬉しそうに頬を染めます。こういったストレートな言葉に弱いのはわかっております。なんとも可愛らしい。
しかし私は年上女性が好みですので、私を誘惑しても無駄ですよ。私を好きと言ってくださる年上淑女に出会うまでは、この純血を守るのです! しかし、年上といっても上すぎるのは嫌です。出来れば、五歳~十歳上くらいがベスト!
……ま、そんなことはさておき。
やはり、お嬢様は落ち込んでいらっしゃいます。根拠のない自信のあった謎解きで、遅い、と強烈なダメだしをされてしまったのですから。
「また……挑戦すればいいですよ」
「そうね。ああいう相手、やりがいがあるわ」
強引に元気を取り戻し、腕を振り回しそうな勢いのエイプリル様をなだめます。
「帰りましょう。朝食、温めなおしましょうね」
私たちは再び屋敷へと戻ることにしました。
旬じゃないハマグリ、探すの苦労したんですよ。そんな苦労、お嬢様は知らなくて良いのですけどね。
了