書記は、喉まで出かかった言葉を飲み込む
会議には、
発言していい空気と、
してはいけない空気がある。
この城の会議では、
発言してはいけない空気のほうが、
だいたい多数派だ。
そして今日は、
その境界線が、
少しだけ曖昧になった日である。
書記は、会議室の隅でペンを握っていた。
――まずい。
理由は一つではない。
議題が噛み合っていない。
意見が循環している。
同じ言葉が、言い換えられただけで往復している。
そして何より――
(全員、それを分かっていて話している)
それが一番、きつかった。
結論が出ない会議は、珍しくない。
この城では、むしろ日常だ。
だが今日は違う。
出ないのではない。
出さないのだ。
「では、その案は一旦保留で」
「異論はありますが、結論は急がず」
「現状維持という認識で問題ありませんか」
問題しかない。
問題しか、ない。
(“認識”って言葉で包めば、
何も決めてない事実が
きれいに消えると思ってるのか……?)
書記は、視線を落とした。
羊皮紙は、もう何枚目か分からない。
同じ文言、同じ構成、同じ結末。
ペン先が、紙の上で止まった。
止まった理由は単純だ。
次に書く文が、もう分かっているからだ。
『本日の会議において――』
ここから先は、いつも同じ。
提示された。
検討された。
結論には至らなかった。
分かっている。
これは仕事だ。
記録だ。
感情を挟む場所ではない。
――分かっている、はずだった。
「つまり」
幹部の一人が言った。
「我々としては、しばらく様子を見る、ということで」
その瞬間。
(だから何を様子見するんですか!?)
喉が、熱を持った。
空気が、肺に引っかかった。
ほんの一拍、呼吸が遅れた。
――出る。
これ、出るやつだ。
書記は、必死で口を閉じた。
ここは会議室だ。
自分は書記だ。
意見を言う立場ではない。
世界の進行に、口出しする役目ではない。
(でも……)
(誰も言わないなら、
誰が「決めてない」って書くんだよ)
ペンを、強く握る。
指先に、じんわりと痛みが走った。
インク壺が、かすかに揺れる。
書記は、何も言わなかった。
言えなかった。
言わなかった。
その代わり、少しだけ筆圧を上げた。
『本日の会議において、
議題は提示され、意見は出揃ったが、
意図的に結論は出されなかった』
一文、余計だ。
いつもの定型文からは、ほんの少しだけ逸脱している。
だが、削らなかった。
これが、
今日という日の正確な記録だ。
会議が終わる。
椅子が引かれ、
書類が閉じられ、
誰も疲れていない顔で立ち上がる。
誰も責任を背負っていない歩き方で、出ていく。
書記だけが、席に残った。
(……危なかった)
本当に、危なかった。
あと一言、誰かが
「まあ、いつも通りで」
などと言っていたら――
確実に、声が出ていた。
書記は、深く息を吸い、
ゆっくり吐いた。
心臓の音が、ようやく落ち着く。
そして、何事もなかったかのように、
次の紙を重ねる。
今日も、
世界は決まらなかった。
――
それを、
決まらなかったと書けたことだけが、
唯一の救いだった。




