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秋の文芸2025

肉食べよう

作者: リヒテンシュタインのミュシャ
掲載日:2025/10/09

焼き肉美味しいね

ナナカマド先輩からラインが来た。

わたしは少し病んでいた。鬱ってほどではないけれど、それなりに心が重くなっている、そんな時だった。


「みのり、肉でも食べる?」


わたしはカレンダーを確かめる。週末は予定が入っていた。心療内科と郵便局。


「行きたいです!」


二日経過してから返事をした。

そうだ。わたしはいきたい。肉を食べたい。


ハンガーにかけてあるよれよれのティシャツを一瞥する。違うな。クローゼットに歩き出すと太ももの筋繊維が思い出したように緊張する。


薬局からもらった袋にはいくつかの錠剤が入っている。飲むと心が軽くなる。

でもこのまま軽くなりすぎたらどうしよう、って思うと返って重くなる。


布団の羽毛みたく、少し風に吹かれただけでふわふわと大気に舞い上がる。そして天井でゆらめく。

わたしも軽くなって、いつか雲を通り抜けて大気圏を越えて宇宙まで到達するくらい軽くなったら、そしてみんなわたしを忘れて、わたしもわたしを忘れられるのなら。軽くなりたい。


たゆたう風船をぱちんと割ったようにわたしはハッとする。

ナナカマド先輩からの通知が来た。


「駅に集合でもいいけど、みのりの家まで迎えに行けるよ?」


ナナカマド先輩の車は大きくない。そして小さくもない。だけどわたしには車のことは良くわからない。

コンビニで買ったコーヒーカップを置いておくホルダーもない。

芳香剤のニオイも、ぬいぐるみの類もない。


眉毛を描くか迷ってやめた。

毛抜きで整えるくらいでいいだろう。

ナナカマド先輩もお化粧は最低限ならば、わたしが気張る必要ってない。


家を出て五分と経たないうちに、名前も覚束ない公園がある。

ブランコと滑り台があったところは撤去されて砂地になっている。


駐車場に大きくも小さくもない車が滑り込んできた。

フロントガラスの向こうで肩までの髪を垂らしたナナカマド先輩が手を振っている。


「こんにちは」


「みのり、白着てきたの?」


わたしは真っ白なカットソーと淡いジーンズを履いていた。


「これしかなくって」


わたしは目尻を下げて笑ってみせる。


「汚れてもいいやつ?」


「はい、いいやつです」


ふうん、と言ってナナカマド先輩はサイドブレーキを倒す。

車はするするとバックして、ハンドルをきって国道に向かう。


車内の音楽は聞き馴染みのないものばかりだ。

それはわたしがトレンドに疎いのか、それともナナカマド先輩のセンスが古いのか、ちっとも分からない。


ただスローテンポの三拍子はややクセのあるわたしたちには合っているような気がした。


「みかんとグレープフルーツならどっちが好き?」


「グレープフルーツですね」


「だよね。ほうれん草とクレソンなら?」


「クレソンですかね」


「間違いない」


初めてナナカマド先輩と食事をしたのは、カラオケの帰りの雨の日の家系ラーメンだった。


からだが濡れていたことを、熱々のラーメンのスープが喉を通って胃に落ちたときに実感した。


あのあと一人でも行ったけど、ナナカマド先輩と食べたときが忘れられない。


「みのりは最近学校どう?」


「単位は取れそうです」


「そっか。相変わらず本は書いてんの?」


「ボチボチですね」


「ボチボチか」


ハンドルを握るナナカマド先輩の指には桃色のネイルが施されている。透明なストーンが控え目に散りばめられていて、クールな印象を覚えた。


ナナカマド先輩は仕事が忙しい。だからわたしからは滅多に誘わない。その代わりナナカマド先輩から連絡があったらわたしは二つ返事でイエスと答える。


「まだ時間あるからさ、ちょっと寄ってかない?」


わたしの返答を待たずにナナカマド先輩は農産物直売所目がけて進路をとった。


店頭には花々のポットが整然と並べられている。


「さ、降りよ」


パーキングにシフトレバーを押し込みナナカマド先輩は車から出ていく。

わたしもゆっくりと左足から外に出る。


「ねえ。風がキモチイよ」


大きく伸びをするナナカマド先輩が髪をゴムで結わえる。


「ちょっと走ろう?」


農産物直売所に併設された広場は散歩コースになっている。花壇や植え込みにはスタッフが丁寧に育てたハーブやバラが咲いていた。


ジョギングのペースで一周すると汗がにじむ。

たまに振り返ってくれるナナカマド先輩に両手で合図を送る。


ナナカマド先輩との距離は付かず離れず。

一定の間隔でわたしを待っていてくれる。


膝がポキポキ音をたてる。

わたしは自分の奏でる音楽に耳を傾ける。


肺が酸素とこすれる音。鼓膜がキーンと甲高い。心臓が血を送り出す振動。生唾がのどでゴクリと鳴る。


散歩コースの終点にわたしが立ったとき、ナナカマド先輩はなにをしているのか。


たぶんソフトクリームのお店で二人分の注文を、店員さんに弾ける笑顔で告げているに違いない。


「アイスは別腹だから」


真顔でそう言ってきそうだ。別腹ってセリフは満腹になってから出てくるはずのものなんじゃないかってナナカマド先輩は知っている。でもきっと言うでしょう。


わたしは久しぶりに眠くなる。

地面にへたりこんで、腰を丸めて指をくわえてスヤスヤと微睡む。


会計を終えたナナカマド先輩とストロベリーのソフトクリームはとても良く似合う。

ネイルもリップも淡い桃色に染まっている。


眠るわたしの隣に腰かけて、ナナカマド先輩は頭をなでてくれる。

そしてわたしは今日肉を食べる。





(了)

寝て、食べて、大きくなろう

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