事故死
甲高い馬の嘶きが、耳をつんざくほど鋭く響きわたった。
「うわあぁぁぁ!!」
御者台で叫び声があがる。車輪がギシギシと不吉な音色を奏で、車体が今にも割れそうに軋んだ。
「──っ!」
馬車は激しく揺れ、私たちは壁に打ち付けられた。衝撃で扉が開き、突風が吹き込んで体に突き刺さる。
「サラ!」
ローレンス様がとっさに抱きしめてくれなかったなら、私は車外に放り出されていただろう。
開いた扉の前方で、馬たちが棹立ちになるのが見えた。
前脚で宙を掻き、その場にたたらを踏んで、馬たちはうなり声をあげながらてんでに暴れ出した。
四頭がよろめきながら互いにぶつかり合い、絡まり合って、馬車は大きく道を逸れる。
御者があわてて手綱を引いたようだが、間に合わなかった。
ぐらり、と世界が歪んだ直後。馬車は傾き、山道に横倒しになった。
そのまま重力に引きずられ、轟音をあげて、車は橇のように崖をすべり落ちていく。
どのくらい時間が経ったのだろう。激痛の中で、私はかろうじて意識を取り戻した。
「……ローレンス様」
目を開けるだけで痛くてたまらない。あたりは影に覆われていて薄暗いが、頭上には太陽の光が見えた。きっと谷底にいるのだろう。
滑落した時に窓のガラスが砕けたらしく、周囲には粉々になった破片が散らばっている。
座席だった皮革。轅だった木材。車輪だった鉄くず。
すべてが無惨な残骸と化して、燻りながら雑然と転がっていた。
「ローレンス様……」
おびただしい血糊に濡れながらも、ローレンス様の寝顔は人形のように綺麗だった。
私をしっかりと抱きしめたままの手が、氷のように体温を失っていく。
「私を……かばって……」
ローレンス様が守ってくれなければ、転落の衝撃で私も即死していたはずだ。
「いや……死なないで……!」
息を吸うのも吐くのも苦しい。胸に刺さった木片から空気が漏れて、呼吸をするだけで激痛が走る。
だが目の前で愛する人が冷たくなっていくことの方が、そんな苦痛よりもはるかに耐えがたかった。
「……私のせいだわ……」
言葉にできないほど大きな後悔が、私の全身を駆けめぐった。
ローレンス様はこのタイミングで領地に向かうはずではなかった。私のために無理に時間を作って、馬車に同乗してくれたのだ。
強いめまいに頭が揺れた。朦朧と薄れていく意識の中で、私は深い自責の念にさいなまれた。
──なぜ私は身を引かなかったのだろう。
私ではふさわしくないと知ってたのに。どうして求婚を断らなかったのだろう。
『"雑草令嬢"などふさわしくない』
耳の奥に、婚約してから幾度となく叩かれ続けた陰口がよみがえってくる。
『あの女は財産目当てだ』
罵声が輪唱のようにこだまして、刃のように私を切り刻んだ。
『旦那様に釣り合わないにも程がある』
『あんな小娘に女主人など任せられない』
『卑しい女を入れては、由緒あるアッシュフォード家が汚れる』
涙があふれた。
誹謗や中傷にではない。私なんかが妻になったから、ローレンス様を不幸にしてしまったことに。
輝かしい栄光に満ちた未来を約束された方。ローレンス様の生涯がこんなところで終わっていいはずがないのに。
「……ローレンスさま……」
肺が潰れて声が出ない。それでも掠れる声で名前を呼んだ。
「……ごめんなさい……」
死んでほしくない。二度と会えなくてもかまわない。ローレンス様に生きていてほしい。
止まらない涙で、視界がぼやけていく。
体内にめぐっていた命が流れ出ていくのを感じながら、私はただ祈った。
──愛しています、旦那様。
だから私を愛さないで。
もう一度時を戻せたなら……どうか私と結ばれないで……。