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領地へ

 瀟洒しょうしゃな四頭立ての馬車が、手入れされた車体を誇らしげに輝かせていた。


 馬たちも出発にそなえ、つやつやのたてがみをなびかせながら、元気よく飼い葉を食んでいる。


 餌やりをしていた馬丁さんが、馬車の扉を開けてくれた。


「奥様。どうぞ」


 奥様という呼称をこそばゆく感じながら、私は車内に乗り込んだ。


 これから私はグランディール公爵家の領地に向かうのだ。


 領地のカントリーハウスにはローレンス様のお母様がお住まいになっている。私のような偽者の"奥様"とは違う、本物の公爵夫人だ。


 お義母様は未亡人になられてからずっと領地に隠棲されていて、私たちの結婚式にも参列されることはなかった。


 仕方がないわ。急に決まった結婚なのだし、何よりもお義母様の悲しみはそれだけ深いのだもの。


 一般的に服喪期間は一年程度とされているが、夫を亡くした貴族の女性はもっと長い期間にわたって喪に服すことが多い。人によってはその後一切の社交を辞し、完全に社交界から引退してしまうケースもある。


 実際、お義母様は社交期シーズンになっても王都に戻られることはなかった。


 だからこの機会に私の方から領地を訪ねて、結婚を許していただいたお礼を伝えることにしたのだ。


「──サラ」


 扉が閉まる直前、爽やかな声に呼び止められる。


 振り返れば、均整の取れた長身を旅装に包んだローレンス様。


「ローレンス様?」


 お仕事が山積みでどうしても同行できないと聞いていたので、私は目を疑った。


「ローレンス様も行かれるのですか?」


「ああ、仕事は何とか片を付けた。君一人では不安だろう?」


 私は素直にうなずいた。


 実を言えば不安だった。お義母様にごあいさつしたいとは願っているけれど、気に入っていただける自信はまったくない。


 ローレンス様がお忙しいのはよく知っているので、心細いなどと言ってはいけないと思っていたが、私が何も言わなくても気遣ってくれたローレンス様に、心がほっと温もる思いがする。


「心配しなくていい。母もきっと君も気に入るはずだ」


 私の心配を解きほぐすように、ローレンス様は朗らかに笑った。


「そうだといいのですが……」

   

 向かい合って座るのだろうと思ったが、ローレンス様は私のとなりに腰を下ろした。


「カントリーハウスには庭師たちが手塩にかけたローズガーデンがあるんだ。今が盛りのあの庭を、君にも見せたい」


「それは楽しみです」


 御者さんが手綱を引いた。馬たちが足並みをそろえて歩き出し、中央のこしきにアッシュフォード家の紋章を刻した車輪が回り出す。


 馬車の揺れについ眠気を誘われて、私はあくびを噛み殺した。


「サラ。道中はゆっくり眠っていくといい。寝不足だろう?」


 見抜いたように言われて、頬がかっと熱くなる。


──それは……昨夜もすごかったからです……!


 ローレンス様は平然としているが、私は羞恥心で沸騰しそうだ。恥ずかしくて顔をまともに見られない。


「ローレンス様こそお疲れではありませんか?」


──その……何がとは言わないけれど……運動量とか……。


 昼はお仕事で忙しくされているのに、どうして夜もあんなに体力が尽きないのかしら……?


「俺は大丈夫だ。サラの寝顔を見ているだけで癒される」


 極上の笑顔に勝てる気がしない。


 私はお言葉に甘えて目を閉じた。


「……はい」


 座席にもたれて眠るつもりだったが、肩を抱かれて引き寄せられる。


「おやすみ、サラ」


 耳元で甘くささやかれて、鼓動が早鐘のように打った。


 ローレンス様の手が触れるだけで、体温がぐんぐん上昇していく。こうして密着しているだけでとろけてしまいそうになる。


「……」


 ふと、不安が胸をよぎった。


 毎晩のように肌を重ねているけれど……もしも子供ができたら、ローレンス様はどうするつもりなのだろう?


 子供だけ取り上げられるのだろうか? 私は用済みだと言われて、公爵家を追い出されてしまうのだろうか?


 ううん、ローレンス様はそんな方じゃない。


──もしかしたら、と私は息を飲んだ。


 もしかしたら……私はずっと大切にしてもらえるのかもしれない。


 ローレンス様の優しいまなざしを信じたかった。愛していると言ってくれた言葉を疑いたくなかった。


 だってもう、私は恋をしてしまった。


 私では似合わないと知っているけれど、ローレンス様から目が離せない。


 私では釣り合わないとわかっているけれど、惹かれていくのを止められない。


「…………」


 この気持ちを伝えたら、重荷になってしまうだろうかと私は悩んだ。


 好きだと言ったら……ローレンス様を縛ってしまうだろうか。


「サラ?」


 見上げる私の視線に気が付いたのか、ローレンス様がくすっと頬をゆるめた。


「私の妻は可愛いな」


 てらいもなく言われて、頬が火照った。


「……っ!」


 きっと赤くなっているだろう顔を背けると、美しいおとがいが近づいてくる。


 唇が触れそうになった刹那──


 馬車が急停止したかと思うと、耳をつんざくような馬たちのいななきが響きわたった。

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