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変わらぬ心

 私はさっそく庭に咲いていたカモミールの花を摘んだ。


 カモミールは白い花弁の中心に黄色い筒状花をつける。この筒状花がこんもりと盛り上がっているものが特に効能が高いので、よく見極めて摘み取り、水で洗って虫や汚れを取った。


 花を集めるのもお茶を淹れるのも、ローレンス様の目の前で行った。毒を入れるなんて絶対にしないけれど、疑われたら困るもの。


 ポットを温め、水気を拭いたカモミールの花を入れて、上からゆっくりとお湯を注ぐ。


 カモミールの花言葉は"あなたを癒す"だ。


 少しでもローレンス様を癒せたらと願いながら、ポットに蓋をして待っていると、ゆっくりと蒸気が上がってきた。


 ほのかな香りがじんわりと部屋に広がって、ローレンス様は相好を崩す。


「いい香りだな」


 カモミールはもぎたての林檎のような甘酸っぱい香りが特徴だ。


 私も好きな香りだが、ローレンス様もお気に召したようでよかった。


 私が毒味も兼ねて先に飲んでみせた後、ローレンス様もカップの取っ手に指を添えた。


 顎を上げず、音も立てず、美しい姿勢を保ったままカップを傾ける所作はエレガントで、一切の隙がない。さすがは公爵様だと感心してしまう。


「美味い……」


「よかったです!」


「心がほっとするような、優しい味わいだな」


「はい。今回は生のお花を使ったのでフレッシュで爽やかですが、乾燥させたお花を使うともっと豊かで深い味わいになります」


「そうなのか」


 今までで一番リラックスした表情を浮かべて、ローレンス様は優雅に笑んだ。


「では、また淹れてくれるか?」


「はい、旦那様。喜んで」


 



 ◇◇◇




 あくる日の早朝。私が庭の片隅でテラコッタの植木鉢を整理していると、ローレンス様がやって来た。


「おはようございます、旦那様」


「おはよう、サラ」


 ──ま、まぶしい……!


 ただでさえ爽やかなローレンス様の笑顔は、朝日を背負って神々しいくらいまぶしかった。直視できなくて、私は思わず目を細める。


 ローレンス様はいつも完璧な整形庭園のように綺麗なお顔だけれど、今朝は濃かったくまが薄くなって、より端正さに磨きがかかっている。


「久しぶりによく眠れた。君のおかげだ」


「よかったです!」


 わざわざ報告に来てくれるなんて律儀なお方だと思いながら、私はほっと胸をなでおろした。


 それからというもの、毎晩ローレンス様のためにお茶を淹れるのが私の日課になった。


 ハワードさんや公爵家のお抱え医師さんとも相談しながら、庭に生えている様々なハーブを摘み、ざるに入れ、日に当てて乾燥させる。


 初日に好評だったカモミールをベースにして、レモングラスを混ぜたり、ラベンダーを足してみたりと、様々な組み合わせを試してみた。


 ローレンス様はミントを加えたブレンドがすっきりとしていてお好きらしい。


──お忙しい旦那様のお心が少しでも安らぎますように……。


 そう願いながらお茶を淹れ続けて、ひと月ほど経った頃。


 私はいつものようにドライハーブをティースプーンに取ってポットに入れた。大きな葉は先に細かく砕いておくと、お茶の成分が抽出されやすくなる。


 汲みたての水を使い、沸きたての湯を静かに注げば、ポットの中で茶葉がダンスを踊るようにくるくると回った。


「今日は甘い香りが強いな」


「はい。少量のリンデンを加えてみました」


 リンデンは鋸歯状の葉とクリーム色の小さな花をつける植物だ。ちょうど今の季節に開花するので、庭で最初に咲いたお花を使ってみた


「リンデンは緊張や凝りをほぐし、良質な睡眠をもたらす効果があると言われているんです。旦那様もきっといい夢が見られます」


「いい夢か……」


 ローレンス様はブロンズブロンドの髪をくしゃっと掻きあげた。


「父が亡くなってから……夢など見ていないな……」


 ローレンス様のお父様は、先代のグランディール公爵様だ。


 私はお会いしたことがないけれど、一年ほど前に馬車の事故で亡くなられたニュースはよく覚えている。


 この国の誇る大貴族の急死と、若き後継者の襲爵についての話題は、疾風が駆けるように王都を席巻したものだ。


「……父がこんなに早くに逝ってしまうなど、思いもしなかった……」


 いつになく弱い声だった。


 まるで一人きりで取り残されてしまった子供のような心細い声音に、ローレンス様がお父様の死をどれほど無念に思っておられるかが、語らずとも伝わってくるような気がした。


 もっとお父様と話したいことも、教わりたいこともあっただろう。


 それなのに突然の別れに引き裂かれ、もう二度と会えなくなってしまったなんて、考えるだけで胸が締めつけられるように痛む。


 私が何を言うよりも先に、ローレンス様がご自身を叱咤した。


「……すまない。感傷に浸っている場合ではないとわかっている。この家を維持するためにも、前だけを向かなくてはいけないと……」


 "前だけを向かなくてはいけない"


 その言葉が示す通り、お父様を亡くしてからのローレンス様は悲しみに浸る間もなく、刻苦勉励こっくべんれいを重ねてきた。


 いつまでも憂いていてはいけない。過去を振り返っている暇はない。領主として領民のため、未来だけを見すえて頑張らなくてはならない。


 悲しみは乗り越えなくてはならない──。周囲もそう強いたし、ローレンス様もそのようにご自身も律してきた。


「旦那様。乗り越えなくてもいいのです」


 気が付いた時にはもう、私はそう言い切っていた。


「乗り越えなくてもいい……?」


「はい」


 ローレンス様の端正なまなじりが、かすかな驚きにたわんだ。


「この花はスターチスというのですが……」


 私は壁に飾ってあるタッジーマッジーを示した。


 このタッジーマッジーは昨日作ったものだ。旬のスターチスの花をメインに、ミントやフェンネルの緑を添えてある。


 ピンクの萼の中に白い花弁をまとまって咲かせたスターチスは愛らしくて、まるで部屋の中に春を持ち込んだかのようだった。


「スターチスには"変わらぬ心"や"途絶えぬ記憶"という花言葉があります。これは生きている人間だけでなく、故人にも向けられる花言葉なんです」


 "変わらぬ心"や"途絶えぬ記憶"の花言葉を持つスターチスは、墓前に供える花としても好まれる。


 小さなフリルを幾重にも重ねたような愛らしいスターチスは、きっと天国にも春を持ち込んでくれるはずだ。


「お父様への尊敬の心も、共に過ごされた記憶も……変わったり途絶えたりはしないものです」


 大切な人への想いを、乗り越える必要なんてない。ずっと心に抱いていて当然だ。


「旦那様がもう充分に頑張っておられること、私は知っていますから」


 ローレンス様は義務を投げ出さず、大任と向き合ってきた。夢を見る暇もないほど多忙を極めて頑張っておられることを、私はわかっている。


 わずかな間、沈黙が流れた。


「サラ……」


「はい、旦那様」


──お茶のおかわりかな? と察して、私はポットに手を伸ばした。


「サラ。俺と結婚してくれないか」

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