追及
王都に戻って早々、ローレンス様と私は二人そろって頭を下げに行った。
どこへかは言うまでもない。ローレンス様の最大のライバルこと、ミラベルお嬢様の元へである。
侍女は貴族の令嬢なので、休暇を取って実家に帰省している間に婚約や結婚の話が進むことはめずらしくない。
しかし私は結婚なんてさっぱり縁がなさそうだったのだ。それなのに急に寿退職を申し出てくるなんて、ミラベルお嬢様にも予想はできなかっただろう。
──と思ったのに。ミラベルお嬢様は至極冷静に、華麗なる縦ロールの髪をはね上げた。
「──こうなるだろうと思っていたわ」
「ええっ!?」
落ち着き払った様子のミラベルお嬢様に、私の方が動揺してしまった。
「い、いつからですか!?」
「あのパーティーの日からよ。ラセル侯爵が他の令嬢には目もくれず、まっすぐサラに向かっていった時から」
私がお目付け役として参加したパーティーの時から、ミラベルお嬢様はこの未来を予測していたらしい。お嬢様の慧眼には驚くばかりだ。
「ラセル侯爵。私の侍女を奪っていくなんてどういうおつもりかしら? つまらない言い訳は聞きたくなくてよ」
「申し訳ない。オルブライト公爵令嬢」
ミラベルお嬢様は容赦なく睨みつけ、ローレンス様は真摯に詫びる。
「だが、サラのことは一生大切にすると約束する。決して悲しませるようなことはしな……」
「お手並み拝見させていただきますわ、ラセル侯爵」
まだ言い終わらないうちに言葉を遮って、ミラベルお嬢様はローレンス様に背を向けた。
「サラ。ラセル侯爵に愛想を尽かした時は、いつでも私の元に帰っていらっしゃい」
ミラベルお嬢様の白魚のような指が、私の顎をくいっと持ち上げる。
「あなたを本当に幸せにできるのは誰か、教えてあげるわ」
「ミラベルお嬢様っ! お慕いしています……っ!」
「サラ!?」
完全に目がハートになった私と、勝ちを確信した顔で高笑いするミラベルお嬢様と、盛大にうろたえるローレンス様。
三者三様に悲喜こもごもの表情を浮かべながら、オルブライト公爵家への辞職願は何とか受理してもらうことができたのだった。
◇◇◇
一方、グランディール公爵家は当主であるジョナサン様が帰還して、天井が吹き飛ぶかと思うほどの拍手喝采に湧いた。
「旦那様ぁぁ! ようございましたぁぁ!」
「ご無事にお帰りになって何よりですぅぅ!」
公爵家の使用人さんたちはおいおい泣きながら、ジョナサン様の生還を祝福している。
ジョナサン様は使用人さんたちの一人一人と感動の再会をかわしてから、私のことをローレンス様の婚約者だと紹介してくれた。
「サラさんは私の命の恩人でもあるのだ。サラさんを娘と呼べるのは、私たちにとっても大きな喜びだ」
ジョナサン様はそう言ってオリヴィア様の肩を抱き、オリヴィア様も優しく微笑んでうなずく。
『前回』の私は公爵家の使用人さんたちに嫌われていた。蔑まれ、白い目で見られ、心ない陰口を叩かれたりもした。
しかし今は当主である公爵夫妻がそろって私を受け入れ、歓迎の意を表してくれている。
そのおかげか、使用人さんたちの間から失望や反発の声は上がらなかった。
もちろん困惑している人もいるだろうが、私の耳に入るほど不満が噴出することはなくて済んだのだ。
晴れて、ローレンス様と私は女王陛下から公許をいただき、正式に婚約した。
手続きのために多くの書類をやり取りしたり、結婚式の準備を進めたりと、あわただしい時間を送るうちに、あっという間に三ヶ月もの日々が経とうとしていた。
ジョナサン様は公爵の執務にも復帰され、すっかり元通りの日常を取り戻している。
その一方、私たちの乗る馬車が事故に遭うように仕向けた「犯人」の追跡も、この三ヶ月の間にめまぐるしく進んだ。
「……やはり……間違いないようだ……」
ローレンス様は届いた報告書を手に、深いため息を吐いた。
「そんな……」
誰かが馬の餌に疝痛を起こす毒草を混入したのではないか──という予測を唱えたのは私だ。
そんな私自身ですら、改めて調査させた報告書によってその疑惑が確証に変わっていくことに、戦慄せずにはいられなかった。
ローレンス様はしかめた端正な額を、辛そうに押さえた。
「俺とて信じたくはない。だが……」
「お気持ちはよくわかります……。私だって信じたくはありません……」
ローレンス様の心痛は察するに余りある。身近にいる人間に容疑がかかっているなど、考えるだけでも辛いことだ。
「……放っておくことはできない。これ以上の罪を重ねる前に止めなくては……《《彼》》のためにも……」
「はい……」
私も不安な気持ちを打ち消せずにいたが、不思議なことにローレンス様の手に私の手を重ねると、お互いの手の震えが治まっていく。
私たちは固唾をのんで、《《彼》》と対峙する覚悟を決めたのだった。
◇◇◇
淡い朝霧が公爵邸の庭を包み込んでいた。
先ほど過ぎ去っていった通り雨が、緑の葉に白露を乗せている。大理石の像はしっとりと濡れていた。巣から顔を出した小鳥が、囀りながら高木へ飛び移っていく。
白い大理石の噴水から、清らかな水が湧き上がった。緑の絨毯のように広がる芝生も、整然と配置された生垣も、丹精込めて刈り込まれている。
美しくて静かな庭園に、言葉にできないほどの悲しさと寂寥感がこみあげた。
「……ハワードさん……」
「若奥様?」
振り返ったのはハワード・グレイさん。このグランディール公爵邸に長く仕える、ベテランの庭師だ。
私はまだ結婚はしていないが、正式に婚約の申請が受理されたこともあり、ハワードさんを含めた使用人の皆さんは私のことを「若奥様」と呼んでくれている。
「どうなさいましたか? 何か庭にご用でも……?」
私にとってハワードさんは一緒にこの庭で働いた記憶がある相手だが、ハワードさんにとって私はほぼ初対面だ。
ローレンス様が突然連れてきた男爵令嬢。これまで面識も親交もなかった私が、突然名指しで声をかけてきたのだから驚くのも当然だ。
「ハワードさん。お願いがあるんです。あなたの懐中時計を見せていただけませんか?」
「!?」
ハワードさんは面食らい、とっさに胸元の銀鎖をつかんだ。
「そ……そんな……若奥様にわざわざお見せするようなものではありませんので……」
「失礼します」
ハワードさんは固辞しようとしたが、私はかまわずに進み出た。
半ば強引に受け取った懐中時計は、ひと目でアンティークとわかる古い品だった。
純銀のベゼルに、純金のリューズ。蓋の表面には無数の小さな傷が刻まれているが、繊細な彫金技術で精巧に彫り込まれた馬の図案は、今も色褪せることなく見事だった。
馬を囲むように配されているのは、樫の木の模様。
回帰前、ハワードさんと共に働いていた時に、私は馬のデザインが刻まれたこの懐中時計を見たことがあった。──しかし。
「……」
無言でパチリと時計を閉じると、ステムの部分に入った模様が蓋の絵とつながった。
細密な線刻と螺鈿によって表現されているのは、輝く鋭利な角。
これは馬ではない。
額に角を持つ聖獣──ユニコーンだ。
「やはり……」
私は無念を込めてつぶやいた。
アッシュフォード家の家紋には二頭の動物が描かれている。金の獅子と銀の一角獣だ。
金色のライオンはグランディール公爵位を表し、銀色のユニコーンはラセル侯爵位を表す。
「ハワード・グレイさん……いえ、ハワード・オークリーさん」
私の呼んだ姓に、ハワードさんはビクッと肩を震わせた。
『グレイ』はハワードさんの母方の姓だと、もう調べはついている。
「あなたの父方の姓はオークリー。あなたはかつてラセル侯爵の地位にあった貴族、オークリー家の末裔なのですね」




