毒草
──やっぱり……すごかった……!
恥ずかしくてたまらなくて、私は両手で顔を覆った。
それでもまだ恥ずかし過ぎて、粗末な毛布の中に隠れるようにくるまる。
二度目の初めては記憶と違わず……いや、記憶を越えるくらいに濃密ですごかった。何がすごかったかなんて、慎みのある淑女に言えるはずがない。
まだどきどきと粟立っている心臓を押さえて、私は毛布からそーっと顔を出した。
東雲の淡い光が、窓ごしにさしこんでくる。黎明が降り注ぐベッドに眠っているのは、くらくらするような美貌の面輪。
──寝顔まで! 整ってる!
声に出さずに悶えながら、私は眠るローレンス様に見入った。
たくましい腕。完璧な形をした喉頸。あきれるほど長い睫毛。
全部が惚れ惚れとするほど美しくて、いくら見ていても飽きない。
「……そんなに見つめられると……照れてしまうな」
ローレンス様は翠緑の目を開けて、くすぐったそうに頬を緩めた。
「い、いつから起きていたんですか?」
「君よりも先だ」
ローレンス様を上半身を起こして、私の頬に口づけた。
「サラの寝顔が可愛くて……いくら見ても飽きなかった」
私が起きる気配がしたから、寝たふりをしていたらしい。ひ、人が悪い……!
「きゃっ!」
抗議しようとした言葉ごと、唇を封じられた。反射的に逃げようとしたが、後頭部を撫でる大きな手が放してくれなくて、より深くまで口づけられる。
「もっとサラが欲しい。もう二度と俺から離れたいなどと思わないように」
──あ、あんなにしたのに……!?
私の心の声を見透かしたように、ローレンス様は不敵に笑った。
「まだ足りない」
そのまま流れるように押し倒されて、粗末な寝台は壊れてしまうかと思うくらい揺れ続けたのだった。
◇◇◇
服を羽織り、一番上まできっちりと釦を留める。もちろん袖もだ。少し窮屈だけれど、我慢するしかない。
私はいつもは結んでいる髪を下ろし、手櫛で梳いた。首や肩や鎖骨が見えないように広げて、前に垂らす。
「ずいぶんと禁欲的な格好だな」
床に落ちていた服を拾いながら、ローレンス様が苦笑した。
「誰のせいだと思っているんですか!」
いったい誰のせいで、肌を極力隠さなくてはいけない状態になっていると思うのか。
「そんな可愛らしく怒らないでくれ。もっと痕を付けたくなる」
「……っ!」
私は口をぱくぱくさせて、せっかく着込んだ服をかばうようにぎゅっと抱きしめた。
身支度を済ませて小屋の外に出ると、雨上がりの虹がかかる山道には、湿った土の匂いが満ちていた。
「あの……ローレンス様……」
並んで帰路をたどりながら、私はつないだ手をにぎり返し、
「ローレンス様は事故の原因を突き止めたいと、車体の状況や、馬の外傷の有無を念入りに確認されていました。それは……」
と、おずおず尋ねた。
「……事故が偶然ではなく、作為的なものではないかと……疑っているからですよね?」
「ああ、そうだ」
ローレンス様は深くうなずいた。
疑う理由は聞くまでもない。
『前回』の私たちの死因も、馬車の事故だったからだ。
ジョナサン様も私たちも、似たような転落事故で命を落とした。
いくら馬車のトラブルはめずらしくないとはいえ、同じ家で短期間に二度の死亡事故が起きるのは、さすがに重なりすぎている。誰かが故意に仕組んだ結果だとしてもおかしくない。
『前回』の犯人はジョナサン様にしかけた罠が成功したからこそ、また同じ手を使って、私たちを殺したのではないだろうか。
しかしローレンス様には回帰前の記憶がある。だから『前回』のジョナサン様の事故死を踏まえて、馬車の管理には目を光らせたと言っていた。
実際、事故車両を検分しても構造的な欠陥はなかったし、牽引していた馬たちにも目立った怪我は見つからなかった。
「馬車の整備には特に気を付けさせていた。間違っても誰かが車体に細工などすることのないよう、見張らせていたのだが……」
上流階級の伝手を頼って雇った御者も馬丁も、みんな一流の人間ばかり。不正な改造や怪しい破壊行為に及んだ形跡は見つからなかった。
それなのに、結果として再び事故は起こってしまった。
ジョナサン様が助かったのは不幸中の幸いとはいえ、ローレンス様は忸怩たる思いだろう。
私は思いきって切り出した。
「もしかして……罠は車体の方ではなく……馬の方に仕掛けられたのではないでしょうか?」
「馬の?」
馬には目立った外傷はなかった。外傷は。
だが、体内には異変があったのかもしれない。
「自然界の植物には動物が食べても問題はないけれど、人間には害をもたらすものがあります……そして──」
「その逆もある、ということか」
「はい」
人間は食べても問題ないけれど、馬には毒となる草がある。
たとえばカタバミがそうだ。カタバミの葉はクローバーの葉とよく似ているが、後者は馬が好んで食べるのに対して、前者は与えてはいけないとされている。
馬は草食動物だが、すべての草を食べられるわけではないのだ。桜や楓、菜の花や櫟などは馬の消化器官ではうまく消化することができないし、キャベツやケール、ほうれん草のような野菜も疝痛を引き起こす原因になる。
どの植物も人間にとっては毒草ではないので、身近で栽培していても怪しまれることはないだろう。
「馬は賢いので、放牧された状態であれば、食べられる野草かどうかをちゃんと見極められます。でも……」
自分で自由に草を食む時は、馬は本能で危険な植物を避けることができる。
だが人の手から餌として与えられる場合は、毒であっても警戒せずに食べてしまうのだ。
もしも誰かがそんな馬の習性を利用して、わざと有害な草を与えたのだとしたら。
「……あの事故の日、公爵家の馬たちは歩様に異常をきたしているようにも見えました」
私は事故当日の状況を思い返しながら語った。
激しくいななく声。けたたましく鳴る蹄鉄の音。銜を着けた口を振り乱し、荒々しく跛行していた馬たち。
あれはもしかしたら、馬自身の体内に異常があり、疼痛を感じて暴れていたのだろうか。
「……車に細工をしたのではなく……馬に毒草を与えて、事故を誘った可能性があると……?」
ローレンス様が慎重にささやき、私はうなずいた。
馬は大きな体格のわりに、胃の容量が小さい。また身体的な構造のために、食べたものを吐き出すことも難しい。
人間ならば嘔吐すればすっきりするが、馬には困難なため、消化不良を起こした時は疝痛に苦しむことになる。疝痛が悪化すれば、腸捻転につながって重篤化することもある。
「証拠はありません。ただの憶測ですが……」
「いや。参考になった。その線でもう一度調べよう」
ローレンス様は首肯して、考え込むように顎に手をやった。
その瞬間。シャツに縫い付けられたカフリンクスが、陽光を浴びてキラッと光った。
カフリンクスは袖口を留めるためのボタンだ。純銀製のカフリンクスは特注品らしく、アッシュフォード家の家紋が精緻に刻まれていた。
「あら……?」
紋章はトネリコの図柄で囲まれている。中央の盾を支える聖獣はゴールドで縁取られた獅子と、シルバーで縁取られた一角獣。
金色のライオンはグランディール公爵位を表し、銀色のユニコーンはラセル侯爵位を表す。
「これ……」
とっさに私の脳裏をよぎったのは、既視感だった。
──このユニコーンの図案を私……以前にもどこかで見たことがある……?




