再々々会
「ジョンさん、おはようございます。包帯をお取り替えしますね」
ドアをノックして客室に入ると、ジョンさんはにこやかに笑って上体を起こした。
運び込まれた時は真っ青だったジョンさんの顔色も、ここ数日はすっかり血色がよくなっている。
「だいぶ腫れもひきましたね」
私は包帯を解き、患部に湿布を当てた。スミレの草を煮詰めた煎液を使った湿布だ。
スミレは花も可愛いが、草は煎じれば関節の痛みを取る薬になるのだ。
「ベリー家の皆さんにはすっかり世話になってしまって、申し訳ないな……」
「そんな。たいしたことはしていませんから」
草を使った手当てばかりで、高価な薬を使った治療ではないのだ。
むしろ粗末で申し訳ないくらいだが、ジョンさんは文句ひとつ言わないどころか「この恩は決して忘れない」と感謝してくれた。
ジョンさんは支えれば立ち上がれるようになってきたので、肩を貸してソファに移ってもらい、ベッドのシーツを取り替える。
「うむ、この魚は実に美味い」
私がせっせと洗濯や部屋の掃除をしている間、ジョンさんは朝ご飯の麦粥と、泥炭で燻した魚を美味しそうに食べてくれた。
泥炭は炎が柔らかい分、燻製を作るのに向いているのだ。煙でじっくりと燻した肉や魚は、旨味がしっかりと閉じ込められて、噛めば噛むほど美味しい。
「いやぁ、サラさんは本当にいいお嬢さんだ」
ジョンさんはしみじみと目を細めて言った。
「うちの息子はサラさんとそう変わらない年齢だが、無愛想な子でねぇ……」
「まぁ、息子さんがいらっしゃるのですね」
「ああ。サラさん、息子の妻になってはくれないか? サラさんのような気立てのいいお嬢さんがそばにいてくれたら、私も安心だ」
「ジョンさんったら。褒めても何も出ませんわ」
お世辞を笑ってかわしながら、私はジョンさんのためにハーブティーを淹れた。
私は結婚する気はないし、これからもずっとミラベルお嬢様にお仕えするつもりでいるが、この先もしも良いご縁があったなら、誰かに嫁ぐこともあるのだろうか。
──だって、ローレンス様とだけは結婚できないもの……。
他の男性なら誰でもいい……とは言わないまでも、ジョンさんの息子さんなら悪い人ではないだろう。
ローレンス様だって、このまま接触せずにいれば、そのうち他のご令嬢と結婚するはず。
……想像すると胸が痛むけれど……でも、ローレンス様が幸せになってくれることが、私にとって一番の望みだ。
そこまで考えて、私は首をかしげた。
「……あら? ジョンさんは確か、ご自分のお名前しかわからないのではありませんでしたか……?」
ジョンさんが意識を取り戻した後、私たちは尋ねたのだ。
『ジョンさんは御者さんから"旦那様"と呼ばれていましたが、いったいどこの貴族のご当主様でいらっしゃるのですか?』
ジョンさんはエメラルドグリーンの目を反らし、痰が絡んだ時のようにゴホゴホと喉を詰まらせた。そして言ったのだ。
『……自分の名前以外は何も思い出せない。事故の衝撃で記憶を失ったのかもしれない……』
『なんと……! それはさぞかしご不安なことでしょう……』
人を疑うことを知らないうちのお父様はそう心配した。
『ええ、本当に。早く記憶が戻られればいいですわね……』
同じく人を疑うことを知らないうちのお母様も純粋な目でいたわった。
「ジョンさん……もしかして……?」
そして、今。私ははっとして目を瞪った。
「息子さんがいることを思い出したんですね! よかったです!」
もちろん私も両親に似て、人を疑うことを知らない。
「あ……ああ……そのようだ……」
ジョンさんがほっと息をついた時、弟のケイと妹のメイが二人そろって部屋に駆け込んできた。
「姉上!」
「サラお姉さま!」
メイは身を乗り出して、窓の向こうを指さした。
「あのね、見なれない馬車がこっちに来るの!」
「あら、ジョンさんのお迎えかしら」
私はケイとメイと共に家の外へ出た。
御者さんが戻ってきたのなら、ジョンさんの身元もわかることだろう。
ジョンさんはまだ体調に不安があるし、もう少し安静にした方がいいとは思う。
すぐに出発はできないかもしれないけれど、でも身内の方と会えたらジョンさんも安心するだろう。記憶だってもっと戻るかもしれないわ。
そう思いながらじっと目を凝らすと、一台の馬車が疾風のような速さでこちらに向かってくるのが見えた。
「えっ……!?」
絢爛という表現のよく似合う、立派な四頭立ての馬車だった。
湿った風になびく旗には、見覚えのある紋章が描かれている。
ちりばめられた植物はトネリコ。盾の形をした小紋章を支える聖獣は、黄金の獅子と銀の一角獣。
「あの家紋は……まさか……!」
金色のライオンはグランディール公爵位を表し、銀色のユニコーンはラセル侯爵位を表す。
それらの爵位を預かるのは、名門アッシュフォード家。
「え……え……えええ……!?」
私があっけに取られていると、四頭の馬たちは足並みをそろえて、我が家の門前にぴたりと止まった。
御者台から降りてきたのは、先日と同じ御者さんだった。御者さんは馬車のタラップを上がり、閂を引いて扉を開けた。
現れたのは、気品のある顔立ちを不安そうな色に染めた貴婦人。
オリヴィア・アッシュフォード様だ。
「……グランディール公爵夫人……!?」
オリヴィア様は私を見て、あら、と優美に首をかしげた。
「あなた……オルブライト公爵家の侍女さんよね……?」
「ちちち違います! 人違いです!」
「いいえ、あなたよ。忘れるはずがないわ」
思わず否定したものの、オリヴィア様は騙されてくれなかった。
「よく覚えているもの。爽やかな美しいコーディアルに、色を変える不思議なマロウのお茶。本当に素敵なお茶会だったわ」
「グランディール公爵夫人……どうしてここへ……?」
私が茫然と尋ねると、オリヴィア様は胸に手を当てた。
「夫が事故に遭ったと報告を受けて、気が気ではなかったの。ノース男爵領でお世話になっていると聞いたので、いてもたってもいられずに駆けつけてしまったわ」
「……夫……!?」
これ以上驚くことなんてできないくらい驚いていた私にとどめをさすように、オリヴィア様は背後を振り返って呼んだ。
「ねぇ、ローレンス」




