コッカリーキスーブ
男性は蘇生したものの、意識はまだ戻らない。我が家で一番上等な客室に運び込み、容態を見守ることにした。
男性をベッドに寝かせる際、うちのお父様が濡れた服を脱がせたが、体には事故の時に強打したらしい打撲の跡がみられた。
出血もしていたので、私とお母様でチドメグサを摘み、葉を揉んで汁を絞った。チドメグサはその名の通り、血を止める効果があるのだ。
逃走していた二頭の暴れ馬は、うちの馬丁さんがなだめて捕まえていてくれた。
もう二頭の馬も川から助け出して、怪我がないかをチェックする。四頭とも大きな外傷は見られなかったのでほっとした。
人命救助に馬命救助、壊れた車体も可能な限り水中から引き上げたりと、普段は地味なノース男爵領はてんやわんやの大騒ぎだった。
ちなみに革張りのベンチシートや鉄製の車輪ホイールなどは回収できたのだが、扉や轂に入っていたはずの家紋は見当たらなかった。滑落の衝撃で削れて、川に流されてしまったのだろうか。
「あの男性のことを旦那様と呼ばれていましたが……いったいどこの貴族の家の……」
「おまえたちぃぃ! 無事でよかったあぁぁ!!」
私は御者さんに尋ねたが、御者さんは全然聞いていなかった。無事に戻ってきた馬たちの首に抱きついて、おいおいと泣いている。
「ありがとうございます! ノース男爵家の皆さん! このご恩は決して忘れません!」
「いえ、お気になさらず。ところで、あの方はどこのお家の……」
「こうしてはいられませんっ! 私は至急お屋敷に戻り、状況を報告してきます! それまで旦那様をよろしくお願いしますぅぅ!」
御者さんはそう意気込み、手際よく馬に鞍を乗せて手綱を引いた。
馬は風のように走り出し、あっという間に地平線の向こうに消えて見えなくなる。
「もう、あわてんぼうさんね」
男性の身元は聞けなかったが、誰であっても心をこめて看病するだけだ。
こまめに傷薬を塗り直すうち、出血は収まったので、別の薬を調合する。
薬草を干して乾燥させ、細かく刻んで練ってから病室へ持っていくと、ちょうど男性がうっすらと目を開けたところだった。
「……ここは……?」
重たそうにまぶたが開く。まぶしそうにまたたく瞳は、どこかで見たようなエメラルドグリーンの色をしていた。
「お目覚めになりましたか? よかった!」
私はここはノース男爵領で、名前の通り王国の北方に位置するということ。私たち家族はこの地の領主であるベリー家の人間だということを簡単に話した。
「それは……?」
「これはエルダーフラワーの葉を粉末にして練ったものです。打ち身の傷によく効くんですよ」
私は持っていた鉢の中身を見せて説明した。
エルダーフラワーはお茶にしても美味しいが、打撲や捻挫を癒す薬にもなるのだ。
「よかった。腫れもひいてきましたね」
傷跡は落ち着いてきたし、骨も折れていなそうだ。
傷口に薬を塗り直しながら、私はノース男爵の長女だと改めて名乗った。
「私はサラ・ベリーです。お名前をお聞きしてもいいですか?」
「ああ。私の名はジョ……」
男性は言いかけて、ゴホンゴホンと咳き込んだ。
「……ジョンという」
「ジョンさんですね。体調はいかがですか? 何か食べられそうなら、体にいいスープを作ります」
食べ物を口にした方が、体力も早く戻るだろう。
ジョンさんは「ありがとう。ぜひお願いしたい」とうなずいたので、私はさっそく竈の準備を始めた。
庭にある倉庫から乾いた土の塊を持ってくると、ジョンさんは不思議そうな顔をした。
「それは?」
「泥炭です。このあたりは薪が貴重なので、これを燃料として使っているんです」
ノース男爵領は草しか生えないと揶揄されるだけあって、森林がない。
水質が貧栄養のため、樹木など大型の植物が生育しにくいのだ。
だから料理や暖炉などの熱源には、薪ではなく泥炭を用いている。
泥炭は野草や水生植物などが炭化したものだ。この辺りは冷涼で気温が低いため、草が枯れた後も腐らずに残り、湿った土になって堆積していくのだ。
土塊を包んで、炎が踊る。
泥炭の火は柔らかくて、薪のようにはぜることも、石炭のように強く燃えることもない。
優しい火は激しさには欠けるけれど、スープなどの煮込み料理を作るには最適だ。
「じゃあ、コッカリーキスープを作りますね」
コッカとは雄鶏のこと。リーキとは葱の仲間の野菜の名称だ。
まずは鶏をまるまる一羽捌いて、一口大に切る。大きめの鍋に入れ、焼き色がつくまで炒めたら、輪切りにしたリーキを加えて、食材がかぶるくらいの水を入れる。
タイムとローリエとローズマリーを足し、沸騰したら灰汁を取りながらじっくりことことと煮込む。最後に塩こしょうで味を整えて完成だ。
ジョンさんの体調がよくなるようにと、疲労回復効果のあるフェンネルや、消化促進効果のあるクレソンも加えたら、ちょっと薬膳料理みたいになってしまった。
「ケイ、スープをよそってくれる?」
「はーい」
ケイが鍋の蓋を開けると、コッカリーキスープの優しい香りがふわっと立ちのぼった。
泥炭の火で時間をかけて煮るので、鶏からは出汁が、野菜からは旨味がしっかりと出るし、体も芯からあたたまる。豪華ではないがしみじみと美味しいスープだ。
ケイは慣れた手つきで鍋をかき混ぜ、一番脂の乗った肉と一番きれいに煮込まれたリーキをひょいひょいと皿に注いで、ジョンさんの元に持っていった。
「はい、どうぞ。ジョンおじさん」
「これは一番いい部位じゃないのかね? 私はいいから、育ち盛りの君たちが食べなさい」
「ううん。おじさんはケガしてるから。いっぱい栄養をとってほしいんだ」
ケイがそう答えた時、メイが焼きたてのパンを運んできた。
「パンも焼けたよ!」
うちではパンも泥炭の火で焼く。全粒粉とライ麦粉を使った生地を鍋に入れて、火にかけるのだ。
鍋には蓋をするので蒸気が逃げず、外はパリッと、中はしっとりと焼き上がる。
高価なオーブンで焼き上げる上等なパンとは違うけれど、これはこれで美味しいのだ。
「真ん中が一番ふわふわしていておいしいの。ジョンおじさまにあげるね」
「いいのかい?」
「うん。おじさまが早く元気になりますようにって、お祈りをこめたの」
メイはふっくらと焼き目のついたパンを切り分け、真ん中をジョンさんにさしだした。
「ありがとう。ああ……いい香りだ……」
目を細めて言ったジョンさんに、うちのお父様が申し訳なさそうに頭を下げた。
「ろくなものをお出しできず申し訳ありません。うちは本当に貴族とは名ばかりの家でして……」
「いやいや、とんでもない! それどころか……」
謝るお父様に、ジョンさんはかぶりを振った。
「……見ず知らずの人間を助け、一番いい部位を分けてくれる。これ以上の善行はこの世にないでしょう……」
ジョンさんはエメラルドグリーンの瞳をまたたき、目元を指でぬぐった。
「私は今、この世でもっとも美しい心に触れているのだと……感激しています……」
感極まったように言うジョンさんに、じーんとしてしまった。
お世辞にも高級とは言えない素朴なスープとパンなのに、そんなに感動してくれるなんて、ジョンさんはなんて優しい心の持ち主なのだろう。
ジョンさんの面ざしや雰囲気は知っている誰かに似ているような気がして、不思議と心がほぐれる。
私たち家族はジョンさんのベッドの周りに車座になって、和気あいあいと夕食を摂ったのだった。




