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あなたには近づきません

 巻き戻り前。私がハーブを使ったタッジーマッジーを作った時。ローレンス様は癒されたと言ってくれた。


『派手な花を飾るよりもあの方がいい』


 ローレンス様の穏やかな笑顔を、今もはっきりと覚えている。優しい言葉を一言一句違えず思い出すことができる。


『清々しい香りも好みだ』


 大貴族として育ったローレンス様は、他にいくらでも豪奢な装花を観賞する機会があったはずだ。


 それなのに地味なタッジーマッジーを馬鹿にせず、好みだと言ってくれた思いやりが嬉しかった。


 短くも幸せだった、私の大切な時間。


 ローレンス様にとってはすぐに忘れてしまう些細な記憶だろうが、私にとっては奇跡のような特別な思い出だ。


「……」


 追憶が胸を衝く。痛く穿うがたれて、私は息を飲んだ。


「ラセル侯爵……お戯れはやめてください……」


「戯れではないと、先日も言ったはずだ」


 ローレンス様は私の手を取ったまま、美麗な顔を耳元に近づけ、小声でささやいた。


「オルブライト公爵家を訪問したのは君がいるからだ。どうしてももう一度君に会いたかった」


「えっ……!?」


 私がミラベルお嬢様の侍女で、オルブライト公爵家に仕えているから?


 だからローレンス様は今日、お母様のオリヴィア様が招待されたオルブライト公爵家のお茶会にわざわざやって来た……ということ?


「ど……どうしてですか……?」


 なぜローレンス様が私なんかに執着するのか、いくら考えてもわからない。


 今の私たちは夫婦どころか、直接会うことさえまだ二度目なのに。


 困惑しながら顔を上げると、まっすぐに見下ろしてくるまなざしと視線が合った。


 最高級のクラリティを誇る宝石のような、美しい緑の目が私を射る。光を透かすと金にも見える茶の髪が、さらりと揺れて額にかかる。


 私の目が草色ならば、ローレンス様の瞳はエメラルドを嵌め込んだような極上の緑。


 私の髪が土色ならば、ローレンス様の髪は銅を溶かしたような高貴なブロンズブラウン。


 系統だけは同じだけれど、一緒だなんてとんでもない。質が全然違う。雲泥の差だ。


──そう、雲泥の差。ローレンス様は雲で、私は泥なのに。


 グランディール公爵領は豊かな要地で、ノース男爵家は草しか生えない貧乏僻地。


 アッシュフォード家は王国有数の大貴族で、ベリー家は吹けば飛ぶような木っ端貴族。


 ローレンス様はラセル侯爵の儀礼称号で呼ばれる貴公子で、私はレディとすら呼ばれない下っ端の雑草令嬢。


 私にとってローレンス様は雲の上のそのまた上の方なのだ。


……なぜか結婚したこともあるけれど。あれは何かの間違いだ。自惚れや勘違いはしない。


 私は意を決して、ローレンス様を真っ向から見返した。


「ラセル侯爵……離してください……!」


 ローレンス様と関わりたくないのは、身分が釣り合わないことだけが理由ではない。


──だって、私はあなたを不幸にしてしまう。


 この熱い手が、氷のように冷たくなった日を私は知っている。


 この美しい緑柱石の眼が、二度と開くことなく閉じた日を知っている。


 回帰して以来初めてローレンス様に触れたからこそ、忘れもしない過去の悪夢が苦しくよみがえった。


 輝かしい未来を嘱望しょくぼうされていたはずのローレンス様の命は、凄惨な死によって中絶された。


 恐怖と激痛の果てに、本物の絶望を知った日。あの光景だけは何があっても、もう決してくりかえしたくない。


 私と結婚さえしなければ、ローレンス様はあんな終焉しゅうえんを迎えることはなかったのだから。


 「私は……!」


 ローレンス様は手を離そうとしなかったが、私から振り払った。


「……私はあなたには近づきません。あなたにだけは……!」


 震える唇をなだめてそれだけを告げ、私は脱兎のように身をひるがえした。


 無礼は承知していたが、振り返ることなくそのまま部屋を出る。


 どのくらい走っただろうか。広いお屋敷の中をしゃにむに逃げ、中庭まで着いた時。追ってくる気配がないことに安堵して、私はようやく呼吸をした。


「……ローレンス様……」


 触れられた手には、まだローレンス様のぬくもりが残っている。


 ぎゅっと指をにぎり込むと、そのぬくもりが指先から全身へと伝わって、私の心臓を貫いた。


 もうあの手に触れられなくてもいい。二度と会えなくてもかまわない。


──ローレンス様に生きていてほしい。


 あなたをうしなうよりも、無事でいてくれる方がずっといい。


 なぜローレンス様が接近してくるのかはわからないけれど、これからも全力で回避しようと、私は固く心に誓ったのだった。

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