お茶会②
──ぐらん……でぃーる……?
なごやかに微笑みあう二人の公爵夫人の横で、私は一人、心臓の鼓動を止めたまま硬直していた。
──ええと、グランディール公爵家ってグランディール公爵家のことよね?
言葉は理解できるのに、頭が働かない。
私は失礼にならないよう注意しながら、お客様の顔をそっと見つめた。
エメラルドを象眼したような麗しい碧眼。上を向いた長い睫毛。男女の差はあれどどことなく似通った、端正な面輪。
──似てる……! ローレンス様と……!
オリヴィア・アッシュフォード様。
現グランディール公爵の奥様で、ローレンス様のお母様だ。
──時が戻る前は、一度もお会いしたことがなかったのに……!
私が初めてローレンス様に出会った時、お母様のオリヴィア様はすでに未亡人で、領地のカントリーハウスに隠棲されていた。
ご夫君を亡くされたオリヴィア様の悲しみは深く、ローレンス様と私の結婚式にも出席されることはなかった。
そこで私たちの方からオリヴィア様に会うために、グランディール公爵家の領地へと向かった。
その道中で事故に遭い、落命してしまったので、私はオリヴィア様の顔も知らないままだったのだ。
──まさか……こんなところで出会うなんて……!
私の動揺をよそに、うちの奥様は早くも意気揚々と、事業を立ち上げる際の販売方法や流通ルートについて言及していた。さすが奥様、商魂たくましいわ。
「よいお話ですこと。私に最初に教えてくださった栄誉に感謝いたしますわ」
オリヴィア様はマロウのお茶をもう一口含んで、にこやかな笑みをほころばせた。
「優秀な侍女をお抱えなのは、オルブライト公爵夫人の人徳なのでしょうね」
「滅相もございません」
うちの奥様がきっぱり謙遜した時、ノックの音がした。家令さんだ。
家令さんは折り目正しく腰を曲げると「奥様。アッシュフォード家の馬車が到着されました」と報告した。
──えっ? アッシュフォード家の馬車なら、オリヴィア様が乗ってこられたものが今も馬車止めに待機しているはずよね?
そう疑問に思っていると、オリヴィア様はふわりと相好を崩した。
「あら、息子が来たかしら」
その言葉に、壁に沿って控えていた先輩侍女さんたちがきゃああっと沸いた。
「まぁ! ご子息が?!」
「ラセル侯爵が到着されたのですか!?」
「どうしましょう! まさかお見えになるなんて……!?」
仕事の最中に私語は厳禁なのだが、それでも思わず浮き足立たずにはいられないほど、「ラセル侯爵」の名は魅力的らしい。
グランディール公爵家の後継者に与えられる儀礼称号「ラセル侯爵」
その名で呼ばれるのは、社交界きっての貴公子と呼ばれる人物。
「ええ、普段は素っ気ないのだけれどね。今日はめずらしく迎えに来てくれるそうなの。いったいどういう風の吹きまわしかしら」
オリヴィア様が少しあきれたように言うと、先輩侍女さんたちはますます色めき立った。
「ラセル侯爵様がわざわざお越しになるって……まさか……!」
「そうよ、何か理由があるのではなくて?」
「ええ、ミラベルお嬢様とお近づきになろうとしているのでは?!」
グランディール公爵令息であるローレンス様と、オルブライト公爵令嬢であるミラベルお嬢様との婚姻が成立すれば、社交界がひっくり返るほどの大ニュースだ。
ロマンスの予感に、先輩たちはそわそわと前のめりになり、私だけがそーっと後ろに退った。
「わ……私、下がっていますね……」
ローレンス様と顔を会わせる前に、一刻も早くここから立ち去りたい。
私は身をかがめ、足音を殺し、存在感を消し去って部屋を出ようとした。
が、私が開けるよりも先に扉が開いて、長身の影が絨毯に伸びた。
「ラセル侯爵、こちらでございます」
「ありがとう」
執事さんの案内に答えたのは、張りのある美しいバリトンの声だった。
息を止めて視線を上げれば、ひと目で上質とわかるツイードのジャケットを見事に着こなした長身。
「……!」
濃いブロンズブラウンの髪が午後の日射しを浴びて、きらきらと光の輪を冠している。
「……ローレンス……様……!」
私が震える声で呼んだ名前は、先輩の「ラセル侯爵さまぁ! ようこそいらっしゃいましたぁ!」という黄色い歓声がかき消してくれた。
──せ、先輩。そんな甘ったるい声も出せるんですね……。
私が扉の影に隠れて身を縮めていると、ローレンス様の切れ長の双眸が何かをとらえた。
「これは? いい香りですね」
ローレンス様はかすかに首をかしげて、部屋の壁に近付いていく。
壁に架けてあったのは、生花と草を使ったリースだった。
メインの薔薇を中央に、周囲にベルガモットとヒソップの緑を添え、麻紐で縛ってラウンド型にまとめてある。
──それは……私の作ったハーブのブーケ……!
ヒソップはミントのようなすっきりとした香りがするので、少しでも空気が爽やかになればと思い、今朝作ったばかりのものだ。
応接間の中央にはもっと立派な花束が、花瓶にどーんと活けられているのに、ローレンス様がそんな素朴なタッジーマッジーに気がつくとは思わなかった。
「それ、私が作ったんですぅ! ラセル侯爵様のお目に留まるなんて光栄ですわぁ!」
先輩がきゃぴきゃぴとはしゃぎながら、くねくねと科を作ったが、ローレンス様は返事をしなかった。
形のいい頤が、ゆっくりとこちらを向く。
緑柱石を溶かしたような瞳が、見る者を引き込むほど強い魅力を放つ。
目が離せなくて、体が動かせない。まるで見えない矢で心臓を射抜かれたみたいに。
立ち尽くすことしかできずにいると、ローレンス様はまっすぐに私の前に歩み寄ってきた。
「──作ったのは君か?」
「イイエ、チガイマス」
機械的に答えながら、私はぎくしゃくと首を振った。
ローレンス様はふっと笑みを浮かべて、私の手を取った。自分の鼻先を近づけて、くんくんと香りを確かめる。
「こんな芳しい香りのする手は、君しかいない」
「チガ……ワタシ、ナニモ、シラナイ……」
先日のパーティーでは話をしただけだったから、巻き戻り後にローレンス様に触れるのは初めてだ。
まるで発熱した時のように体が熱くなって、私は反射的に目を反らした。




