コンフリー
「そう言えば、もうすぐあの事件があった頃だわ……!」
気が付いた私は、そのまま厨房へと直行した。
このオルブライト公爵家はお屋敷も広いけれど炊事場も広い。厨房だけで私の実家が丸ごと入ってしまいそうなくらい広い。
数人が同時に作業できる台が備えられたキッチンをメインに、お皿を洗うためのスカラリー、ワインを寝かせておくためのセラー、刃物類を収納するための専用のナイフ・ルームまであるのだから、さすがは高位貴族と言うほかない。
「おはようございます!」
厨房の料理人さん一人一人にあいさつしながら、私は食材を貯蔵するパントリーに向かった。
パントリーではちょうど朝市場から戻ったばかりの料理人さんが、仕入れてきた材料を棚にしまっているところだった。
「お願いがあるんです。今度《《あの草》》が手に入ったら、調理する前に私に教えてください!」
そう頼むと、料理人さんは「ああ、いいですよ」快諾してくれた
私はミラベルお嬢様のために毎日ハーブティーを淹れているので、料理人さんたちも私が草にだけは詳しいことを知ってくれているのだ。
それから数日後。
「おーい、サラさん!」
またしても先輩に水をかけられた私が、濡れた服をローンドリーで洗って干していると、料理人さんが中庭まで呼びに来てくれた。
「頼まれていた《《あの草》》が入荷しましたよ!」
「すぐ行きますっ!」
私は洗濯もそこそこに放り出して、厨房へと向かった。
「見てください。今日は新鮮なやつが買えたんですよ」
料理人さんが自慢げに見せてくれたのは、長卵状の楕円形をした草。葉は濃い緑色をしていて、くっきりとした葉脈が確認できた。
「ほら。"コンフリー"です!」
コンフリーは健康野菜として知られる草だ。栄養豊富なので、美容を気にする女性などが生のままサラダとして食べることが多い。
「みずみずしいでしょう? まだ若葉なので食べごろですよ」
コンフリーは育ちすぎると青臭い香りがするし、固くなってしまうため食感も悪くなる。クセが少ない若葉のうちに摘み取って、早めに食べるのが定番だ。
「サラさん、どんな美味しい食べ方を教えてくれるんですかい?」
「サラさんは草には詳しいものねぇ。楽しみだわぁ」
料理人さんとキッキンメイドさんがそろって目を細めたが、私は答えずにじっとコンフリーの葉を凝視した。
「サラさん?」
「……やっぱり……」
私はつぶやいて、強くかぶりを振った。
「これはコンフリーではありません。ジギタリスです」
「「はぁっ!?」」
料理人さんとキッチンメイドさんはひっくり返るほど驚いた。
それもそのはず。ジギタリスは有毒なのだ。
ジギタリスは鐘のような形をした花を咲かせる植物だ。穂状になって伸びる白や紫紅色の花は目立つので、庭に植えると見映えがする
だが、草は毒性のため食用にはできない。誤って摂取すれば嘔吐や頭痛、めまいなどを引き起こし、最悪の場合は心臓が麻痺して命を落とすことさえある。
ジギタリスは栽培が禁止されているわけではなく、観賞用としては人気がある。そのため、うっかりコンフリーと取り違えて市場に出てしまったのだろう。
私は葉の表面を指さした。
「よく見てください。この葉には鋸歯があります。ジギタリスに間違いありません」
コンフリーの葉とジギタリスの葉はよく似ているが、ジギタリスにはごく細かい鋸歯──つまりギザギザがあるのだ。
葉に触れた時の感触も違う。コンフリーがざらざらとしているのに対して、ジギタリスは毛が柔らかく、ビロードのようななめらかな手触りをしている。
「ほ、本当だ……」
「な、なんてこと……!」
がくがくと震えて青ざめる料理人さんとキッチンメイドさん、そして私は雁首をそろえて、家令さんのところへ報告へ行った。
家令さんは全使用人中のトップ。お屋敷を取り仕切る最高責任者だ。
食中毒を事前に防げたからといって勝手にもみ消すことはできない。報告が必要なのだ。
「な、なんと……! 危うくジギタリスが食材に混入するところだったと……!?」
「はい」
愕然とする家令さんに、私は真剣な面持ちで語った。
「うっかりジギタリスをお食事に出していたら、大変なことになるところでした……」
そう、時が巻き戻る前。ジギタリスのサラダを食べたのはよりによって、ダイエット中の奥様とミラベルお嬢様だったのだ。
幸い命に別状はなかったが、お二人とも吐き気と腹痛を訴えられ、それはもう大変な大騒ぎになったものだ。
「もしも奥様とミラベルお嬢様が体調不良になっていたら、旦那様は大激怒されていました。厨房の皆さんは連帯責任を問われ、一律に減給処分を下され、家令さんまで監督不行き届きと責められて……」
私が伝えると、家令さんはゾクゾクっと怖気をふるって、顔をひきつらせた。
「や、やめてください! まるで体験したみたいにリアルだ!」
ええ、体験しましたから。
私含む侍女たちも全員が疲労困憊しましたから、リアルにもなりますわ。
「これは家令さんが気が付いたことになさってください」
「いいのですか!?」
私が手柄を譲ると、家令さんはぱっと目を輝かせた。
旦那様のお怒りを回避できたばかりか、食中毒を阻止した功績を自分のものにできるのだ。願ってもない話だろう。
「恩に着ます! 本当にありがとうございます!」
喜ぶ家令さんに、私は満を持して申し出た。
「そのかわり……お願いがあります」
「お願い……?」
「はい! お庭でハーブを育てさせてほしいんです!」
⚠️コンフリーは健康野菜として一世を風靡しましたが、後に有毒成分が指摘され、現在では禁止されています。




