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パーティー

 管弦楽団の奏でる楽器の調べが、広大な大広間に心地よく響き渡る。


 クリスタルガラスの窓からは柔らかな夕日がさしこみ、漆喰細工で彩られた壁を黄金の色に照らしていた。


 シャンデリアの光が大理石の床に無数の虹を描いている。広大なボールルームにさらに鮮やかな虹色を広げるのは、手を取りあって踊る紳士淑女。


 貴婦人たちのドレスの裾がダンスの動きに合わせて優美に揺れる。色とりどりの宝石がシャンデリアの光を反射して、華やかなきらめきを投げかけた。


 この世の栄華を集めたような、絢爛華麗なパーティー。


 さすがは王国の社交界ソサエティ。いや、限られた特権階級だけの上流社交界ハイ・ソサエティだ。


「……すごい……!」


 弱小貧乏貴族である我が家には、とんと縁のないきらびやかな世界である。


 圧倒された私はごくりと息を飲み、改めて背筋を正した。


 恐縮はするけれど、緊張はそれほどしていない。


 なぜなら私はパーティーの参加者ではなく、お目付け役(シャペロン)だからだ。


「ミラベルお嬢様、こちらのソファに」


「ええ」


 今日のミラベルお嬢様は正装フル・ドレスで着飾り、いつも以上にお美しい。


 私はそんなお嬢様を引き立てるべく、地味で質素な服に身を包み、影のようにそっと寄り添っていた。


 お嬢様がドレスの裾をさばくのを手伝ったり、声をかけてきた男性についての情報をさりげなく教えたり、異性との交遊が行き過ぎないように見張ったりするのが私のお仕事。


 おてんばなご令嬢相手だと、はしたないふるまいをしないよう咎めるのが大変らしいが、その点ミラベルお嬢様は淑女教育で優秀な成績を修めるしっかり者。羽目を外すことはない方なのでありがたい。


 むしろ私の方が、必死に暗記してきた社交界のマナーを厳守するのに必死なくらいだ。


 お嬢様のスカートを支えながら二人でソファに座っていると、どこかの令息がダンスを申し込んできた。


「──オルブライト公爵令嬢。お会いできて光栄です。どうか一曲、お相手を」


 私はすかさず令息の紋章をじっと見た。


 貴族の家紋は他家と重複しないよう、個別のデザインが厳格に定められているのだ。


 どの家紋も中央に盾の形をした小紋章(アーム)があるのは共通していて、文様や色、盾を支える聖獣などが異なる。


 ええと、この斜めしまの色と、兜飾りの模様……。聖獣はグリフォンで、あしらわれている植物はヒース(ヘザー)……ということは。


 わかった! これはヘザーコート家の家紋だわ!


「ミラベルお嬢様。エインズリー侯爵家のご長男、ジェラール・ヘザーコート様です。ノックス子爵の称号をお持ちです」


 私は頭に叩きこんできた各家の紋章を思い出しながら、ひそひそとミラベルお嬢様に耳打ちした。


「そう。わかったわ」


 お嬢様はダンスの誘いを受ける気になったらしく、ジェラール様の手を取った。


「よろしくてよ、ノックス子爵」


 ダンスフロアへと歩いていく二人の背中を見送りながら、私は付け焼き刃の知識が合っていたことにホッとした。


「よかった……。ジェラール様で間違ってなかった……!」


 この国の爵位と称号はややこしいのだ。


 ジェラール様は子爵と呼ばれているが、実際は子爵なわけではない。儀礼称号である。

 

 一つの家が持つ爵位は、一つだけとは限らない。


 ヘザーコート家はエインズリー侯爵とノックス子爵、二つの爵位を有している。


 どちらも当主であるジェラール様のお父様、現エインズリー侯爵が有する爵位だが、長男で後継者のジェラール様はお父様の持つもう一つの爵位「ノックス子爵」を儀礼称号として名乗ることができるのだ。


 個人名がジェラール。家名がヘザーコート。お父様がエインズリー侯爵。そしてご本人の儀礼称号がノックス子爵。


 うーん、本当にややこしい。


 私の生家のベリー家はノース男爵位ひとつしか授かっていないので、改めて高位貴族がいかに格上であるかを思い知る。


 ミラベルお嬢様にパーティーの付き添いを命じられてから今日まで、必死で各家の家紋や爵位や個人名を叩きこんだので、頭がパンクしそうだ。


 ちなみに我がノース男爵家の紋章はいちごである。苺。聖獣などいない。

 

 ベリーという姓にちなんで作られた印章は、小ぶりの盾の周囲に赤い苺をちりばめて、緑の弦と葉でぐるっと巻いたデザインだ。威厳はさっぱりないが、ほのぼのしていて可愛い。


 複雑な紋章の勉強をしすぎたせいか、素朴なうちの家紋がなつかしくなる。


 私はミラベルお嬢様から視線を外さないまま、もう一度ソファに腰を下ろした。


──お嬢様が戻られるまで、ここで壁と化していようっと。


 社交界にデビューもしていないのに付き添い役を務めることになってしまったが、私の装いはどこからどう見ても令嬢ではない。


 私は壁の花ですらない。壁である。壁。


 地味な服に最低限の薄化粧。茶色の髪は控えめに結ってある。我ながら完璧に壁と一体化していると思う。


 ダンスに誘われる可能性がゼロなのは気が楽だ。私はミラベルお嬢様を見守る壁になりながら、豪華絢爛な宴を遠目にながめていた。


 その時だった。


 入口の扉が左右に開いたかと思うと、きゃああっと黄色い悲鳴が湧いた。


 給仕たちはシャンパンやオードブルを運んでいた手を止め、貴族たちはクリスタルグラスが触れあう直前で乾杯を止める。


「見て! ラセル侯爵よ!」


「ラセル侯爵がお見えになるなんて! 今日来てよかったわ!」


 ダンスを踊っていた令嬢たちがパートナーの手を離して、きゃあきゃあと歓声を上げる。


 浮かれる令嬢たちとは裏腹に、私は青ざめた。


──ラセル侯爵って……まさか……!


 ヘザーコート家が二つの爵位を有しているように、他の高位貴族も複数の爵位を有することがある。


 ラセル侯爵はかつてこの国で権勢を誇った古参貴族が有する地位だった。その貴族は王家の不興を買って失脚し、家は断絶となったが、爵位と領地は別の公爵家に下賜された。


 ラセル侯爵の領地と爵位を賜った家とは──アッシュフォード家。


 アッシュフォード家の当主はグランディール公爵位、ラセル侯爵位、スコット伯爵位の三つの爵位を有している。


 そして後継者である長男は爵位の中で二番目に高い「ラセル侯爵」の儀礼称号で呼ばれていた。


「ラセル侯爵さまぁ!」


 周囲の歓声を浴びて現れたのは、光を透かすと金にも見える美しいブロンズブラウンの髪。


 クラバットが揺れる。均整の取れた長身が歩を進める。髪によく似合うエメラルドグリーンの瞳が、何かを探すようにすがめられる。


「……ローレンス様……!」


 ローレンス・アッシュフォード様。


 もう二度と会わないと決めたはずの、私の旦那様がそこにいた。

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