ハーブバス
ミラベルお嬢様の睡眠不足は改善されてきたものの、本当の戦いはこれからだ。
鏡台の前に座ったお嬢様の髪を、細心の注意を払って慎重に梳かしながら、私はごくりと固唾を飲む。
「ああ! もうっ!」
世界一嫌いなものを鏡の中に見つけて、ミラベルお嬢様は怒りを爆発させた。
「本っ当に嫌になるわ!」
憤るお嬢様の額には、赤くてぷつぷつとした吹き出物。
ミラベルお嬢様の世界で一番嫌いなもの──それは、ニキビである。
治ったかと思えばまた現れるしつこいニキビは、お嬢様にとって忌々しくてたまらない不倶戴天の敵のようだ。
ミラベルお嬢様は私をきつく睨んだ。
「……サラは洒落っ気はないくせに、肌はきれいなのよね。ずるいわ!」
以前の私ならミラベルお嬢様にこんな目で睨まれたら、びくびくと狼狽していただろう。
しかし今の私はすでにお嬢様にハーブティーを気に入っていただけた実績がある。
私はにっこりと笑って言った。
「ではミラベルお嬢様。ハーブバスを試してみませんか?」
「ハーブバス……?」
「はい。湯浴みのお湯にハーブティーを入れるのです。すぐご用意しますね!」
善は急げだ。私はさっそくお風呂の準備をメイドさんに頼んだ。
それからタイムとラベンダーとカモミールをブレンドしたハーブティーを、飲む時よりも三倍ほど濃く、たっぷりと作る。
バスタブにお湯を張り、淹れたハーブティーを注ぐ。
ゆっくりとお湯をかき混ぜると、ハーブの香りがバスルームにふわりと広がった。
この国の水は硬水だが、ハーブの成分が作用してお湯を柔らかくしてくれるから、お肌にも優しいはずだ。
「お嬢様、こちらもお入れしますね」
「これは? サシェ?」
「はい」
私はガーゼを使ったサシェをバスタブに浮かべた。中身がこぼれないようにガーゼは縫い付けてある。
入浴中のお嬢様は、お湯にぷかぷか浮かびながらラベンダーの華やかな香りを放つサシェを、楽しそうに指でつついていた。
「ミラベルお嬢様、お湯加減はいかがですか?」
「……まぁ……悪くないわ……」
素っ気なく言われたが、お嬢様の「悪くない」はかなり高評価だと知っているので、私はにこにこである。
実際、いつも刺々しいお嬢様も温かいお湯の中では力が抜けて、見るからにリラックスしている。
ハーブティーの溶けたお湯とラベンダーのフローラルな香りに包まれれば、まるで自然の中で外気浴をしているような気分になれるだろう。
「お嬢様、お顔に失礼いたします」
私は声をかけ、ミラベルお嬢様の額に蒸しタオルを乗せた。
ハーブバスの蒸気で温められたタオルは、よい香りがするだけではない。肌を保湿し、毛穴を開いて汚れを落ちやすくしてくれるから、にっくきニキビにもきっと効果があるはずだ。
「……気持ちいい……」
ぽつりと洩れたお褒めの言葉に、私は心の中で快哉を叫んだ。
お嬢様はうとうとと目を閉じて、今にも眠ってしまいそうだ。こうしていると年相応で、本当に可愛らしい。
ミラベルお嬢様は私と同い年だけれど、私が巻き戻っていることもあって、今はすっかり年下の女の子という気がしてしまう。
「ミラベルお嬢様はいつも本当に頑張っておられますね……」
お嬢様の顔や肩をマッサージしながら、私はしみじみと言った。
オルブライト公爵家は私の実家のノース男爵家とは比べ物にならない名家。
公爵令嬢としてハードなレッスンを受けておられるけど、ミラベルお嬢様だって疲れるし、本当は誰かに甘えたいわよね
「公爵令嬢として自覚を持ち、日々厳しい淑女教育をこなされて……お嬢様は本当にご立派です」
「な、何よ! 褒めても何も出ないんだからっ!」
うん! 可愛い!
ツンツンしているお嬢様も可愛いなぁと思いながら、私は心を込めてマッサージを続けたのだった。
◇◇◇
ハーブティーとハーブバスの効果で、ミラベルお嬢様の肌の調子は日に日に整っていった。
思春期はニキビもできやすいお年頃だが、若いからこそ生活習慣を整えるだけで改善されるだろうと思っていたのだ。
毎晩しっかりと良質の睡眠を取り、お風呂で皮膚を清潔に保ち、ハーブの効果でかゆみや炎症を鎮めた結果、ミラベルお嬢様の額に居座っていたニキビは徐々に小さくなっていった。
もちろん劇的な効き目はないし、ニキビが完全になくなりはしないけれど、軽いお化粧で充分隠せるくらいには薄くなったのだ。
おかげでミラベルお嬢様のご機嫌も上々、理不尽な叱責が炸裂することはなくな……
「サラ! 何をもたもたしてるの!」
……っていない。今日も元気にぷんすかしている。
「この私が呼んでいるのよ! 早く来なさいよね!」
「そんなに私と会いたいと思っていただけるなんて、嬉しいです!」
「な、何言ってるのよ! バッカじゃないの?」
顔を赤くして照れるお嬢様が可愛くて、私は目尻を下げた。
実の妹のメイは素直で可愛いけれど、ミラベルお嬢様は素直じゃなくて可愛いわ。
「ちょっとサラ! 聞いているの!?」
いけない。故郷の妹を思いしてほんわかしていたら、また叱られてしまった。
「申し訳ありません。何のお話でしょうか?」
「次のパーティーで、あなたを"シャペロン"にするって言ったのよ!」
「ええっ!」
私は目を剥いた。
「私を……シャペロンに!?」
お目付け役とは公式の場で、貴族の令嬢に付き添う女性のことだ。
身分の高い独身の令嬢が外出する際、一人ということはありえない。必ず年上の女性がお目付け役として同伴するのが決まりだ。
ミラベルお嬢様のシャペロンはこれまで年嵩のベテラン侍女が務めてきた。お嬢様のサポートという大任だからこそ、酸いも甘いも噛み分けた大人の女性が選ばれるものなのだ。
それなのにまさか、私に白羽の矢が立つなんて想像もしなかった。
巻き戻り前にはこんなご指名は一度もなかったのに。私が以前と違う行動をしたから、未来も変わってしまったのだろうか……?
「ミラベルお嬢様! 無茶ですわ!」
「サラは社交界にデビューすらしていないんですよ?」
「この子にシャペロンが務まるわけありません!」
先輩侍女さんたちがこぞって反対している。それもそうだ。
しかしミラベルお嬢様は縦ロールの髪を華麗になびかせて、ビシッと指を突きつけた。
「──この私が決めたのよ! 何か文句でもあるの?」




