再就職
「ちょっと! 何なの? このデイドレスは!」
きゃんきゃんと高い声が不機嫌を撒き散らす。
「シワがついているじゃない! こんなの着られるわけないわ! あなたの目は節穴なわけ?」
「も、申し訳ありません! ミラベルお嬢様!」
怒っているのはミラベル様。このオルブライト公爵家のご息女だ。
怒られているのは若手の侍女さん。私より少し前に入った人だ。用意したドレスに不備があったようで、ぺこぺこ頭を下げて謝っている。
高位貴族の女性はとにかく一日に何度も着替えをする。
朝はモーニングドレス。昼はデイドレス。午後はアフタヌーンドレス。夜はイブニングドレス。眠る時はナイトドレス。
お屋敷にいるだけでもこれだけ着替えるのに、さらに馬車に乗る時はキャリッジドレス、舞踏会に参加するなら最も格式の高い宮廷用のバルドレスなど、時と場所にあった服装を使い分けるのが淑女のたしなみだ。
ミラベルお嬢様も、お母様である公爵夫人も、お洒落とファッションにうるさ……こだわりがあり、シワひとつにも細か……厳しい方々だ。
「……う……ううっ……」
叱責された侍女さんは、半泣きになって部屋を出ていった。
私を含めた他の侍女たちは、次は自分に癇癪の矛先が向かないかとビクビクしながら、全力で存在感を消している。
「ちょっと、新人さん──」
「はい。ラウンドガウンですね」
水を向けられた私は、用意していたガウンをすっとさしだした。
「よ、よくわかったわね……」
ラウンドガウンはドレスの上に羽織るためのガウンだ。
だんだんと冷える季節になってきたから、きっとミラベルお嬢様がご所望になると思って、あらかじめ準備しておいたのだ。
「それと、今日の午後だけれど──」
「はい。乗馬のご予定ですよね。こちらにご用意しています」
私は乗馬着をさしだした。
特注のロングスカートは馬に揺られても足がはだけないよう、体にフィットする仕立てになっている。もちろんシワひとつなくアイロン済みだ。
「そ、そう。じゃあ──」
「はい。こちらが帽子と手袋、それにブーツです。乗馬着と同じ生地で仕立てたセットのお品になります」
ミラベルお嬢様は一瞬あっけに取られ、それからプイッとそっぽを向いた。
「……何だか乗馬って気分じゃなくなっちゃった。やっぱりお散歩にするわ」
「はい。そんなこともあろうかとウォーキングドレスもご用意しておきました」
「そんなこともあろうかと?」
にこにこと散歩用ドレスをさしだした私に、ミラベルお嬢様は毒気を抜かれたような顔をした。
「……なかなか気が利くじゃない……」
私はかつてオルブライト公爵家をクビになったことがある。侍女として知識不足だという理由で。
あの時と違うのは、今の私には巻き戻り前の記憶があること。
ドレスや宝石には相変わらず詳しくないけれど、ミラベルお嬢様の好みの色やデザインや組み合わせ、気まぐれな思考のクセはよく覚えている。
ミラベルお嬢様にとって私は入ったばかりの新参者だけれど、私にとってはもう二年以上のお付き合いだ。
他家のお嬢様にお仕えするには力不足だが、ことミラベルお嬢様に対してだけは、これまでの数々の失ぱ……経験が役に立つのだ。
そう思っていた時だった。
バシャッ!
飛沫が舞ったかと思うと、私の茶色の髪にぽたぽたと雫がしたたった。
「あーら、ごめんなさい。手がすべっちゃったわ」
くすくすと笑っているのは先輩侍女さん。
手に持っている洗顔用の水を入れたボウルは、明らかに私めがけて逆さになっている。
「悪気はないのよ? でもそのウォーキングドレス、今日はもう使えないわねぇ?」
「大丈夫です。そんなこともあろうかと、もう一着ご用意していますから」
「「そんなこともあろうかと!?」」
別のドレスを出した私に、ミラベルお嬢様と先輩侍女さんが同時に目を剥いた。
「こちらの濡れた服は、ローンドリーで洗ってきますね!」
ローンドリーとは洗濯場だ。ランドリーとも言い、建物を一度出た中庭の脇、井戸の近くに備えられている。
オルブライト公爵家はとにかく大きい。私の実家であるノース男爵家の邸宅が猫の額なら、オルブライト公爵家は象の全身かというくらい広い。
しかし私は複雑な廊下を正確に数回曲がり、階段を降り、最短距離でローンドリーへと向かった。
窓から見下ろしている先輩侍女さんの口が「あの子……なぜもう屋敷の構造を把握しているの……?」と驚いている。
──なぜかと言えば、巻き戻っているからです!
過去にはさんざん迷子になって、たくさん叱られて、半泣きになったこともあったけれど、今はすっかり邸内の地図が頭に入っている。
──それにしても先輩侍女さんたち、相変わらずだわ……。
ミラベルお嬢様の影響なのか、先輩侍女さんたちもみんな気が強い。
以前もそうだった。とにかくここの侍女さんたちは、お仕事をなーんにも教えてくれないのだ。
「仕事は見て覚えるものよ」とか言って新人を放置しておいて、本当に見て学ぼうとすると「何見ているの!?」と怒る。
それでいて失敗には厳しい上、少しでもミラベルお嬢様に気に入られそうになると、ああやって露骨に意地悪されたものだ。うーん、理不尽。
初めて水をかけられた時は、びっくりして泣いてしまったけど、今は慣れたのでへっちゃらだ。
──当時の苦労を無駄にはしない! 同じ轍は二度と踏まないわ!
「こんにちは。ミセス・ハサウェイ」
ダイニングを抜け、サロンを通り過ぎると、女中頭のミセス・ハサウェイがメイドさんたちを指導していた。
びしばし扱かれているメイドは四人。
キッチンメイドのアナさん。
ランドリーメイドのベルさん。
チェインバーメイドのシェリーさん。
スカラリーメイドのエイミーさん。
「いつもお疲れ様です。アナさん、ベルさん、シェリーさん、エイミーさん」
あいさつしながら通り過ぎると、ミセス・ハサウェイが驚愕の目で私を見た。
「……あの子……本当に人の名前を覚えるの早いわね……」
──ええ、使用人さんたちの顔と名前は全部覚えていますから!
何なら相手が名乗らなくても知っているまである。
「お仕事ありがとうございます。エディさん、フレッドさん、ジェフさん、ハリーさん」
執事のエディさん。
従者のフレッドさん。
従僕のジェフさん。
下男のハリーさん。
すれ違う一人一人にもれなくあいさつしながら、私はローンドリーでドレスを洗い、お日さまに当てて干した。
「これでいいわ!」
中庭に来たついでに、干しておいた籠を確認する。
中身はノース男爵領産のハーブ。実家を出発する前、弟と妹に協力してもらって摘んだものだ。
「うん、いい感じ!」
ハーブは太陽の光を浴びて、しっかりと乾燥している。
いよいよこれを使う時だと思いながら、私は爽やかな草の香りに目を細めたのだった。




