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君を愛することはない、と言われなかった夜


『これは契約婚約だ。私が君を愛することはない』


 その言葉を予感して、私は小さく息を飲んだ。


 外は深い墨色に染まっている。夜空には無数の星がちりばめられ、乳白色の川となって流れていた。


 窓の玻璃を透かして、淡い月光が舞い込んでくる。その銀色の光を従えて凛とたたずむのは、世にも美しい容姿をした青年。


 涼しげな目元に、筋の通った高い鼻梁。軽くカールした長いまつ毛に、鋭さを孕んだ薄い唇。すべてが絶妙な配置で形のいい輪郭の中に納まっている。


 ローレンス・アッシュフォード様。


 名門中の名門グランディール公爵の座を担う、若き当主。


 そして本日結婚したばかりの、私の旦那様だ。


 同じ空間に存在することがいたたまれなくなるほどの美貌を前にして、私は思わず後ずさった。


 ぎゅっとにぎりしめた手に感じるのは、驚くほどなめらかな感触。上質のシルクで織り上げた純白の夜着だ。


 寝るだけなのにこんな上等な服を着るのは初めてで、どうしても緊張してしまう。着心地は抜群にいいのに、そわそわして落ち着かない。


 昼にまとったウェディングドレスも、光沢のあるサテンを贅沢に使ったうっとりするほど美しいものだった。繊細なレースのヴェールも素晴らしく見事で、今思い出しても夢のようだっだ。


 いや、夢はまだ続いているのかもしれない。


 何しろ私が今いるのは、精緻な彫刻に飾られた寝室の、金箔をあしらったアンティークのベッドなのだから。


 四柱式の天蓋にはビロードのカーテンが降りている。祝福を意味する花と駝鳥だちょうの羽根が飾られたベッドに、私と同じく夜着を羽織っただけのローレンス様と二人きりで向き合っているなんて、やっぱり夢を見ているとしか思えない光景だ。

 

「……」


 希有な色の視線を向けられて、とくん、と私の胸は跳ねた。


 ローレンス様の大きな手が、きっちりと首元を締め上げていたクラバットをゆるめる。


 見る間にクラバットがするすると外され、シャツの襟からは鍛えられた胸筋がちらっとのぞいた。


「サラ……」


 紳士らしくオールバックにセットされていた髪も少しだけほつれて、前髪が数本、はらりと額に落ちてきている。端正な顔にかかる乱れた髪が、やたらと悩ましい色気を醸し出していた。


「……ローレンス様……」


 ローレンス様の秀麗な目が眇められる。凛々しい口元がわずかに陰翳いんえいを作る。


 その口から告げられる言葉を、私はもう知っていた。


『これは契約結婚だ。私が君を愛することはない』


『君との関係は形だけのものだ。私に愛されようなどと思うな』


『公の場でだけは夫婦としてふるまうが、決して勘違いはしないことだ』


 そう言われるに決まっている。


 だってローレンス様は若くして複数の爵位を有する、社交界きっての貴公子。


 対して私は地位もなければ財産もなく後ろ盾もない、ないない尽くしの貧乏貴族の娘なのだ。


 そんな天と地ほど身分の違うローレンス様と私がなぜ婚約をかわし、結婚式を挙げ、こうして初夜を迎えようとしているのか。


 理由は一つしか考えられない。


 ローレンス様はお飾りの妻を迎えることで、絶え間なく舞い込む求婚の嵐を回避しようとしているのだ。


 つまりはただの女避け。それには高位貴族の令嬢よりも、どうにでも言いなりにできる貧乏人の私の方が都合がいいのだろう。


「……」


 緑柱石の瞳の中に、強い光が揺れた。


『──私に愛など求めるな』


「──やっと二人きりになれたな」


 あら?


 予測していたセリフを打ち消して放たれたのは、予想もしなかった優しい言葉だった。


 意外なほど優しいまなざしを注がれて、私はどぎまぎと胸の鼓動を速めた。


──落ち着いて。私はお飾りの妻よ?


「二人きりになれた」というのは別に甘い意味ではない。


「これでじっくり契約婚の話を詰められる」 という意図なのだろう。


 そうよね。契約の内容をしっかり確認するのは大事なことだわ。うちのお父様なんてそれを怠ったせいで、多額の借金を作ることになったんだから。


 どういう条件を課されるのかしら。もちろん白い結婚は必須よね。


 表向きは夫婦のふりはするけれど、公爵家の一員になったなどと思い上がるな──と制されてもいい。


 本邸は旦那様と愛人が一緒に暮らすから、おまえは離れに引きこもっていろ──と命じられてもいい。


 妻だなどと思うことはないが、公爵家の名に恥じないよう研鑽は怠るな──と釘を刺されてもいい。


 どんな命令にでも、唯々諾々と従うつもりだ。


 だって結婚を機に、お父様のこしらえた借金を肩代わりしてもらったんだもの。ローレンス様にご迷惑だけはかけないよう、立場をわきまえていなくっちゃ。


 ローレンス様の整った唇が、言葉を紡ぐために動く。


 今度こそ突き放されるのだろう、と私は覚悟を決めた。


『──君を愛する気はない』


「──君を愛している、サラ」


 あらら?


 またしても想像上のセリフを上書きして、ローレンス様は優しくささやいた。


「えっと……あの……」


 何が起こっているのかわからずに、私は目を瞪った。


 まばたきをする間に、指が絡められる。肩が抱き寄せられる。整った顔が近付いてくる。


 思わず見惚れた刹那、そっと唇が重ねられた。


「……っ!」


 優しい口づけに、意識が遠のく。密着した体がにわかに熱を帯びる。


「ローレンス様、待っ……!」


 夜着の結び目を器用にほどかれて、私は制止の声をあげた。


「大丈夫だ。優しくする」


 そう告げるローレンス様はひどく背徳的で、見ているだけで呼吸が止まりそうなくらい美しかった。


 乱れた正装と、乱れた髪。わずかに上気した呼吸。


 甘い痺れに搦め取られて、息ができない。



 そうして、白い結婚のつもりで臨んだ初夜。


 私はローレンス様に純潔を捧げたのだった。


初めて小説家になろうに投稿しました。

どうぞよろしくお願いします!!!

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