第2章:聖人殺し
志乃は、祖母の部屋を思い出していた。
畳の匂い。
古びた聖書。
窓辺に吊るされた銀のネックレス。
その空間だけが、世界の中で唯一、彼を否定しなかった。
「この人は旅人を守る聖人なの。志乃がどんな道を歩いても、きっと守ってくれるよ。」
祖母の声は、優しくて、震えていた。
その言葉は、志乃の心に深く刻まれていた。
だが今は、ただの“記憶”だった。
教室では、神谷が笑っていた。
その笑顔は、誰からも好かれる“光”だった。
だが、志乃には分かっていた。
その光は、誰かを焼き尽くすためのものだった。
「おまえ、さ……ほんと、邪魔なんだよね。空気読めよ。」
その言葉は、何気ないようで、確実に“殺す”力を持っていた。
志乃の中で、何かが崩れた。
それは、祖母の祈りだった。
それは、“守られる”という希望だった。
……守ってくれなかったじゃないか。」
志乃は、胸元のネックレスを握りしめた。
その銀の輝きは、冷たく、硬く、無言だった。
おまえが俺の中の“聖人”を穢し、
“祈り”を辱め、殺したんだ
その声は、志乃の中から響いた。
誰のものでもない。
それは、彼自身の“裏返った祈り”だった。
だから、『怒りの荊冠』を首に掛けるしかなかったんだ
その瞬間、教室の空気が変わった。
電灯がちらつき、壁に黒い蔦が浮かび上がる。
神谷の笑顔が、ほんの一瞬、歪んだ。
志乃の瞳は、静かに黒く染まっていった。