まにまに外伝 オルガの斧とソウマの葛藤
夜、星が凍てつくように冴えた森の中。焚き火のほのかな赤が、地を照らす。
ソウマは剣を抱えたまま無言で座っていた。白牙はその隣に、音もなく腰を下ろす。
「……何を悩んでいる」
白牙が問うと、ソウマは小さく笑った。
「またバレたか。白牙には、ほんとなんでも見透かされてる気がする」
「剣の重みは、目には見えぬが鼻でわかる」
焚き火の薪がぱちりと弾けた。
「なあ、白牙。……たとえば、大切な誰かを守るために、
別の誰かを犠牲にしなきゃいけないとしたら、どうする?」
白牙はすぐに答えなかった。
代わりに、火に照らされた瞳が、遠い記憶を映すように細められる。
「……昔、似たような話を聞いたことがある」
「昔?」
「この世界の南方、まだ俺が若かった頃、一度だけ旅に出た。そこで出会った男がいた。名を、オルガという」
ソウマは焚き火の火を見つめながら、黙って耳を傾けた。
「オルガは木こりだった。腕っぷしは強くないが、森の声を聞ける男だった。彼の村には『癒し樹』と呼ばれる大樹があってな。葉は傷を癒し、樹皮は薬になり、村の宝として大切にされていた」
「……でも、何かあったんだろ?」
「そうだ。ある年、“黒毒虫”という虫が癒し樹に巣を作った。見た目にはわからんが、根から毒が回り始めてな。気づいたときには、もう大樹の体内深くまで侵されていた」
ソウマはそっと息を呑む。
「村人たちは悩んだ。切るべきか、守るべきか。祈って治るのを待とうという者もいれば、一思いに切り倒せという者もいた」
「それで、オルガは?」
「彼はこう言った——“全てを守ろうとすれば、全てを失う。ならば、救える一部を救うために、俺は斧を振るう”と」
白牙の声は静かだったが、焚き火の熱よりも熱を帯びていた。
「オルガは皆が止める中、癒し樹の“右腿にあたる太い枝”を自ら切り落とした。その枝が黒毒虫の巣だった。枝は切り落とされ、燃やされ、森中に苦い煙が立ち込めた」
「……村人たちは、怒らなかったのか?」
「もちろん、怒った。裏切り者だと叫ぶ者もいた。だが、数年後、癒し樹は新たな枝を伸ばし、再び薬を実らせた。そして村人たちは知った。オルガの斧が、森を救ったのだと」
ソウマは長い沈黙のあと、小さく問うた。
「それが……正しかったのかは、わからないよな」
「そうだ。だがな、オルガは後悔しなかった。彼は言った——“必要だったと信じる。それだけでいい”とな」
白牙は焚き火を見つめたまま、言葉を落とす。
「俺たちは戦いの中で、時には迷いながら斬ることを選ばねばならぬ。それがたとえ、“かつて人間だった者”でもな。お前が斬った木こりも、もしかしたら、何かを守って灰兵になったのかもしれん」
ソウマの肩がわずかに揺れる。
「……俺、きっと、ずっとその“何か”を知りたかったんだ」
「ならば、迷え。そして進め。オルガのようにな」
その言葉に、ソウマは小さくうなずいた。
焚き火の音だけが、夜の森に残った。