【5話】その涙を知っている
グラディオがリリアンの方へ顔を向ける。
「お前も自己紹介をしなさい」
小さく頷いたリリアンは、フェリシアの手前までやってきた。
「……リリアン・レクシオン。八歳です」
ドレスのスカートの裾を両手で軽く持ち上げたリリアンは、カーテーシーを披露。
しかしその動きはぎこちなく、表情はガチガチに強張っていた。
(緊張しているのかしら?)
リリアンを安心させようと、フェリシアは満面の笑みを浮かべる。
「契約妻のフェリシアよ。これからよろしくね、リリアン!」
「は、はい」
リリアンは目を合わせようとしない。
落ち着きなくおどおどしてしている。
フェリシアに怯えているのは明らかだった。
(人見知りなのね)
挨拶を終えたリリアンは、フェリシアの隣の席へ座った。
小さな体はプルプルと小刻みに震えている。
そんな彼女の視線は、はす向かい――グラディオを向いていた。
フェリシアだけでなく、父親にも怯えているのかもしれない。
「リリアン」
グラディオが声をかけると、リリアンの背中がビクンと跳ねた。
「フェリシアはお前の母であり、先生だ。言うことをしっかり聞いて、勉学に励むように」
「は、はいっ!」
かしこまったその声には、たっぷりの緊張がこもっている。
思った通りリリアンは、グラディオに対しても怯えていた。
しかもフェリシアより、怯えのレベルが一段階上のように感じられる。
(私に怯えているのはわかるけど、どうしてグラディオ様にも?)
初対面のフェリシアに怯えるのは理解できる。
でも、グラディオとは初対面ではないはずだ。
それなのにどうして、こんな風になっているのだろうか。
隣で震えている小さな体を見ながら、フェリシアはそんな疑問を浮かべていた。
朝食を終えたフェリシアは、私室へ戻ってきた。
「今日の予定は座学ね」
リリアンの令嬢教育は、さっそく今日からスタートする。
実施場所はリリアンの部屋だ。
令嬢教育の教材を手に持って、フェリシアは部屋を出ていった。
リリアンの部屋へ入る。
白を基調とした部屋は非常にシンプル。
ベッドと机くらいしか置かれていない。
「ずいぶんとスッキリした部屋ね。こういうのが好きなの?」
フェリシアは、打ち解けようとコミュニケーションを試みる。
週に一日ある週休日を除いて、令嬢教育は毎日行われる。
つまりこれからリリアンとは、長い時間を過ごすことになる。
ギスギスした関係なんてごめんだ。
仲良くやっていきたい。
だが、失敗。
リリアンはあたふた。どうすればいいかわからず困っている。
そして相変わらず、目を合わせようとしてくれなかった。
(……最初はこんなものかしらね)
時間はたっぷりある。焦る必要はない。
毎日少しずつ、距離を縮めていけばいい。
「とりあえず、始めましょうか」
リリアンを机につかせ、フェリシアは座学を始めていく。
フェリシアは自身が受けてきた令嬢教育と同じ流れで、座学を進めていく。
まずは教材の内容を読んで聞かせていく。そして最後に、確認のテストを行う――という流れだ。
「レシュアル王国の歴史について解説してくわね」
フェリシアは教材の内容を読み上げ、解説をしていく。
しかしリリアンは、あまり集中できていない。
チラチラとフェリシアに視線を送っている。
顔色を伺っているかのようだった。
(大丈夫かしら……)
不安を感じながら、フェリシアは教育を進めていく。
ひと通りの解説が終わった。
次は確認のテストだ。
解説した内容をしっかり理解できているかどうかを確かめる。
リリアンにテスト用紙を配る。
「時間は今から三十分ね。それじゃあ始め」
テストが始まる。
しかしペンを持ったリリアンの手は、あまり活発に動いていなかった。
「……うーん」
テストの採点を終えたフェリシアの表情は浮かない。
正解率は三割程度。
心配していた通り、リリアンは集中できていなかったみたいだ。
「次はもう少し頑張りましょうね」
苦笑いで答案を返した、そのとき。
リリアンが勢いよくイスから立ち上がった。
「ごめんなさい!!」
大きな声で謝罪。
深く頭を下げた。
「……え、そんなに謝ることじゃないわよ」
「ごめんなさい!!」
それでもリリアンはやめない。
何度も何度も大きな声で謝罪して、頭を下げてくる。
リリアンの顔は青ざめている。
体はガタガタと震えていた。
テストの点数が悪かったことに対する謝罪として、これは異常で過剰。
普通の人であれば、驚いて唖然とする場面だろう。
でもフェリシアはそうはなっていない。
その謝罪は、フェリシアがよく知っていたものだからだ。
(十歳の頃の私にそっくりだわ)
毎日のようにいたぶってくるエドガーとヘルダに、フェリシアは毎回涙を流しながら一生懸命謝罪していた。
怒鳴りつけてくる二人のことが怖くて仕方なかった。
だから過剰すぎるくらいに謝った。
そんなかつてのフェリシアに、リリアンはそっくりだ。
フェリシアのことが怖くて仕方ないのだろう。
「大丈夫よ。怖がらなくていい」
リリアンの小さな体をギュッと抱きしめる。
十歳の自分はあのときどうしてほしかったのか、それを考えた。
抱きしめてほしかった。
温かい言葉をかけてほしかった。
だからフェリシアはそうした。
かつての自分とおなじく心に深い傷を負っているリリアンを、放っておけなかった。
「どう……して」
リリアンは青い瞳を大きく見開いている。
突然のフェリシアの行動に驚いていた。
「私はあなたに怖いことはしないわ」
優しく声をかけて、リリアンの頭を撫でる。
大きく見開かれている青い瞳から、涙がこばれた。
驚愕していた顔は泣き顔へと、徐々に移り変わっていく。
そして。
「うわあああああん!!」
リリアンアは大声で泣きじゃくる。
これまでずっと我慢していたものを、一気に解放したみたいだった。
ボロボロと涙を流す小さな体を、フェリシアは優しく抱きしめる。
リリアンが泣き止むまでなにも言わず、ずっとそうしていた。
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