【3話】契約条件
「なぜ驚いている?」
「いや、あの……怒っているとばかり思っていたものですから」
「君は俺の話を受けてくれた恩人だ。感謝はあれど、怒る理由はない」
「ですけど、その眼……」
グラディオの三白眼をチラッと見てみれば、まだ吊り上がっている。
やっぱりグラディオは怒っているではないか。
「すまない。生まれつきこういう顔なんだ。気にしないでくれ」
グラディオは申し訳なさそうに言ってきた。
嘘をついている様子はない。
(私ったらなんてことを!)
「申し訳ございません!」
フェリシアは慌てて頭を下げた。
外見だけで判断して、ひどい勘違いをしてしまった。
失礼にもほどがある。
重い処罰を下されても文句は言えない。
「気にしないでくれ。そういう反応をされることにはなれている。それより、顔を上げてくれないか。契約結婚の話をしよう」
「……はい」
顔を上げる。
グラディオの雰囲気は柔らかい。
あんなにも失礼な態度を取ったのに、気にしているでも怒っているでもなかった。
「そうだ。まずこれだけは最初に言っておこう。既に君も知っているかと思うが、これは契約結婚だ。二人の間に愛はない。……言うまでもないと思うが、一応の確認だ。問題ないか?」
「はい。承知しております」
「ありがとう」
安堵したように息を吐いたグラディオは、この契約結婚にいたった背景を語り始めた。
「俺は結婚に興味がなかった。だが王族に、そろそろ妻をとったらどうだ、と言わてしまってな。そこで形だけの結婚――契約結婚をしようと決め、イスピラル子爵家へ話を持ち掛けたんだ」
いくらレクシオン公爵家の当主とはいえ、王族の言葉には逆らえなかったのだろう。
グラディオにとってこの契約結婚は不本意。苦渋の決断だったに違いない。
「それと、これだ」
二人の中間にあるテーブルの上で裏返しになっていた用紙を、グラディオが返す。
そこにはいっぱいの文字が、ずらーっと記載されていた。
「これは俺たちの契約結婚にあたっての契約書だ。目を通してみて、問題がある箇所があったら言ってくれ」
「拝見いたします」
テーブルの上の契約書を、フェリシアは手に取った。
公の場でグラディオの妻を演じること。
グラディオの義娘――リリアンの教育係となって、令嬢教育を行うこと。
生活するにあたって必要なものは、すべてレクシオン公爵家で負担することとする。
記載されていたのはそんな内容。
他にも色々なことが記載されているが、問題はなかった。
強いてあげるとすれば、リリアンに令嬢教育を行うという仕事には少しだけ不安を覚える。
人にものを教えるという経験が、これまでないからだ。
でも、教えられるだけの知識はある。
フェリシアは一通りの令嬢教育を受けてきている。
将来、イスピラル子爵家にとってなにかの役に立つかもしれないから――という理由で、エドガーが受けさせたのだ。
成績はいつも優秀だった。
知識面での問題はないはず。
あとはリリアンが、いい子であることを祈るだけだ。
「問題ありません」
「よかった。では用紙にサインをしてくれ」
グラディオは懐からペンを取り出した。
「はい」
ペンを受け取ったフェリシアは、スラスラとサインしていく。
その字は楽しそうに躍っていた。
これでようやくイスピラル子爵家と離れられた、という実感が湧いてくる。
それがなんとも嬉しかった。
「どうぞ」
サイン済みの契約書をグラディオへ手渡す。
グラディオは「ありがとう」と言って、小さく頷いた。
「これから生活していくうえで問題があれば、俺やメイドに遠慮なく言ってくれ。できうる限りの改善はしよう。それと、結婚生活が嫌になったらいつでもやめてくれていい。引き止めるようなことはしない。……さて、ここまでで質問はあるだろうか?」
「いいえ。ありません」
「では、これで解散とする。ご苦労だったな」
「失礼します」
立ち上がって頭を下げたフェリシアは、出口へ歩いていく。
(なんていうか……思っていた人と違うわね)
グラディオは顔が怖いだけで、物腰柔らか。
なんとも丁寧だった。
噂に聞いていたような人物とは、似ても似つかない。
まるで違っていた。