【2話】初対面からブチギレてる!? と思ったら……
契約結婚の話を受けた翌日。
昨日の内に大急ぎで荷物をまとめたフェリシアは、嫁ぎ先のレクシオン公爵邸へと向かう馬車に乗った。
見送りには誰もこない。
でも、これは最初からわかっていたこと。悲しみはしなかった。
馬車が動き始めた。
フェリシアは側面の窓から、イスピラル子爵家を眺める。
「お母様。行ってきます」
小さくなっていく屋敷へ向けて、小さく呟いた。
しかしそれは継母のヘルダにではない。
フェリシアが八歳のときに病死してしまった、大好きだった実母へ向けてだ。
実母はたくさんの愛情を持って接してくれた。
亡くなってしまった彼女だけが、フェリシアにとって唯一の家族だった。
「どうか見守っていてください」
フェリシアは瞳をつぶる。
頭に思い浮かべるのは、今は亡き実母の優しい笑顔だ。
レシュアル王国の中規模都市『テルラ』から、馬車に揺られること二日ほど。
同王国の王都『ベルノー』にあるレクシオン公爵家に、フェリシアはやってきた。
馬車から降りるとさっそく、使用人らしき男性が迎えにきてくれた。
「フェリシア様ですね。お待ちしておりました。グラディオ様のところへご案内いたします」
頭を下げたフェリシアは、男性の後ろをついて歩いていく。
二人は大きな屋敷の中へ入った。
広々とした廊下を歩いていく。
下を見れば、大理石が敷き詰められた床。
横を見れば、高級そうな絵画やタペストリーがいっぱいに飾られていた。
(なんてリッチなのかしら。さすがレクシオン公爵家ね)
レクシオン公爵家はレシュアル王国の貴族の中でも、大きな権力と財を持っている。
イスピラル子爵邸とは比べ物にならないくらい、豪華な内装をしていた。
最上階にある大きな部屋の前で、男性の足がとまった。
「こちらの書斎にグラディオ様はいらっしゃいます」
「ありがとう」
「いえいえ。それでは私はこれにて失礼いたします」
男性は深々とお辞儀。
部屋の前から去っていった。
フェリシアはノックをしてから声をかける。
「イスピラル子爵家から参りました。フェリシアと申します」
「あぁ。入ってくれ」
部屋に入る。
そして次の瞬間、体が凍った。
ソファーに座ってこちらを見ている黒髪の男性――グラディオが、あまりにも恐ろしかったからだ。
いっけん細身だが、すらりとした手足の随所は筋肉で盛り上がっている。
白い肌は滑らかで、顔立ちは恐ろしいくらいに整っていた。
と、ここまでは恐ろしい要素はない。
むしろ加点要素の塊といってもいい。
しかし、問題は次だ。
グラディオの瞳はキリっと吊り上がった、赤色の三白眼。
ギラついた眼光を宿している。なんともおっかない。
そんなもので睨みつけられてしまったフェリシアは、まさに蛇に睨まれた蛙。
その場で固まってしまった。
「なぜそんなところで固まっている。早くこっちへきてくれ」
「ははははは、はぃい!!」
あまりの恐怖に声がつまり、最終的にはおもいっきり裏返ってしまう。
それでもフェリシアは、なんとか足を踏み出す。
ぎこちない動きでグラディオの向かいまで進んでいった。
「そこへ座ってくれ」
ガクガクと頷いたフェリシアは、足元にあるソファーへ座った。
中間にあるテーブルを挟んで、グラディオと向かい合う形になる。
(めっちゃ怒ってるんだけど! なんで!?)
グラディオとはこれが初対面。
恨みを買うようなことをした覚えはない。
それなのに、吊り上がった恐ろしい三白眼はまっすぐフェリシアを睨んでいた。
殺意メキメキ。ブチギレている。
直視されるのに耐え切れず、フェリシアは視線を逸らした。
今すぐここから逃げ出したくなるが、そんなことをすれば本当に殺されてしまうような気がする。
ブルブルと体を震わせながら、グラディオの言葉を待つ。
「契約結婚の話を受けてくれたこと、誠に感謝する」
「…………へ?」
ブチギレているはずのグラディオの第一声は、まさかの感謝。
しかもその声色は、ものすごく優しかった。
あまりにも予想外な展開に、フェリシアは思わず気の抜けた声を出してしまった。