【1話】契約結婚しろ、と突然言われました
「レクシオン公爵家から預かっていた契約結婚の話を受けることにした。フェリシア、お前を嫁がせる。すぐに支度しろ。レクシオン公爵家へ向かうのだ」
ゲストルームに呼び出されたフェリシア・イスピラル子爵令嬢は部屋に入るなり、父のエドガーからそんなことを言われた。
フェリシアは緑色の瞳を大きく見開いた。
背中まで伸びた金色の髪がわずかに揺れる。
「あの、お父様……契約結婚とはいったいなんのことでしょうか?」
愛のない結婚――契約結婚の話がきているなんて、フェリシアは今初めて聞かされた。
そんな状況でいきなり、嫁ぎ先の家へいけ、なんて言われたってわけがわからない。
せめてもの説明がほしかった。
長椅子にどっかりとかけているエドガーは、深いため息を吐いた。
いかにも面倒くさそうな顔で話し始める。
「遠縁の親戚であるレクシオン公爵家から、当主との契約結婚の打診があったのだ。話を受ければその見返りとして、レクシオン公爵家から多額の金が支払われることになっている」
それを聞いてフェリシアはすぐに理解した。
要は、金だ。
イスピラル子爵家はとある事情により、お金に困っている。
それを解消するために、エドガーは契約結婚の話を受けたのだろう。
娘のフェリシアは大金を得るための道具というわけだ。
ひどい扱いだが、フェリシアは驚きはしなかった。
(こんなのはもう、いまさらだもの……)
フェリシアには三人の家族がいるが、その全員から手ひどい扱いを受けている。
金のために売られるとしても、なんの不思議もなかった。
クスクスクス。
一人目の家族であるエドガーの両脇に座っている女性二人から、嘲笑が聞こえてきた。
彼女たちがフェリシアの、二人目と三人目の家族だ。
二人目の家族は、継母のヘルダ。
エドガーとは十年前に結婚し、この家にやってきた。
ヘルダはこの家にきた当初からずっと、フェリシアを毛嫌いしている。
冷たい態度や罵倒をしてくるのは当たり前で、暴力も振るってくることも珍しくはない。
血の繋りがない娘など疎ましいだけで、かわいくもなんともないのだろう。
そしてティーカップを手に持って紅茶を楽しんでいる三人目の家族が、ヘルダの連れ子――ミレア。
フェリシアの義妹だ。
年齢は二十歳であるフェリシアの二つ下、十八歳。
サラサラの茶髪に、大きな黄色の瞳をしている。
庇護欲をくすぐるような顔立ちは、なんともかわいらしい。
しかし、かわいらしいのは外見だけ。
中身は最悪だ。
超がつくほど傲慢で常に他人を見下している――それがミレアだ。
そんな彼女の趣味は、フェリシアをいたぶることだった。
ヘルダと一緒になって、罵倒してきたり暴力を振るってくる。
しかもそれだけにとどまらない。
「お姉様に私物を捨てられた」「お姉様に髪を切られた」「お姉様に頬をぶたれた」という話を、涙ながらに周りに広めた。
フェリシアはそんことはしていない。
むしろそれらの話はすべて、ミレアがフェリシアにしてきたことだった。
しかし話を聞いた人たちはみな、ミレアの嘘を真実と受け取った。
ミレアは演技がうまい。
話を聞いた人たちは、彼女の涙と話術によって騙されていた。
フェリシアは周囲の人間に、かわいい義妹をいじめる意地悪な義姉、という認識をされてしまう。
そうなれば当然、彼らからの風当たりは厳しいものへと変わった。
仲のよかった令嬢たち、使用人。
そして、父のエドガーもだ。
元々のエドガーは、ごく普通の父親だった。
フェリシアを溺愛こそしていなかったが、それなりの愛情を持って接してくれていたと思う。
しかし再婚してから、態度は一変した。
ミレアの嘘をまんまと信じたエドガーは、フェリシアを敵視するようになった。
まるでゴミを見るような今の目つきには、愛情の欠片も感じない。別人になってしまった。
「おぉ、そうだ。お前に面白い話を聞かせてやろう」
エドガーの口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
「レクシオン公爵家が契約結婚の相手として求めてきたのは、『イスピラル子爵令嬢の姉妹のうち、いずれか片方』というものだった。つまりお前ではなく、ミレアを嫁がせても問題はなかったんだ。だが私は、少しは悩みもしなかったよ。当然だ。あのような男のもとへ、かわいいミレアを嫁がせるわけにはいかないからな」
フェリシアの契約結婚相手であるレクシオン公爵家当主――グラディオ。
二十八歳という若さで王国騎士団の団長をしている彼は、貴族界では超がつくほどの有名人だ。
しかしグラディオには、黒い噂が絶えない。
『過酷なしごきによって騎士団員を何人も殺している』『魔物の肉が主食』『裏社会を牛耳っているボス』……などなど、ひどいものばかり。
エドガーはそれらの噂を気にして、ミレアではなくフェリシアを嫁がせることにしたのだろう。
それはつまり、フェリシアならどうなろうとも構わない、という裏返しだった。
反対にエドガーは、ミレアのことを溺愛している。
ミレアがねだれば、どんなに高価なドレスでも宝石でもなんでも買い与える。
そんなことが頻発しているせいでイスピラル子爵家はお金に困っているのだが、エドガーは決してやめようとしない。
フェリシアの契約結婚によって得た金も、ミレアのおねだりに使われてすぐに消えるだろう。
「グラディオは恐ろしい男。あれは人間ではない。人間のフリをしているだけの悪魔――」
ガシャン!
鳴り響いた大きな音が、エドガーの話を遮った。
ミレアが手に持っていたティーカップ床に落として、割ってしまった。
「ごめんなさいお父様! 私ったら、ついうっかりしていて……」
「いいんだよミレア。お前が謝ることはない」
バツが悪そうにしているミレアに、エドガーは優しく笑いかけた。
まったく怒っていない。優しい父親の笑みだった。
もしフェリシアが同じことをしていたら、激怒して手をあげていただろう。
姉妹でもエドガーの対応には、天と地ほどの大きな差がある。
エドガーがフェリシアへ顔を向ける。
先ほどまでの優しい笑みはすっかり消え、しかめっ面になっていた。
「これで話は終わりだ。とっとと消えろ」
「かしこまりました。失礼します」
エドガーの一方的な決定を、フェリシアはすんなりと受け入れた。
その内心は、喜びに溢れていた。
(やっとここから出ていけるわ!)
イスピラル子爵家は最低最悪の場所。まさに地獄。
結婚相手がどんなに恐ろしい人だったとしても、ここよりはずっとマシなはずだ。
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