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成化身神-ナルカミガミ-  作者: 式部和真
零一章 始まりの記憶
3/3

第三話 死の神の行く先

 葬儀場を出たすぐ先、黒煙が唸り狂いながら渦を巻き、一箇所に集まっていた。

 それに引き寄せられるように、周囲の空気も変わり始める。

 まるで、多くの人間が自分の肩に次々と手をかけてくるような――そんな錯覚を覚える重さ。

 吹き抜ける冷気が肌を刺し、体を強張らせてくる。


(動けない……)


 助けを乞うように先輩の方へ顔を向けるが、先輩も腰を低くして、息を詰めるように身構えていた。


「本当にまずいね……あれを放っておけば、多くの犠牲が出てしまう! けどこれだけ大きいのを僕一人で倒しきれるか……って言ってもやるしかないよね。”変神”!」


 先輩が言葉を放ってからすぐに、鎌は渦に包まれて、刀身が紫色の薙刀へと変化した。

 そして、対峙していた煙が、ドス黒い塊へと姿を変える。

 それはみるみる人型のようなシルエットに――。

 しかし、両腕はまるでゴリラのように太く膨れ、顔は肩と首がつながったままのように歪み、その表面にはいくつもの人相が浮き出ていた。

 黒く、巨大で、自分や先輩の十倍ほどはありそうな異形。

 人の形をしていながら、あまりにも醜悪で、あまりにもアンバランスな――化け物。


(逃げないと……!)


 そう思っても、圧倒的な存在感が、足を一歩も動かせなくさせる。


「新人君は下がってて! ここは僕がどうにかする!」


 先輩がそう叫び、手にした薙刀を構えて、化け物へと飛びかかる。

 それに呼応するように、化け物の背中から無数の触手が先輩へと伸びた。


「“讐炎”!」


 薙刀が紫色の炎に包まれ、先輩が次々と迫る触手を焼き払いながら突き進む。


「すごい……先輩なら、あんなやつでも倒せるんだ! 俺も加勢しなきゃ……!」


 炎は、触手を伝って化け物本体へ届いたが、立ちどころに消えていってしまった。


「やっぱり燃やし尽くせないよね……ここまで絡み合いすぎていれば当然か……」


 果敢に戦う先輩の姿に、背負う鎌を手に取るが、握る拳が震えて止まらない。

 無力さに苛まれる中でも、先輩は空中で身を翻しながら、次々と迫る触手を捌いてゆく。

 だが、ふと瞬きをした――その一瞬。

 化け物の剛腕が、空をえぐるように振り上げられた。

 同時に、先輩の姿が視界から消える。


「……え?」


 次の瞬間、自分のすぐ脇を何かがものすごい勢いで通り過ぎた。

 強烈な風の衝撃が遅れて襲いかかり、けたたましい音が全身に響き渡る。

 尻餅をついて、通り過ぎたそれに視線を向けると、先輩が地面に伏したまま転がっていた。

 突然の形勢逆転にやっと思考が追いつく。


「先輩!」


 動かなかった足は、束縛が解かれたように、自然と先輩へと動く。

 そして、一歩前に動いたと同時に、背後から物凄い風圧で、先輩の方へ吹き飛ばされた。

 すぐに背後を確認すると、今自分がいた場所が巨腕に覆われていた。


「君は早く逃げるんだ! でないと飲み込まれる!」


 先輩の声で、次の攻撃を避けようと、化け物を見上げた時、すでに巨腕が眼前にきていた。

 瞳一面に広がった巨腕は、鼻先を掠めて地面に落ちる。

 その手の甲には、薙刀が刺さっていた。

 先輩は、薙刀を力いっぱいに振りぬいて、巨腕を切り裂く。

 切り口から大量の黒煙が吹き出して、先輩にかかる。


「何みとれているんだ! さっさと逃げろ!」


 我に返り、化け物から脱兎の如く逃げる。

 振り返らずに前だけを見て――。

 黒煙の影響なのか、負の声が頭に木霊する。


『もううんざりだ』

『死にたい』

『怖い』

『辛い』

『助け……』


 一筋よぎった声に足がもつれて、前のめりに転んだ。


(さっきの人の声?)


 葬儀場から消えた少年の母親の声。


(それがわかったところで俺には何もできない……)


 拳を強く握って立ち上がり、振り返らず足を進める。


『助けて……誰か……』


 無数の声が聞こえてきているはずなのに、なぜか彼女の声だけが、はっきりと、印象深く響く。

 それでも歯を食いしばって、その場から離れる。


『君……ら……でき……』


 ノイズ混じりの声とともに、何かが頭に撃ち込まれたような痛み。

 どこから届いたかもわからない――けれど、知っている。確かに、聞いたことのある声。


(……目を覚ましたときの、あの声!)


 視界が明滅し、鼓動が耳を打ち、手が細かく震え始める。

 そして、目の前に、“それ”は現れた。

 黒く歪んだ空間のように見え、姿は輪郭すら曖昧だった。

 それでも、彼が自分の背後――化け物の方を指しているのは、はっきりとわかる。


「……俺に、やれって言いたいのか」


 返事はない。頭痛が見せている幻想なのかもしれない。


 だが――。


「『もう後悔はしたくないんだ』」


 口からこぼれたその言葉に、幻影はふっと消えた。

 ゆっくりと振り返り、化け物を見据える。

 そして、来た道を一歩、また一歩と戻る。

 踏み出すごとに、胸のざわめきが消えていく。

 何度も弾き飛ばされながら、それでも立ち向かい続ける先輩。

 羽虫を払うかのように応じる化け物。

 その巨体の中に、かすかな光がふたつ、確かに見えた。


「なんで戻ってきたんだ!? 今の君じゃ何も――」


「だからって、何もしないのは違うでしょ!」


 先輩の声を遮り、真っ直ぐ化け物に向かって歩を進める。


「違うんだ! そのままの君で戦っ……ッ」


 先輩が何かを言いおうとしていたが、化け物から放たれた拳に遮られる。

 咄嗟に薙刀でガードする先輩――しかし、その衝撃は正面からもろに襲った。

 その一撃が合図となり、足は自然と走り出した。

 二つの微かな光に向かって。

 化け物もこちらの動きを察知したのか、こちらを弾き飛ばそうと、両腕が迫ってくる。

 その巨腕に覆われても決して黒に染まらない。

 まっすぐに、こちらを導く光。


「今、掴むから――!」


 体が巨腕に飲み込まれた。

 真っ暗な帳に包まれてもなお輝く光に、進む体は止まらない。

 両手で二つの光を掴んだ。

 そのままの勢いで、化け物の体を突き抜ける。

 満点の青空の下、闇に染まらなかった光は、確かにこの手の中に残っていた。


*  *  *  *  *


 人間界では、基本的に人が生きるだけで、行動しようとした意志や、感じたこと、頭の中で妄想することすら、人の見えない力となって大気中に流れ出る。

 それらの力を、僕たち神は仕事に利用している。

 けれど、大気中の負の感情が高まりすぎたり、魂が暴走したりすると、周りに漂うそれらの力を吸収して”悪塊”が生まれる。

 僕たちが全力で力を使っても、起こせるのはせいぜい風や小さな自然現象程度。

 だが、悪塊は放置しすぎると、人間界に直接干渉できるようになってしまう。

 それを阻止するのも神の仕事で、僕たちにとってはメインにしている仕事だ。

 ただし、容易く扱える相手ではない。なぜなら、僕ら神ですら、直に触れればその瞬間から穢れが浸食し、身体を負の感情が、取り込もうとしてくるからだ。

 最悪を防ぎ、悪塊と真正面から対峙するために存在するのが、”変神”。

 神具を戦闘しやすい武器へと変化させるシステム。


 (……の、はずだったのに)


 新人君が、神具である鎌を持たず、その空の手をかざしながら、生身のままで悪塊に飛び込んだのだ。

 少しでも触れれば取り込まれてしまう相手に、全身で、だ。

 すぐにでも悪塊から引き剥がして、完全に染まりきる前に患部を切除しなければ、もう戻ってこれなくなる。

 そう思って薙刀を握りしめ、踏み込んだその瞬間――。

 彼が、髪を鮮やかに染め、悪塊の背から現れたのだ。

 目の前で、これまでの常識が音を立てて崩れていく。

 

(職能なのか……でも、今までにそれほどまでの能力を持つ人なんて見たことない……)


 新人君の髪の色は、すぐに白へと戻ってしまった。

 悪塊は不思議そうに両椀を見てから、新人君に気付いて薙ぎ払おうとする。


「させないよ! できないかもだけど……」


 踏み込みなおして、真っ直ぐ新人君の元へと飛んだ。


*  *  *  *  *


 手に掴んだ光に呆けていたのも束の間、激しい衝撃が体を揺れ動かした。

 地面を転がり、身体に痛みが走る。けれど、状況を確認しようとすぐ立ち上がった。


「うっわ、なんだこれ!?」


 左手の指の一本が真っ黒に染まっていた。しかも植物が根を張るように、どんどん手を黒く覆っていく。

 気味の悪さに耐えきれず、右手で剥がそうとしたら――。


「触っちゃだめだ!」


「え?」


 先輩の声が届いたと同時に、左手――いや、左腕ごと、視界から消えた。

 次の瞬間、焼けるような痛みが肩に走り、思わず膝をつく。


「なんで……」


「ごめんね。ああでもしないと、君が飲み込まれてしまうから」


 先輩は地面に落ちた腕に顔を向ける。

 自分の腕が、黒く蝕まれていく。


「やっぱり二度連続は無理か。助けに入って良かった……とも言いにくいね……」


「説明を――」


「今はそれどころじゃないん……だ!」


 迫る一撃を先輩が咄嗟に受け流し、薙刀で反撃する。

 化け物は、背中から先ほどよりも濃い煙を、ガスが抜けるように噴き出していた。

 その身体は徐々に縮み、両腕も干からびたように細くなっている。だが、その分素早さが増している。

 先輩は徐々に押されていた。

 比にならないスピードで繰り出される、両腕の乱舞。


「こいつを倒すことは、僕一人だと持久戦になって、勝てる保証はない。君の協力が不可欠なんだ。でも、君は僕をまだ信用しきれてないし、目の前で起こっていることに思考が追い付いていない。だから――」


 そこまで言うと先輩はローブを脱ぎ捨てた。


「交換条件だ!」


 紫髪のポニーテールが日差しを受けて艶やかに揺れる。

 血色の良い少し赤みがかった頬と唇が、よりはっきり映る。

 優しく自信に満ちた紫水晶のような瞳が、こちらを射抜く。


「言ったろう? 美人って」


 少し笑った先輩は、そのまま反転して、さっきよりもスピードの増した乱舞で、化け物の攻撃を全て捌いていく。


「死の神とは――本来、死を司り、人々から恐れられる存在。なればこそ問おう!」


 一度、深く息を吸い込んで――。


「君はどんな"神"になりたい?」


 その言葉に触れた瞬間、脳が透き通っていくような感覚に包まれた。


『大丈夫。君は一人じゃないよ』

『君なら必ずできるよ』


 今までノイズ混じりだった声が、鮮明に、胸の奥に届く。

 そして――。


『もう後悔はしたくないんだ』


 自分の声。

 確かにさっき言ったはずの言葉なのに、まるで何度も、何度も、繰り返し叫んできたような気がした。

 ――背中を押されるような感覚。


「『守りたい!』」


 右手を前にかざし、ぎゅっと握りしめる。

 その手を胸に当て、心の奥で“進む先”を見つけた。


「俺は――人を守る神になる!」


 鎌を手に取り両手で強く握った。


「……嬉しい答えだよ。なら、あとは唱えて、進むだけだ。

 君には、それができる力がある」


「――変神!」


 赤い光を纏った渦が鎌を包み込み、濃くも淡い紅刀へと姿を変える。

 先輩の薙刀も鎌へと戻り、ひらりと後方に下がった。

 自然と、俺が最前に立ち、化け物と対峙する形になる。

 細く、素早い連撃がこちらへと伸びてくる――だが、不安はない。


(捉えた――)


 静かに一歩踏み込み、刀を振り上げる。

 化け物の攻撃が先に届いたはずなのに、その腕が俺の体を突き抜けた。

 痛みはない。恐怖もない。

 ただ、純粋な気持ちで――目の前の淀んだ光に向かって、刀を振り下ろした。


 チリン――。


 澄んだ音が空気を震わせると同時に、化け物は煙となって四散し、風に溶けていく。

 張り詰めていた気配も、封印が解かれたように穏やかさを取り戻した。

 春の香りが、なだれ込んでくる。


「これで……終わり、か」


「うん。終わりだよ。……まぁ、普通はあんなにうまくいかないんだけどね」


 快晴の空の下で、少し服を汚した先輩が、袖で頬を拭いながら微笑む。

 髪の色も段々と白みを帯びて、美しい純白へ変化した。


「髪……」


「ん? あぁ、職能使っているときは、瞳と同じ色になるんだよ。君もさっき変わってたしね」


「何色だったんだ」


「それはまたのお楽しみだね。その方がやる気も出るだろうし」


「ケチだな!」


「その方がやる気も出るだろう」


 お淑やかに笑う先輩は、少し改まって続ける。


「新人君、僕たちに協力してくれないか? 君が見せた力は、今までに見たことないくらい強力なものだった。だから君がいてくれると、とても心強い」


「ほんと唐突だな。僕たちってことは、他にも協力者がいるでしょ?」


「君にしかできないことがあるんだ」


 先輩は横に目を向ける。そこには、さっきの子供の両親が横たわっていた。


「悪塊に一度吸収されてしまうと、悪塊から引き剥がしても、魂を蝕まれていて、僕たちには切ることしかできないんだ。神の中には”命の神”っていう、僕たちとは正反対の力を持った神もいる。だけど、協力は得られなかった」


 自然と目が細くなった先輩は、下唇を噛む。

 きっとこれまで、多くの苦汁を呑んできたんだろう。


「わかったよ。協力する」


「ほんと!」


 先輩の顔が、みるみる明るくなる。

 こういう表情を見るのも悪くはない。


「ただ、今後説明不十分で仕事するのは無しだ!」


「わかったよ。じゃあせっかくだし、僕から君に呼び名を進呈しよう」


「カタカナ英語も無し」


 驚いてから口をすぼめる先輩。本当にそんな名前を付けようとしていたみたいだ。

 先輩は少し考えてから――。


「じゃあ、安直だけど。君の願いと同じ”守”なんてどうかな? 名もない僕たちにとって、仮名でも名前がつけば、自然と拍もつく。願いと同じであれば尚更ね」


「他にろくなのなさそうなのでそれで」


「ひどい! 安直だけどちゃんと考えたのに……」


 その反応を見て、ここに来て初めて笑った。

 先輩もつられて二人で笑う。

 しばらく笑ってから、一息ついて先輩が言った。


「改めてよろしくね――守君」


 俺は今日、先輩から"生き先"と"名前"を、もらった。

 

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