第一話 死の神、神の世界へ降り立つ
死者とは、未来を生きる魂であり、残された者の想いの化身だ。
そんな馬鹿げたことを、昔誰かが言っていた気がする。
人生は一度きり、死んだらそこまでのノーコンテニューゲーム。
どう足掻いても、万物に突きつけられる死という消滅。
不条理から救い出してくれる者が神であれば、不条理を与えるのもまた神なのだろう。
多方向に千切れる鼓動が加速する。
鮮血に濡れた手で、光沢のない銃を握った。
もしこの意識が続くのなら、もし死の先があるのなら、もし神が存在するのなら--。
「神になってみんな救ってやるよ」
手に力を入れて、意識が途絶えた。
* * * * *
淡く、水中を漂うような感覚。そこから徐々に、意識の輪郭を取り戻して、目を見開く。
「ここは……」
灰色の空の下、二階建ての一軒家や、アパートが点在する住宅街の一角。そこにぽつんと立つ自分。
背中には何か重みを感じる。
両手を回して探り、それを手に取ろうとした。その時--。
『与エラレシ職ハ死の……』
「そこどいてくれぇ!」
突然、頭の中に声が響いたとほぼ同時。背後から、その声をかき消すくらいの、大きな叫び声が聞こえた。
声の主を確認する暇もなく、背中に激しい衝撃が走る。
そのままもつれるようにして、背中にぶつかっものと、地面を数メートル転がった。
「いってぇ!」
混乱しながらも、起き上がって何事かと状況を確認する。
そして目の前には、ローブを身に纏った女性が、立っていた。手には、女性の身の丈くらいはある、漆黒の鎌が握られている。
「てて……まったく、あの子も大概しつこいな。あっ……君、大丈夫だった?」
血色の良い、少し赤みがかった頬と唇。ポニーテールにまとめられた白髪が、艶やかに揺れる。
白髪と言っても、年老いて萎びた輝きのないものと違う。アルビノに近い純白だ。
優しく自信に満ちた紫水晶のような瞳が、こちらを射抜く。
「死にそうなくらい痛かったけど……うん……綺麗な人見れたから、大丈夫」
「それは良かった。君も関係者って思われそうだし、悪いけど少し付き合ってね」
ニコッと薄目で返した彼女は、来た方向へ振り返った。彼女は前方にいる何かを睨みつけながら、鎌を構えた。
「それって……」
俺が何か言いかけたその瞬間、彼女は鋭く声を放った。
「讐炎!」
彼女の鎌が紫色の炎に包まれる。それに加えて彼女の髪も、瞳と同色に染まった。
そして、彼女は道路を横断するように鎌を振るった。
その軌道を辿って、刃の炎が地面へと移る。
火柱の壁が、道を塞いだ。
「これでそう簡単には、飛んでこれないでしょ」
「あの……説明を……」
「それは後でだ」
彼女は俺の方へ手をかざした。
そのすぐ後に、俺の影が彼女の方へと伸びていく。
振り返ると、煌々と輝く扉が目に映った。
俺は、連続する非現実的現象に、目を丸くすることしかできなかった。
「ということで、少しの間よろしく!」
優しそうな声とは裏腹に、首根っこを掴まれて、思いっきり扉に放り込まれる。
「また逃げるのかしら!」
「だから何度も関係ないって言っただろ?」
「嘘を……」
扉を潜る前に、彼女ともう一人、誰かの声が聞こえたが、すぐに何も聞こえなくなった。
* * * * *
眩しい光が徐々に薄れ、視界に広がったのは、雲一つない青々とした空だった。太陽の光が等しく照らす世界がそこにはあったのだ。
だが、その空が足元にある。
そして、見上げれば、緑が点在する町並みが広がっていた。
上下が逆さまという光景。
(なんで上下が逆なんだ!?)
俺の知識では説明がつかない現象に、少し焦りを覚えたが、すぐに冷静になった。
何故かって? 繰り返すようだが、目の前で超常的ことが起き続けているからだ。
「あー……ごめん。もしかして君……この世界に来たばっかりだったかな? まずいね、このままだと、数千メートル分の痛みを味わうことになるな……」
「へ?」
「あぁ、つまりだ。僕たちは今、あの地面に向かって、落っこちている状態なんだ」
耳元で囁かれる美しい声とは裏腹に、内容は洒落にならない。
真っ逆さまに落ちているからこそ、空が下に、町が上に見えるのだ。
「なんで落ちてるんですかぁ!?」
「急いでたから繋ぐ場所……ランダムにしちゃってた……てへ」
その言葉に、眉毛が吊り上がるのが、自分でもわかった。
(なんだこの女!? 変なことに巻き込まれたと思ったら、今度はスカイダイビングって……いやほんとどういうことだよ! てかなんでそんな余裕な表情でいられるんだよ!?)
内心で毒づいたところで、状況が変わるはずもない。体勢は崩れ、手足もまともに動かせない。
さらには体が回転し始め、地面と空が交互に視界を横切る。
「ぬぁ!?」
回転の合間に見えた彼女の姿が、どんどん遠ざかっていく。
ん? 遠ざかっていく?
必死に安定を取ろうと、四肢を思いきり広げて、風を受ける。
そうやって、ようやく落下のスピードが和らぎ、体勢が少しだけ整った。
「うまく体勢は立て直したみたいだね。その宙を滑空する感覚をよく覚えておいた方がいい」
彼女は、俺の周りを自由自在に飛びながら、優しく説明してくれた。
いやそうではない。自由自在に飛んでいる。炎出したり、扉出したり、終いには飛び始めるという。
ここは異世界か何かなのか?
「えーと。そこまでできれば、あとは飛ぶだけなんだけど……できそう?」
できそう? って言われて、できます! って言えるほど簡単であるはずもない。
空を飛ぶとは、短くも長い人の歴史の中で、先人たちが試行錯誤して、やっと乗り物として実現させた。
それを踏まえて、だ。むしろなぜ飛べている?
怒り混じりに中指を突き立てて、彼女への返事とした。
それを見た彼女は、腹を押さえて笑い始めた。そのまま、下に回り込んできた彼女と、正面から向き合う。
余裕たっぷりな口元に、返事もできずただ歯を食いしばるしかない。
「人は何かの願いを元に、行動する。何かを考えて、それを実現しようと、試行錯誤する。それが本来だ。でも、元々はこう思ってたんじゃないかな? ”思ったことをその場で実現させたい”、それをするんだよ」
そう言った彼女は、なぜか誇らしげだった。
そして、わかるだろ? と言わんばかりに、腕を組んで顎をクイクイと動かしてくる。
いや、今の説明で何もわかるはずがない。
「常識でものを言えやごれぃ! 思うだけで飛べるなら、飛行機はいらないんじゃワレ!」
「だから、いらないんだって。というか、これがこの世界の常識みたいなものだよ? ほら早くしないと、地面に叩きつけられるよ? 痛いよ?」
「あーんたが巻き込んだんだろうが!」
「でも、教えれることは教えたから……ね? あとは君の努力次第? ガンバレッ!」
たぶん力は貸してくれないのだろう。
彼女が飛べるのなら、普通に俺を掴んで飛ぶという発想はないのだろうか。
こうなってしまっては、もう彼女の言っていることを試してみるしかない。
そう心から叫んだと同時に、体がふわりと宙に浮いた。
* * * * *
冷静に深呼吸して、ゆっくりと鎌を地面に置く。
胡座をかいて情報の整理を始めた。
(……何も思い出せない)
自分に関する記憶がまったくない。ここに来るまでのことはおろか、自分自身についてのことも思い出せない。
まさか自分が記憶喪失になるとは思わなかったが、やはり何も思い出せない。
(でもおかしいな……この地面にある物が鎌っていうことはわかる。というか地面って言葉も分かる……)
失われているのは"経験"で、残っているのは"知識"なのだろうか?
鎌がどのように人々に利用されてきたのか、鎌の形状や本など、物の形も分かる。
目の前にいきなりライオンが現れても、"知識"で知っているので"それはライオンだ"と答えられる。
けれど"なんで鎌を持つようになったんだっけ?"という感じで、自分が今まで"経験"してきたであろう日常の生活、その一切を思い出せないのだ。
「お前は"死の神"だとか! 記憶がないぃとか! もう何が何だか分かんないけど……まぁ何とかなるっしょ!」
怖さと冷静さは、どこかへ行ってしまったのか、一気に馬鹿丸出しの考えになっていて、それを口に出している自分。
これがきっと馬鹿と天才は紙一重ということなのだろう。
でも、こういう能天気さも、こういう状況では悪くないかもしれない。
そっと立ち上がり、大きく伸びをする。
そして、ゆっくり目を開く。――何も変わらない静かな街並み。
「はぁ……まずは動くしかないか。調べてみよう」
住宅以外の建物は見当たらない。けれど、ゲーム感覚で勝手に上がり込むのは、流石に気が引ける。
「さて、どうしたものか……」
顎に手を当て、前方の道を眺めていると、革靴がコツコツと地面を弾く音が耳に入った。
「やぁ……君は今来たばかりの新人君かな?」
子守歌で聞くような、優しくとろける女性の声。それが耳を通して脳へと響いた。
驚いて振り返る。そこには、黒く厚いローブを纏った人が立っていた。
身長は自分よりも少し低いくらい。
深く被ったフードからは、艶やかな口元と、ちらちらと白髪が見え隠れする。
背中には自分と似て非なる鎌を背負っている。
「いや、俺はここに来たばかりで……記憶もないし、新人とかもよくわからなくて」
「うん。来たばかりなのなら新人で間違いないね。ということはお告げは来たのかな? ほら、こう、頭の中で気持ち悪く響いてくるやつ」
「あー、つい今さっき聞こえましたよ。確か――」
「そこは僕が当てよう。死の神だろ?」
「いえ、草刈りの神って言われました」
「んえ?」
知的に話していた彼女は、口をぽかんと開いてフリーズした。
話を遮られたのが癪で、咄嗟に嘘をついてしまった。
それが思いのほか効いてしまったようだ。
「そんな鮮やかな鎌なのに?」
「はい」
「そんな大きな鎌なのに?」
「ええ」
「嘘だよね?」
「嘘です」
少しの沈黙の後、彼女は、頭めがけて鎌を振り下ろしてきた。
咄嗟によけて、尻もちをつく。
「いきなり何するですか!?」
「あまり人を馬鹿にしないでくれるかな?」
少し上ずった声で口角を上げる彼女は、地面に刺さった鎌を持ちあげようとする。
これはまずいと思って、咄嗟に自分の鎌を上から被せて地面に刺す。
「んー! 何するんだよ!」
「いや、もう一回やろうとしてるのかなって、臭いものには蓋しなきゃ」
「誰が臭いって!」
「言葉の綾ですよ」
初対面だが、真面目でクールに見える一面と、あほっぽい子犬みたいな一面があることが、この少しの間に分かった。
「まぁ本当のことを言うと、あなたが言っていた死の神ですよ。そんなあなたも死の神でいいんですよね? 同じような鎌持ってるし」
「そうだよ」
「それで、あなたの口ぶりからして色々ってるみたいですけど。ここは何処で、俺たちは何の為にここにいるのか、教えてくれませんか?」
と思い切って聞くと――。
「わかった。僕としても君を仲間にしたいから声かけたわけだし、少し長くなるけど最後までちゃんと聞いてよ?」
「もちろん」
そして、彼女の話が始まった。
「君や僕は、人間として死んだんだよ。……信じられないと思うかもしれない。けど事実だから。そしてここは僕たち神たちが住まう”神の世界”。一度死んだ僕たちは、この世界で“神”として存在して第二の生を、神の仕事をしながら過ごしていく。もっとも、あっちの世界――つまり“人間界”での仕事がメインだから、こっちはあくまで社宅、みたいなものだけど」
彼女の口調は軽やかだったけど、言っている内容は重たかった。
「神っていっても、全知全能の存在じゃない。ここにいる神はみんな、もともとは“人間”だった。それに、与えられた名前の範囲のでしか仕事はできない。それこそ、八百万の神だ」
彼女は塀に背を預けて続ける。
「神になった直後の僕たちは、だいたい記憶を失っている。その理由は僕も分からない。だけれど、記憶を思い出すにつれて、自分の“未練”の正体が見えてくる。それを受け入れ、乗り越えることができたら……一つ上の名のある神になれる」
「名のあるって、今の俺たちにも死の神とかついてるんじゃ……」
「それは、みんな平等に与えられた役職の名前で、個を表すものじゃない。もっと簡単に言うなら、複数で一つの名前しかない働き蟻から、唯一で単体の女王蟻になる。そんなイメージ。僕たち死の神で言えば、上に伊弉冉尊がいる。まぁ、僕たちはそこを目指すってわけだ」
「なるほど。おとぎ話か何かですか?」
「これは僕たちに起こっている事実だよ。僕だって最初は戸惑ったさ。でも、君だって持っている鎌と、思い出せない記憶がある以上、否定しきれないだろう?」
「そうれはそうだけれども……」
「じゃあ最後まで聞くんだ。それで、僕たちの仕事場である”人間界”では、基本的に人が生きるだけで、行動しようとした意志や、感じたこと、頭の中で妄想することすら、人の見えない力となって大気中に流れ出る。それらの力を、僕たち神は仕事に利用している。この鎌。通称”神具”に力を宿して仕事を遂行したり、人間界の法則を超越、無視できる"職能"の源として使ったりしながら、日々消費しているのだ」
「その職能ってのはなんですか?」
「君にもいずれ目覚めるはず。それは君がかつて人間だった頃に抱いた想いや願い、または神になってからの想い、それが能力になったもの」
「おぉ。なんかいきなり神っぽい要素出てきた」
「この”職能”と”神具”を駆使して僕たちは仕事をこなすんだ。”職能”は目覚めるまでのお楽しみだね」
くすっと笑ってから、ふっと口を横一線にして――。
「この世界がなぜ作られたのか、君は不思議に思うかもしれないね。昔、”人間界”に自然エネルギーがあふれている時代。人々は思考や言葉だけで奇跡を起こせる。その力はあまりに強大で、戦争に利用されるようになった。だから、力を制御するため、“神の世界”が作られた、らしい。今もエネルギーは溢れていて、さっきも言ったように、僕たち神たちが人間界で職能を行使し、仕事をする。そうやってエネルギーを消費したり、この神の世界に還元することで、神の世界は維持されている。……つまり、君も立派な労働力ってわけだ!」
どこか事務的な響きを持たせて、少し冗談めかして笑う彼女。
話の全てが非現実的で、受け入れがたいものがある。それでも記憶喪失な今の自分には、何をしたらいいのかもわからない。
「僕も最初からここまでのことを知ってたんじゃないよ。色々自分で調べたんだ。当代の伊弉冉尊にも会ったしね。まぁこんなこと言っても、神云々の説得力はないか、実際、僕たちは人間の形をしていて、こうやって言葉も交わせている。いたって普通の人だもんね」
こちらの様子を察して、気を使ってくれたのか、彼女はそう言った。
「あ、もっと手っ取り早く信じてもらえる方法あったじゃん!」
急に元気を出した彼女は、いきなり宙に浮いた。
「これでさっきまでの話を信じるには十分じゃないかな? って、おーい? 今まで話は事と比べたら、別に大したことでもないだろう?」
「……」
「まぁいいか。でもこれで分かってもらえたかな? 本当のことだって」
「えぇ……いましたことって、俺でもできるんですか?」
「勿論」
胸が高鳴る。ぞわぞわと、恐怖にも似た好奇心がそうさせてくる。
「教えてください!」
少し高くなった声音に、自分でも興奮していることがよくわかった。
「そうだね。親睦もかねて手ほどきしようか。より実践的な方がいいよね……よし。人間界で飛行の練習をして、そのまま一緒に死の神の仕事に行こう」
彼女はそう言うと、くるりと体を回して、目の前の虚空に手をかざした。
次の瞬間、彼女の正面に光り輝く扉が現れた。
「異世界に来たしたみたいだ……」
「人間では不可能なことをしているし、ここ自体神の世界だから、その例えは間違いないかもね」