8話:古き吸血鬼
「大聖堂の改装にかこつけ、歴史ある十字を鋳潰した特注の銃弾の味はどうだ?」
吸血鬼狩りは銃弾を撃ち尽くした回転式拳銃を投げ捨て、新たな銃を手にする。
テオフィルは口元から溢れてきた血を袖でぬぐい、床に唾して言った。
「周囲を巻き込む屑共め」
「吸血鬼を狩る尊い犠牲だ!」
銃口が天井に向けられた。銃声と共に瓶が砕ける音。天井から水と陶器の破片が降り注ぐ。
聖水だ。テオフィルは横に跳ぶ。十を超える銃弾を受け、なお人が見失うほどの速度。
だが雨を全ては避けられないように、彼の身に降り注いだ聖水が彼の身を焼く。
後方からもう一人の男が銃弾を放つ。テオフィルは左腕を蝙蝠の群れと化した。銃弾を彼らに受けさせることで、自らの身を護る。
そして正面の男は剣を片手に駆け寄った。
振り下ろされる剣を鉤爪と化した右手で受ける。互いに人間ではあり得ない膂力。力を込めた彼の全身から血が噴き出る。
だが死に瀕してなお、彼の異能は卓越していた。
彼の脚が膨れ上がったかと思うと、それは灰色の塊となって離れた。それは灰色の毛並みの巨大なる狼。
ーーガルルルル。
狼は唸り声を上げると、後方にいて銃を持ち替えようとしていた男へと襲いかかる。
牙を剥き出しに飛びかかる灰狼。男も素早い動きで銃を構え直し、その喉元に銃口を向けようとして、その動きが止まった。
狂乱の邪眼。
テオフィルの瞳が紅に輝き、その動きを一瞬止めたのだ。
狼は銃を構えた腕に喰らい付くと、抵抗もできない男を机の後ろから引き摺り出し、振り回すように床に薙ぎ倒した。
骨が折れ、肉が裂ける音。狼は男の首に噛み付いてとどめを刺さんとして……、そこで掻き消えた。
テオフィルが床に崩れ落ちたのだ。
混血児の男は彼に剣を突きつけて言う。
「銃弾を、聖水をあれだけ受けて異能を使えば当然だな」
違う。テオフィルはそう思う。そもそも血をろくに啜っていないからである。戦う前から存在が尽きかけていたのだ。
男は続ける。
「こんな辺鄙な場所へと逃げ込みやがって。
まあお前を殺したら次はあのガブリエラという娘を殺しておさらばだ」
「……なぜだ。彼女は人間だ」
「おいおい、そんなの吸血鬼と共に生きてた人間なんて殺した方が良いに決まってるだろう?」
テオフィルは吸血鬼狩りの男を見上げる。
琥珀色の、魔眼を発動しているわけでもない瞳に、男は気圧された。
「であれば、わたしはお前たちを殺さねばならん」
「は!そのなりでか!それに俺たちを殺そうが無駄だ。俺を殺しても吸血鬼狩りの一族はどこまでもお前を追うさ」
テオフィルはよろよろと立ち上がると自らの身体を見下ろす。巨大な血溜まりの上に立っているような有り様であった。
「わたしはどうせここで滅びる。だが彼女を狙うのは許さぬ」
静謐なる声。死の淵にあって震えることもなく淡々と放たれた言葉に、吸血鬼狩りの身体が震え、虚勢をはるように叫び声をあげる。
「お前だけではない!お前の血族も、あの娘にも安住の地などない!教会は、吸血鬼狩りはお前たちの存在を許さない!」
テオフィルは溜息をついた。
彼の血族で唯一の生き残りであるプリスカを想う。彼女はかつて自身の庇護下にあったが、もう200歳になる。もはやテオフィルとは関係なく血の螺旋の中にいるし、かかる火の粉を払うのは彼女自身の責任であろう。
この数ヶ月を共に過ごしたガブリエラを想う。彼女には罪はない。憎しみの、血の螺旋に囚われてはいない。
であれば。
滅びの前に螺旋を全て断とう。彼にはそれができるのだから。
「そうか……殺し合いの螺旋を続けようとするのか」
「はははっ!呪われたる吸血鬼どもに災あれ!」
テオフィルは両手を握り合わせて目を閉じる。彼がこの姿勢を取るのは彼が人間であった600年前以来のことであった。
「天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。彼らが人に赦す如く、彼らの罪を赦し給え。彼らを試みに引き給わざれ、彼らを悪より救い給え。
アーメン」
彼が祈りの言葉を放つ度に彼の口は身体は焼け爛れる。
「……何をバカな真似を?慈悲を乞うのか?」
剣を構えた男は、油断なく目の前の吸血鬼の身が焼けていくのを見つめた。
テオフィルが手を伸ばすと影が伸び、闇が凝ったような一振りの剣が浮かび上がった。
「お前たちが死後救われるよう、せめてわたしだけでも祈っておいただけさ」
テオフィルは満身創痍のなか剣を振るう。その風切り音はまるで世界が軋み、悲鳴をあげた如くであった。
「な……なんだそれは」
「……魔剣・親族殺し。そしてこれは最も忌むべき我が字でもある」
吸血鬼狩りもまた剣を構え、テオフィルは無造作に剣を振る。剣は互いの身体を断った。
テオフィルの身体から鮮血が舞う。だが身を断たれた筈の吸血鬼狩りの男は何の衝撃も感じなかった。明らかに身体が両断される軌跡であったのに。
テオフィルは呟く。
「今、お前の両親と子が死んだ」
「は?」
テオフィルは答えず再び剣を振る。男は彼と剣を受けるよう打ち合わせようとし、それは互いをすり抜けた。テオフィルの身体からは鮮血が舞い、そして吸血鬼狩りの男の身体は傷つかない。
ごろり、と音がした。
先程狼に引きずり倒された男の首が床に落ちた。
「今、お前の兄弟姉妹が死んだ」
「あ、悪魔め!」
「そうだ。なぜ教会が平穏に生きているわたしを殺したがっていると思う。“親族殺し”の力を恐れていたからだ」