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4話・吸血

本日も3話更新です!

親愛なる(ディア)プリスカ


 若き我が血脈、レディ月の君(・ハンガームーン)よ。

 君も知っての通りシスルの国の我が住まいは、浅ましき狩人共に焼かれ失われた。

 血の知らせが伝わったかと思うが、私は多少の傷を負ったものの無事だ。

 ただ、彼の地に住まい続けることはできなくなった。


 人間の作った汽車なる黒き塊に乗って南へ。薔薇ローズの国の首都、霧の都を目指したが、あちらに悪名高き”娼婦フッカー殺し(キラー)”が移住したと耳にした。今はまだ大人しいがいずれ騒ぎを起こすであろう。

 よって騒ぎは避けて西へ向かっている。ドラゴンの国の片田舎でも目指すことにした。


 落ち着いたらまた連絡しよう。

 君の父にして友、テオフィルより。


追伸(P.S.)

 そういえばなにやら人間の子を拾うこととなった。

 小汚い浮浪児であったが、そうらしからぬ理性的な子で薄明色の瞳をしているよ。』





 夜、旅の宿でテオフィルが手紙をしたためていると、ベッドで少女がみじろぎし、身を起こした。


「天使さま?」


 テオフィルの整えられた銀の髪は洋燈ランプの灯りを受けて鈍く輝く。

 頭頂に光輝の輪(エンジェル・リング)でも見えたのか。


「天使ではない」


 憮然とした声が答えた。


「テオフィルさま」


「早く眠れ、明日も移動だ」


 汽車を乗り継ぎ西へと向かい、辿り着いたのは火竜を旗に掲げる竜の国だった。

 テオフィルの記憶によれば、山がちの国土と貧しき土壌により農作物の育ちは悪く、古くより牧畜を主産業としている国であるが、その民は愛国心に溢れ、兵は精強であったと。

 だがそれは何年前のことであったか。彼が知る頃より、ずいぶんとこの地方は発展していた。


 立ち寄った飯屋で彼はガブリエラに飯を食べさせる。ライ麦のパンを千切っては、西洋ネギ(リーキ)のスープに浸し、せっせと口に運んでいる。

 拾ってすぐは食も細かったが、最近はよく食べるようになった。さすがにまだ身体はガリガリのままではあるが。先日買ってやった服はぶかぶかである。袖口から覗く腕の細さが、襟から覗く鎖骨が痛々しい。

 そう思いつつテオフィル自身はワインを嗜む。薄い酒だ。碌に香りもしないが、飯屋で何も注文しない訳にもいかぬ。


「女給よ、この辺りはいつも騒がしいか?」


 夕暮れ時の店は、いやこの街全体は坑夫やら運送夫、それを相手にする商売人たちでごった返していた。

 忙しそうにテーブルとテーブルの間をくるくるとまわっていた女給の少女は、テオフィルの顔を見て頬を赤らめて答える。

 看板娘といったところか。麦酒のジョッキを片手に料理の乗った皿をもう片方の手に。小麦色の髪を後頭部で束ねたものが尻尾のように揺れ、うなじを晒す。


「あ、あたしが生まれた頃からこんな感じです!で、でもお父さんやお母さんが小さかった頃はもっと静かで人が少なかったって言ってました!」


「もっと静かなところと思っていたのだがな」


「炭鉱町になっちゃいましたからね。鉄道で東に石炭を輸送してるんですよ」


 ふむ、と頷く。

 確かに東へ向かう貨物列車が長く列をなすのは彼も見ていた。


「あ、でもうちの国のこのあたりの海沿いはどこも似たようなものですけど、山越えると昔と変わらない景色が広がってるって聞きますよ。

 お貴族様と違って、あたしは旅行なんて行ったことないんですけどね」


 そう言って女給は笑った。聞くと竜の国の北西は羊を追うような古き生活を維持している様子だ。

 ガブリエラがスプーンを置く。


「おいしいしょくじをありがとうございました!」


「はーい、どうもねー」


「……全部食べたな」


「はい!」


 少女はどことなく自慢げな表情を見せた。テオフィルは彼女の頭に手を置いた。


「女給よ、明日の昼用の弁当を作るよう店主に頼んでおいてくれ、朝食の時に受け取れるように」


 男はそう言いながら、他の客からは見えないように心付けを握らせた。

 手元に覗くのはタペンス貨、心付けにしては明らかに多い。テオフィルは驚き顔の女給の耳元で囁いた。彼女は顔を赤らめる。


 その夜である。日没後も酔客たちによって繁盛していた店も閉まり、宿ではガブリエラが深い眠りに落ちた後。

 店の裏口の扉がそっと開けられた。洋燈を手に音を忍ばせて中から出てくるのは、まだエプロンをつけたままの女給の姿。

 先ほど、テオフィルに耳打ちされた言葉を思い出す。


ーー今夜、月が昇りだす頃に店の裏口で逢いたい。


 下弦の月が東の地平線から昇り始めたばかりの闇夜。洋燈の光はまるで闇の中に吸い込まれていくよう。

 こんな逢引きの誘いなど山ほど受けてきた。もちろんそんなものは全て笑っていなしてきたが、今日ここにいるのは、女の心中にあの貴族然とした男にある種の期待があったからに他ならない。


「良い夜だな」


 男の声がした。驚きに声が出そうになる。

 闇の中から、か細き洋燈の光の中へと入ってくる男。灯りも持たずにどうやって外を歩いてきたのかと疑問に思った途端、彼女の意識に幕がかかった。


 魅了の魔眼。テオフィルの眼が闇の中に紅く輝くと、女給の眼が焦点を失う。

 テオフィルは跪き、彼女の水荒れした手を貴族令嬢のそれであるかのように恭しく持ち上げる。女の頬が染まる。

 テオフィルは彼女の手首をそっと撫で、そして爪を走らせた。

 舞い散る鮮血。


「んっ」


 女の唇から痛みによるものではない声が漏れる。

 動脈を切ったにも関わらず、その出血は即座に止まる。そしてテオフィルの端正な顔が女の手に近づいたかと思うと、薄い唇の間から舌が伸び、ざらりと彼女の手首を舐めた。


「あっ……」


 女の喉から上気した声が漏れる。男の舌が女の手首をなぞるたびに幾度も。

 そうして血を完全に舐めとって立ち上がると、潤んだ女の瞳を覗き込んで言った。


「今夜のことは忘れよ。そして暖かくして眠るがいい」


「……はい」


 テオフィルの身体は霞のようにその場から掻き消え、しばらくぼうっとしていた彼女はくしゃみをしてから首を傾げ部屋へと戻った。

 そして翌朝、テオフィルとガブリエラは旅立っていった。

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