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3話:連れ込み宿にて・2

「テオフィルさま」


「様はいらん、それより食事をとりなさい」


 少女の瞳が粥に止まった。身を起こす。


「食べて、いいの……ですか?」


 男は頷いた。

 少女はベッドに腰掛けるようににじり寄ると頭を垂れ、手を組んだ。


「父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。

 ここに用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。

 わたしたちの主……」


 バンッ。


 男の手によって机が叩かれ、祈りが中断された。


 この食事を用意したのは神ではない。そう言おうとして言い換えた。


「……倒れていたのだ。早く食べろ」


「は、はい」


 少女は慌てて匙を取った。


 最初の匙を口に運ぶまでは怯えるような瞳でちらちらとテオフィルを見上げていた少女であったが、匙を口に含むと目を輝かせ、慌てて食べ出した。


 男からすればさして美味そうな粥にも見えないが、孤児の彼女にとっては充分にご馳走であろう。

 半分くらい食べたところで彼女はテオフィルを見上げると言った。


「テオフィルさん、は食べないのですか?」


「ああ、食事は先程すませた。気にせず食べなさい」


 途中、慌てすぎてせたりもしていたが、彼女はきれいにたいらげた。


「主よ……」


 少女は食後の祈りを捧げようとし、やめた。食前の祈りを止められたのを思い出したからだ。


「テオフィルさん、おいしいしょくじをありがとうございました」


「ああ」


 テオフィルはガブリエラの手元の皿を回収すると入り口の脇へと置いた。

 少女はじっと彼のその動きを見つめる。


「あ、あの……」


「なんだ」


 俯いてもじもじと言う。


「わたしを、抱かれるのですか?」


「……なぜそう思った」


「こ、ここはそういうお宿ですから」


 ガブリエラはそう言うとぶかぶかの薄汚れた服を脱ぎ捨て、肉のない裸身を晒した。

 浮浪児たちだ。それで金を得るものも周りにいるのだろう。


「あ、あの……はじめて……なので……」


「ふん、肋骨に興味はないな。だが脱いだならちょうど良い」


 テオフィルは鼻で笑うと、彼女の身体を持ち上げて小脇に抱えて盥の中へと放り込んだ。きゃあと小さな悲鳴が上がる。

 彼女の顔にタオルを突き付けて言った。


「良く洗え」


 炭鉱が近い町ゆえか、煤に汚れた髪。そして泥に汚れた手脚。彼女は桶の中で手を擦り合わせるとボロボロと乾いた泥が剥がれ落ちる。

 だが爪の間の泥はなかなか落ちない。


 テオフィルは自らのトランクから石鹸を取り出すと彼女に渡す。


「使うといい」


 ガブリエラは石鹸を受け取って首を傾げた。

 ひょっとして石鹸が分からんのか。彼は袖を捲ると渡した石鹸を手にし、湯で擦り合わせる。


「あわ……」


 彼の手が白い泡まみれになるのをガブリエラは目を輝かせて見ていた。


「……目を瞑っていろ」


 ごわごわとした灰色の髪にテオフィルの指が差し込まれた。


「ひゃっ」


 ガブリエラはその指に冷たさを感じて小さく悲鳴を上げた。


 湯はどす黒く染まり、彼は途中で下男に替えの湯を要求し、窓から黒い湯を投げ捨てた。

 下男は喜び勇んで湯を運ぶ。テオフィルにとっては小銭のような心づけ(チップ)であっても、下男にとってはかなりの金だからだ。


「髪の毛は灰色じゃなくて綺麗な金じゃあないか」


 髪をタオルで拭ってやると、彼女の身体から立ち昇る匂いが鼻腔をくすぐった。それは平民の臭気でもなく、貴人のやりすぎた香水パルファムの香気でもない。

 純粋なる生娘の匂いである。


 むくり、と彼の奥底で夜の一族としての本能が頭をもたげるのを感じた。

 それは人間で言えば食欲と性欲を足し合わせたようなものだ。彼女の首筋に牙を突き立て、その血を啜り尽くしたいという欲望。


 彼が先日、傷をつけられているのも理由だろう。

 その時攻めてきた人間共の血も飲んだが、まだ傷が残っているくらいだ。血が足りてはいない。


 まあ、とは言え貧相な小娘だ。幼く、痩せこけている。


 彼女が振り向いた。

 髪を拭う彼の手が止まったせいか。


 薄明色の瞳がきょとんと彼を見上げる。


「どうした」


「お牙……」


 ガブリエラの指摘にテオフィルは口元を撫でる。吸血衝動で牙が伸びていたか。

 少女は自分が浸かっている盥の水を眺めて言った。


「お水にもうつらない……」


 水に映っているのは少女の顔と裸身のみだ。人ならざる彼の身体は影を作らず、鏡や水にも映らない。


「天使さまじゃなくて……悪魔さんなのですか?」


「いや、夜の一族。お前たちの言う吸血鬼だ。どうするね?」


 夜の一族、そは神より見放された一族。

 老いという概念を持たず、その体躯からはあり得ぬほどの怪力に、魔眼などの超常的能力。

 一方で生者の血や生気を啜らねば活動ができず、光に、聖句・聖遺物に身を焼かれる。さらには流れ水を渡れぬなどの数多の呪いに行動を妨げられるのだ。

 人は彼らを忌み嫌ってきた。


 ガブリエラは小首を傾げた。


「はい」


 どうやら首筋を差し出しているらしい。牙を突き立てろと。

 テオフィルは彼女の頭にタオルをのせると、首の位置を戻してわしわしと水気を吸わせた。


「先ほども言ったがガリガリの肋骨に興味はない」


 テオフィルは今日のこの行為を気まぐれの施しと思っていた。だがガブリエラはそうは捉えなかった。かつて読み聞かせて貰った童話フェアリーテイルにあるように、太ってからこの身を美味しく食べてもらわないと、と思ったのだ。


 こうして、少女は男について行こうと決めた。旅の道連れが増えた。

ではまた明日ー。

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― 新着の感想 ―
[一言] 既にせつない
[一言] 入浴キターーー!!!!(大歓喜) 健全に身体を洗っただけだから、セフセフ( ˘ω˘ )
[良い点] 『太ってからこの身を美味しく食べてもらわないと』 健気ないい子! 火に飛び込むうさぎのように!
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