1話:駅
一日3話更新で3日間で完結する予定、文字数は2万字程度です。
応援よろしくおねがいします。
「この話は古き夜の一族、いわゆる吸血鬼の物語。
物語の主人公は最後に死んでしまうものよ。
苦い終わりに文句を言うなら話はここまで。お帰りなさい」
ーー薄明の君
車掌は汽車のコンパートメントの中、茫洋と外を眺める男を見た時、ざわりとしたものを感じた。
今は昼間だが、夜霧に包まれたかのような寒気に襲われたのだ。
「切符を拝見します」
職務通りに声をかけるも返答はない。
美しい男だった。無造作に伸ばされた白銀の髪はシルクハットの下に押し込まれ、白皙の美貌と言っても良い端正な顔立ち、血色の薄い唇、琥珀の瞳。
だがなぜか不気味さを感じるのであった。
個室まで入れば、それは隠しきれない血臭であると感じたかもしれない。
「お客さま?」
何度か声をかけ、やっと気づいたかのように車掌を見る。
「ああ、すまん」
懐から切符が出た。
それを確認するときに互いの手が触れる。手袋越しではあったが、それはなぜかぞっとするほど冷たさを感じるものであった。
「お客さま、どちらから?」
「……わからん。流れ、流れてきた」
「どちらまで?」
薊の国から南へ、薔薇の国へと向かう汽車の中。切符には終点の駅名が書かれていた。
「わからん。次の故郷はどこか、そこはいつまでわたしを許してくれるか……」
……気でも触れているのか。車掌は会話を諦めた。
とは言え、貴族のような身なりだ。礼を失する訳にはいかない。
「……良い旅を」
そう言ってコンパートメントを後にした。
駅。
汽車が蒸気を噴出しながら停車するよりも前から、窓越しに物売りの少年少女たちが群がる。
「旦那さま!新聞はいかがですか!」「ホットドッグ買っていただけませんか?」「旦那さま!」
男はシルクハットを目深に被って寝たふりをしていたが、少年たちはどんどんと窓を乱暴に叩き、声を張り上げて何とか物を買ってもらおうとするのであった。
「……五月蝿い」
頭を座席から上げ、帽子を僅かに上げて彼らを睨む。彼の瞳の赤みを帯びた琥珀が鮮血を思わせる緋色に染まった。
ーー狂乱の魔眼。
彼の力の一端をごく弱く発動させる。少年たちが悲鳴を上げて散り散りに逃げていった。
だが1人の少女がその場に残っていた。
小さく、痩せこけ、薄汚れた、食いでの無さそうな少女。
誰かの後ろにいて魔眼を見る位置にいなかったのか。男は魔眼をもう一度発動させようとして思いとどまる。
まあ、不調法に窓を叩くような気力のあるようにも見えない。放っておくかと帽子を被り直して座りなおそうとした時、彼女の口が動いた。
窓越しの呟きだ。人間なら聞こえないだろう。だが彼の耳にははっきりと届いたのであった。
「天使さま……?」
身の毛がよだった。
じっとこちらを見つめる藍玉の瞳。光の当たり方によって透明にも深い青にも見えるそれは、薄明の空が僅かな間にその色を変えるのにも似ていた。
「申し訳ありません、お客様がた!」
背後で車掌が声を張り上げた。
「先日の大雨でこの先の区間の軌条が傾いてしまっており……」
今こそ雨は止んでいるが、長く続いた雨の影響で軌条の下の土砂が流れてしまったらしい。
復旧には数日かかりそうとのことだ。
日差しを嫌う彼は、雨続きを選んで移動していたが、それが裏目にでてしまったようだった。
汽車というものを発明した人間たちは、この国の大地に鉄を敷き、その上を大きな音と煙を吐き出しながら走るようになった。
まあ、まだほんの数十年の技術だ。こうしてトラブルも多い。
客車が俄に騒がしくなる。
車掌に詰め寄る者、いち早く宿を取ろうと動く者。
トランクを片手にホームへとおりる。
少女はその場から動かず、じっと男を見上げていた。
「天使さま」
「……わたしはそのようなものではない」
男は不機嫌を露わに告げる。
「じゃあ、お名前は?」
「少女よ、お前に名乗ってどうなると言うのだ」
「わたしはガブリエラ」
天使の名を冠しているのはお前の方ではないのか。男はため息をつく。
ぐー…………、と腹の鳴る音が響いた。
「少女よ、食事は?」
「ガブリエラ。きのうのあさ、おいもをたべました」
再び男はため息をつく。かような娘など無視して歩けば良かったと。
「何を売っているのだ」
「おはな」
道端で摘んだのであろう、素朴な色合いの見窄らしい草花が彼女の足元に置かれた籠につまれている。
売れるはずもあるまい。そもそも仮に美しい花であったとて、鉄道に乗る旅人に売れようか。買っていくとしてそれは施しも同然であろう。
「……いくらだ」
少女の目が大きく開き、その瞳が明るく輝いた。
「いっぽん、よんぶんのいちファージングです!」
それでは売れたとて何も食べられやせぬだろうに。
彼が懐に手を入れて財布を取り出そうとしたとき、足元でどさりと音がした。
少女が倒れたのだ。
男は三度ため息をついた。
男は籠を拾うと、花を無造作に手にする。彼が手にした花。その茎がみるみると萎れ、花は色を失い、萎れ、枯れて、塵と化す。全ての花を塵とした時、彼の整ってはいるが生気の薄い顔は僅かに血色を取り戻していた。
「花の対価は支払わねばな」
誰ともなく呟いた言葉はどこか言い訳じみていた。
男は屈みこむと、薄汚い少女を抱きかかえ、口元に手を当てた。息はある。病気でもあるまいが羽根のように軽い。飢えと疲労であろう。彼は少女を抱えたまま駅を後にした。