第十六話 憎しみの物語
「あたしと一緒に行こう。」
あたしは、本気だった。
海の魔女。それが今のあたしの名前。でもあたしにも、ちゃんとした名前があった。
サワ。それがあたしの本当の名前だった。
でもあの日、あたしはその名を捨てた。
そうあの日、アトランティスはあたしとあたしの恋人を助けてはくれなかった。
人魚の血には人間の命を長らえる効果があった。そんなもの、あたし達は伝説だと思っていた。
でも違った。
人間は、ある日突然やってきた。あたし達の海に。
「お前等半魚人の血が我らの命を長らえると聞いてやって来た。さぁ半魚人よ、大人しくその血を我らに差し出せ。さすれば、命だけは助けやる。」
船の上からあたし達に呼びかける、船長と呼ばれている人間。
あたし達はもちろん、海から顔を出すことはなかった。
「サワ、大丈夫。僕がついてる。」
そう言って、あたしの隣で笑っていてくれる。あたしの唯一愛した男の人。
名前は、ラン。
「サワ。大丈夫。海の中は絶対に安全だから。」
ランはそう言って怯えるあたしをそっと抱きしめてくれた。
「うん・・・。」
あたしは素直に大人しくランの腕の中にいた。
それが、痛いほど幸せだった。
「半魚人よ。我等に血をよこす気はないというのだな?」
でも、運命の日。
人間は、あたし達の海に攻撃をしかけてきた。
普通の槍ではなく、水中で扱える特別な槍を造り、あたし達人魚を片っ端から狩っていった。
「待て!」
それに立ち向かったのは、他でもないランだった。
「僕の血を飲めばいい!こんなに僕たちを捕らえても、僕一人だけで数万人の命は長らえる!」
「ラン!」
あたしは、何もすることができなかった。
ただ、ひたすら願うことしか。
海面から顔を出して、ランは船長に向かって言った。
「ほう・・。」
船長は、特別製の槍を手にし、不気味な笑みを浮かべていた。
「では、お前ではなく・・その隣にいる半魚人をよこせ。」
隣にいる半魚人。それは間違いなく、あたしのことだった。
「なぜっ」
「男の半魚人にはその力がないと聞いた。だから、女の半魚人をよこせ。」
槍を構え、船長は恐ろしい顔であたしを睨みつけている。
「男の人魚でも、その血の効果は変わらない!」
ランも、必死で抵抗した。
「お前は、黙っていろ!」
船長は、槍を海にいるランに向かって投げた。
その槍は、まっすぐにランの心臓に向かって降ってくる。
「なっ・・」
そして槍は、ランの心臓を貫通した。
「―・・・!?」
あたしは、放心状態になった。
「・・え?」
瞬間、サワが覚醒する。
「さぁ、女の半魚人よ。我等のもとに・・・」
船長が言いかけた、その時だった。
「ふざけるな。」
背筋が凍る、声で言った。
あたしはもう止められない。全て壊す。
海が荒れる。波が船を襲う。
「お前等に、生きる価値などない。」
風が、雨が、雷が、波が、海が、あたしの意志と連なって動く。
これが、人魚の力。
「許さない。」
雷が落ちる。瞬間、浮かんでいた船に火がつく。
「火事だぁ!」
「海に飛び込め!」
船員たちが叫ぶ。
何人かの人間が海に飛び込む。
でも、海の中では生き残っている人魚達が投げられた槍を持って構えている。
その後は、まるで地獄のような光景だった。
「半魚人め・・・」
船長は、最後まであたしを睨みつけていた。
でもあたしは、あいつが燃え尽きるまでずっとあいつを睨んでいた。
「消えろ・・消えろ消えろっ・・!海も、陸も!」
その日から、あたしはサワではなく
海の魔女になった。