妃の指輪
広場から離れた場所にある小さなトンネル内で、御者は子どもたちに食事を与えていた。固そうなパンと飲み物を皆無言で食べ続けている。
家に帰れば暖かいご飯を用意してくれる家族がいるのに、何ゆえこんな薄暗い穴蔵に連れて来られ、あの貴族の私腹を肥やすために危険なタバンガイ茸を収穫させられているのか。
彼らの姿を見たベガが怒りで震えながら腰の剣に手をかけているところへ、
「さっきはごめんね。周りをよく見ないで。それよりお姉さん、大丈夫?」
とその無垢な青い瞳で覗き込むようにヒロが見つめてきて、手の上にそっと自分の手を重ねた。
すると、何かに心が突き動かされるかのように震え、彼の瞳から目が離せなくなってしまう。やがて不思議な現象が起きた。徐々に心の怒りが鎮まってきたのだ。
そ、か……。
どうして、この澄んだ瞳に引き込まれてしまうのかわかった。
この子は体が成長しても、生まれたままの赤子の目をしているんだ。
だからその無垢な瞳で見つめられると人を癒す力があるのか。
なんてこと。まったく予想もつかない未知の力。
もしかすると、戦争を繰り返しているこの大陸に必要なのは高い軍事力ではなく、彼のような能力なのかもしれない……。
あの時、ミッカ様に抱かれて、私があやしていたかもしれない赤ちゃんの目。
ベガはゆっくりとヒロの方へ手を伸ばしていく。
そして頬に手を当てようとするのを、カイとヒロは驚いた表情で彼女のことを見ている。
「あなた……、もしかして?」
「えっ!?」
ヒロが驚いて声を出した時、子どもたちを見ていたテルウがベガの服を引っ張った。
「御者が席を外した。今なら助けられるかも!」
見ると確かに子どもたちだけが座り込んで食事をとっている。
「本当だわ! 今ならチャンスだ、行くわよ」
ベガはヒロに伸ばした手を慌てて引っ込めると、物凄い勢いで子どもたち目指して走り出した。
「助けに来たわよ、みんな! 父さんや母さんの所に帰りましょう!」
最初、子どもたちは操られているからなのか、視点の定まらない目でぼおっと床に座り込み助けに来た彼らを見ていたが、一番年上と思われる男の子が他の子に声をかけた。
「おい! 助けが来たぞ。みんな起きろ!」
テルウとヒロはそれでもなお起き上がることの出来ない子を抱き、ベガとカイは他の子を何とか起き上がらせ入口の方へと連れて行こうとした。
カイがチラッとトンネル内の支柱を見ると、小さな手回しオルガンが置いてある。
あれで、操っていたのか……。
年上の男の子がカイに向かって、
「入口だと彼らが来るかもしれない。こっちの方が近道だ。俺ら御不浄に行くときに使っていたから」と言いカイの手を引っ張る。
その子の後をついて子どもたちを脱出させようと歩き出した時、一番後ろにいたもう一人の年上の子がすぐ前を歩いていたベガを呼び止めた。
「まだ穴から出てきていない子がいるんだ、あの子も助けてあげて!」
ベガとヒロは顔を見合わせてから、
「薬屋行くわよ! イケメン、あなたたちはあの宿屋に向かいなさい。宿屋の主は話が分かるから、後でそこで落ち合いましょう!」
ベガがそう言ったので、ヒロは抱いている子を一番前で年上の男の子と歩くカイに託した。
「あっ、おい!」
カイが止めるのも聞かずに二人は広場の方へと走り去ってしまう。
何か少し違和感を覚えたが、託された子が虚ろな目で、ぼんやりとカイを見つめてくるので、子どもたちの救出を最優先すべきだと近道の方へと走った。
縄梯子は御者しか持っていない。そして別の場所からいつ戻ってきてもおかしくない。
ベガとヒロは広場が見渡せる少し高い位置から腰を屈めて、子どもが残されているという穴を監視していたが、なかなか御者は姿を現さなかった。
「さっき、俺の頬に手を伸ばして、何を言おうとしたの?」
彼女の意味深な行動が気になっていたのか、ヒロが小さな声で問いかける。
ベガはもうここまで来たら隠すことは出来ないと心を決めた。
「………救えなかった赤子がいたって話したわよね。その子はあなたみたいなふわふわした黒髪の青い瞳をした赤子だった。そして教え導くという意味の名を持ち、国の期待を一身に背負って生まれてきたの」
「国の期待?」
驚きを隠せない表情でヒロは彼女の方を見たが、ベガは優しい表情を浮かべて、先程の続きのように彼の頬に手を当てた。
「あなたの本当の名前を教えて……、薬屋?」
頬に当てられた手の温もりを感じ、少し戸惑いながらもヒロは誠意をこめて答えた。
「俺の本当の名前はヒロ。育ててくれた養父からは教え導く意味だって聞かされていた」
「何か証明するものはないの?」
証明と言われても、ダリルモアからは名前と意味しか教えてもらっていない。
何か他に手がかりになるような事がないかと考えていた時、あの嵐の前日の出来事を思い出した。
(もうお前も十二歳だ。大事なことを話さないといけない)
そう言って、紐に指輪を通して首にかけてくれた。
大事なこととは何だろうってずっと心に引っ掛かっていたが、結局あの後、金髪の子どもが現れ、両親たちは行方不明になってしまい聞きそびれてしまったのだ。
あ! そうだ、指輪!
首元から手を入れ、紐でいつも首にかけている、ダリルモアから貰った指輪をベガに見せた。
縁に四角の模様が連なる金色の指輪。
急いで指輪の内側を注意深く見てみると、そこにはパシャレモの国章である狼が見事な細工で彫り込まれていた。
後妻となった年若いミッカが、妃として国王と唯一、繋がっているものだと肌身離さず身につけていた指輪。
大人になった今だからこそ理解できる。
周囲から世継ぎを切望され、孤独な闘いを強いられてきた中で、彼女自身がどれほど胸を撫で下ろしたことか。
そして時折しか顔を見せない国王と繋がっていたいと心から願い、その反動でどんなにこの赤子に愛情を注いでいたのか。
(ねえ、見てベガ。ヒロが私を見て笑ったわ)
(ミッカ様、赤ちゃんは誰でも反射的に笑いますよ)
震えながらもう一つの手も伸ばし、そして彼の白い頭巾を外し、両手を背中に回してベガは力いっぱい抱きしめた。
あの時、ミッカがいつもギュウっと抱きしめていたように。
「……ああ、神よ。私はあなたを知っている。そのふわふわした黒髪も、そして青い瞳も。ミッカ様、あなたが命をかけて愛した赤子、ついに見つけ出しました」