願い
身分の差が二人の間に重く立ちはだかり、フォスタで涙ながらの別れを余儀なくされた。だが、カルオロン城へと戻ったユイナを待ち受けていたのは、彼女に課せられた女帝としての重責であり、その責務は否応なく彼女を次なる試練へと導いていた。
頭脳明晰な兄には遠く及ばず、さらに彼女を支える有能な宰相もいない。側近たちは国中から貴族を集め、宰相候補として名だたる者を揃えたものの、ユイナは誰一人として認めようとはしなかった。
そして彼女は静かに口を開き、こう告げた。
「公私にわたり私を傍らで支え、共に歩む者は、ただ一人。パシャレモの宰相補佐カイをここへ呼び寄せてほしい」と。
スピガのような特殊な能力を持たない、平民出身の宰相など、果たして誰が認めるだろうか。国の将来を危惧する声が囁かれる中で、ユイナはひとつの条件を側近たちに提示した。
「もし彼が宰相としてその名を世に轟かせることができた暁には、彼を皇配として認めてほしい」
この時ばかりは、アラミスもさすがに悔恨の念に苛まれた。
何しろ、ヒロの相手としてこれ以上ないほど相応しい淑女が、すぐ手の届くところにいたのだ。しかも、その淑女に下働きまでさせていたとは、無礼千万も甚だしい。
こうしてカイは、ユイナの皇配と認められるよう、宰相としての務めにひたむきに没頭する日々を送ることとなったのである。
二人の関係は、側近や民から正式に認められたものではない。
しかし、こうして二人きりで執務室にいるひとときだけは、誰の目も気にすることなく、ひそやかに恋人同士の情を交わすことができる。
カイは深く椅子にもたれかかるユイナの手を静かに引き寄せる。彼女の体はその包容の中で穏やかに収まりつつ、瞳は遠く何かを思い出したかのように、どこか翳りが宿っていた。
「……あの日、兄様は最後に私に瞳を返し、そして、あの人には自らの心臓を捧げた。
兄様とあの人は精神の絆で繋がり、お互いを支え合う存在だった。兄様は己の内に巣食う怪物に恐れを抱きながらも、彼女の支えのもとに立ち続けていたの。そして、苦しみに苛まれる兄様をどうにかして救いたいと願ったのは、ジェシーアンだった。だから怪物に呑み込まれてしまった兄様を彼女が……。ある意味、彼女は怪物の脅威から兄様やこの大陸を救ったとも言えるわね」
カイは哀しみに沈むユイナの頭をそっと寄せ、彼女の苦悩を共に抱きしめた。
崩御したシュウと、将軍であったジェシーアン。
その名はカルオロン城の歴代皇帝陵に刻まれた。
二人の名はまさに一対の翼となり、最高の栄誉として天に掲げられている。
斯くして、皇帝の崩御とともに、将軍が己の終焉を迎えるという慣習は、これをもって廃止され、二度と繰り返されることはなかったのである。
「兄様は、精神と肉体、ふたつの交わりをもって、あの人の中でこれからも生き続ける。兄様はついに、真っ白な光を手にしたのだわ……」
カイの腕に力が込められると、ユイナはふと何かを思い出したようにカイの方を向き、軽やかに声を上げた。
「そういえば!! ヒロが旅立つのって、もうすぐよね? カイ、見送りに行かなくていいの?」
カイは微笑を浮かべながら首を振り、穏やかに答えた。
「行かないよ。永遠の別れというわけでもないし。それに、俺にはこちらの方が大切だから」
そして、そっとユイナの唇に優しい口づけを落とした。
ユイナは瞳を伏せ、小さくため息を漏らす。
「……でも、彼が海を渡り、旅に出ることになるなんて、二人にとって何とも哀れな話ね」
「ヒロは意外にも義理堅い男だ。命を救ってくれたラミの最後の願いを叶えたいのだろう。万能樹を探し出し、人種関係なく誰にも効く治療薬の完成を目指すためにね」
カイはどこか遠くを見るような視線を浮かべ、低く囁いた。
「あの二人なら乗り越えられるよ。絶対に………」
ユイナはカイの肩にもたれ、二人はふと窓の外に視線を向けた。
その先には、穏やかに夕暮れに染まる空が広がっており、まるでその光景がヒロの旅立ちを後押しているかのようであった。




