怨念の刃
シュウは、首を抑えながら立ち尽くしていた。そして奇妙なことに、その傷口から流れ出るのは鮮血ではなく、真っ赤な花弁が次々と噴き出していたのだ。
その花弁は瞬く間にシュウの身体を覆い尽くし、まるで彼の存在そのものを塗り替えるかのように舞い散っていく。
彼はわずかに体勢を崩し、揺らめく視界の中で、己の身に降りかかった異変の真相を悟ったのだろう。
クーが憑依したその刹那、ジェシーアンの怨念の刃が振り下ろされ、生命の布は無情にも断ち切られたのである。
結局のところ、ジェシーアンは最期に弟と家族の仇を討った。
――それは覆しようのない事実である。
彼は己に語りかける。
ああ、そうか。
ついに、これで長い苦しみから解き放たれるのだな。
……我が妹ユイナ。
これまでお前を苦しめ続けた。今こそ、この目をお前に返そう。
……そして、愛しい人には我が魂を捧げよう。
これで、共に在ることが叶う。
ついに、俺はまばゆい光を掴むことができるのだ。
すでに息絶えたジェシーアンの傍らに近寄ると、シュウは薄く笑みを浮かべ、「っふ、地獄に堕ちたとしても、余を楽しませてみせろ、ジェシーアン………」と囁きながら、彼女の上に折り重なるように倒れ込んだ。
シュウはヒロの腕の中で、動かなくなったシキを愛おしげに見つめ、彼女に触れようと腕を伸ばしながら、静かに瞼を閉じた。
次の瞬間、シュウの身体は無数の深紅の花びらに姿を変え、風に乗って空へ舞い上がると、儚く散り去っていったのだった。
ちょうどその頃、遥か北の幻島ダズリンドでも異変が起きていた。
織物工房で働く女たちは突如、ざわめき始めた。地の底より響き渡る轟音が、島全体を揺るがし、島の至る所で建造物が次々と崩壊を始める。彼女たちは逃げ場を求め、工房を飛び出すも、外ではさらに深刻な光景が広がっていた。古の遺跡も建物も、無慈悲な大地の揺れに呑み込まれ瓦礫と化していっているのだ。
混沌の中、ひとり静かに立ち尽くす女がいた。
茶色のくせ毛が美しく結い上げられたその女は、まさしくジェシーアンにおみくじを手渡したあの女である。
彼女は、崩れ去ってゆくダズリンドの姿を静かに見つめ、寂しげに呟いた。
「これでようやく、可愛い主とも永遠のお別れね………」
そして、その言葉が終わるのを待つかのように、巨大な波が全てを覆い尽くし、瞬く間に島全体がその波の中に沈み消えていった。
こうして、主であったクーを失った幻島ダズリンドは、永遠に凍てつく海から抹消されたのである。
夢か現か。
真紅の花びらが舞い散る中、動かなくなったシキを静かに抱きかかえたヒロは、何も言わずその場を去ろうとした。
人は極限の哀しみに直面したとき、まるで現実から切り離され、虚ろな足取りで雲上を漂うようになるものだなと。
そう感じながら、彼は重厚な王族専用の扉にもたれかかるように、静かにそれを押し開いた。
今はただ、彼女と二人きりになれる場所を求めて、ふらつく足取りのまま、ヒロは階段を一歩ずつ、上へと昇り始めた。
「鳥も哀れな……」
生きる意味に等しいほど愛おしい存在を失ってしまい、彼の唇から漏れたのは、まるでその痛みを凝縮したかのようなただ一言。
――それは、かつてシキと初めて出会った時、彼女が無意識に呟いたあの言葉に他ならなかった。
しばし遅れてテルウが最上階に降り立った時、王座の間は異様な空気に支配されていた。
狂気の如く舞い散る赤い花びらを目にした瞬間、テルウの胸に深い絶望が押し寄せ、彼はまるで底の見えない沼に引きずり込まれるかのように、その沼に沈み込んでいったのである。
テルウの眼前には、ジェシーアンが静かに横たわっていた。
唯一の救いだったのは、無数の花びらが舞い散り、その中で幸せそうにジェシーアンが微笑んでいることだった。
「これが、お前が選んだ道か……。良かったな、願いが叶ったんだろう? 俺に最高の思い出を残して、逝ってしまったんだな」
もっと早く駆けつけていれば。
なぜ彼女を一人で行かせてしまったのか。
すぐに人を信じてしまうこの性格が、結局のところ災いを招いたのだろうか。
だがそんな後悔は、すべて遠くへと消え去った。ジェシーアンの安らかな表情を見れば、その全てが明らかである。
テルウはそっと彼女の髪に結われた、自ら贈った紐を解き、自身の左手首へと巻きつけた。
周囲はすでに、押し寄せたカルオロン兵たちによって完全に包囲されていた。
冷ややかな鋼の鎧に身を包んだ兵士たちは、無言のまま、その鋭利な剣を頭上高く掲げ、今にもテルウに振り下ろそうとしている。
しかし、彼はその状況をまるで意に介すことなく、ただジェシーアンとの最後のひとときを静かに過ごしていたのだった。




