宿命を背負った子
それからしばらくのあいだ、懐妊した女の身の回りの世話をしながら、ダリルモアは自責の念に駆られ、セラへの未練で日に日に押し潰されそうになっていた。
何度も胸の中でこれは世を救うためだと言い聞かせる度に、彼女の顔が眼前にちらつくのである。
薬局は軌道に乗っただろうか。
若い女の独り暮らしは寂しくないだろうか。
………それとも、もう他にいい人が見つかったのだろうか。
相変わらず女は占いに没頭し、夫婦どころかまるで主君と使用人みたいな関係である。
そんなダリルモアの苦しい胸の内を見透かしたように、黒猫は常に瞳を開いて彼のことをじっとみているのだ。
それは鋭い眼力でダリルモアの行動を逐一監視しているかのようであった。
実父にも見放され、人も寄り付かない小さな池のほとりで猫と身を寄せ合って生きている予言者の女。
ある意味、可哀想な人なのかもしれない。
大陸の行く末を占ったところで、話し相手は愛猫のみ。
これも何かの縁だと思い、歩み寄ろうと努力する日々が続いていたのである。
そんなある日のこと、朝から女の様子がどうもおかしい。
朝っぱらから焚く、鼻がもげそうな強い香りもしていないのだ。
ここ数ヶ月、会話らしい会話もしていないが、昼過ぎになっても起きてこない。
そしていつもダリルモアのことを監視している黒猫もその日に限っていなかった。
仕方なく女の寝室に向かうと、扉の外で中に入れてもらえず、遠吠えのようにか細い声で黒猫が鳴いている。
「ん、どうした? 御主人様は部屋に入れてくれないのか?」
猫の頭を撫で、扉を開けたダリルモアの視界に飛び込んできたのはベッドの上で悶絶している女の姿だった。
「おっ、おい大丈夫か!?」
女に近寄ると、痛みに顔を歪めながら、物凄い力で腕を掴んでくる。
「いつから、こうなっているのだ?」
「…………あ、さ………から……」
絞り出すような呻き声を聞いたダリルモアの頭の中は一気にいろんなことが押し寄せて、情報整理が出来なくなっていた。
「もしかしたら、産気づいているのではないのか?」
返答すらまともにできない女の様子を見て、脳裏に去来したのは、もしも本当に産気づいているとしたら、通常の妊娠期間とされる十か月を大幅に下回っているのではないかと思ったのである。
この別邸に来てからというもの、自給自足で社会から完全に孤立した状況が続いていた。
折を見て、介助する産婆を連れてこようと考えていた矢先のことだった
「馬を飛ばして、村で産婆を呼んでくる!」
ダリルモアがそう言ったとき、女はダリルモアの腕をさらに強く掴んだ。
猫の爪のような長い爪が彼の腕に突き刺さり血が滲み出す。
「…………無理だ。……この近くの者たちは、気味悪がって誰もここには寄り付かない。それにもう遅い。だいぶ赤子が下りてきている……」
「では、一体どうするつもりなんだ?」
完全に落ち着きを失っているダリルモアとは対照的に、肩ではあはあと息をして女は陣痛と陣痛の間隔を計っていた。
「間隔が短いな…………。仕方がない。こうなったら、自然の摂理に従って生まれ落ちるのを待つしかないか。うっつ!!!…………」
「はあ!? 何、馬鹿な事をいう。やったことあるのか?」
「…………その黒猫はそうだった。取り上げたのも自分だ」
「猫と人間は違うだろう!!!!」
ダリルモアはあまりのストレスと疲労に、それからの記憶はすっぽりと抜け落ちている。
女にあれこれ指示され、のべつまくなしに働いたことと、赤子を傷つけないように、無意識に猫みたいな長い爪を切ってやったことだけはかろうじて覚えていた。
そうして生まれたのは、茶色の癖のかかった髪に、茶色の目の自分にそっくりの息子。
早産だったと思われるため、黒猫よりもかなり小さかった。
それとともに不思議な感覚を味わう。ほんの少し前にはいなかったものが目の前に急に現れたのである。
本当にこの子が宿命を背負った子なのだろうか。
猫よりも身体が小さく、猫より泣き声も小さい。
試しに抱いてみたが、父親としての自覚もなければ愛情すら感じない。
それどころか、真っ赤な顔をして泣く赤子をどう扱っていいのか分からないのだ。
…………そしてこれがのちに、ダリルモアの心に深い影を落としていくこととなるのである。




