侮辱
紙を持つヒロの手がプルプルと震え出す。
何がどうしてそうなったのかよくわからない。
無償の愛を注ぐ従者の最大の弱点を攻めるなんて。
しかしひとつだけ言えることがあるとすれば、メンデューサが危険を知らせるほどペンダリオンは本気だということだった。
一門の者を配備して、濃縮したタバンガイ茸を使い、いとも容易く為し遂げるかもしれない。
「ヒロ! どうするんだよ!! こんなんで求婚なんて出来るのか? それより早くキルアへ向かわないと!」
テルウに呼ばれてヒロはハッと我に返る。
キルアと聞いて一抹の不安がよぎる。
アラミスがラミの額の印について手紙をしたためた相手というのは、確かロジと面識があるというキルアの豪族の長であった。
豪族の長はどこぞの王家の血筋を引いていて、自らこそが鏡神の生まれ変わりであり、この大陸の中心を治めていると豪語する人物らしい。
つまり、豪族の長は宗教国家バミルゴを敵対視していたのである。
それと同時に、ふと岩山の仮面族の族長ロジのことが脳裡に浮かんだ。
「いや、俺たちがキルアに行ったところで根本的な解決とはならないだろう。宗教問題は予想以上に根深い。しかし東側の豪族に顔が利くロジ殿なら力添えをしてくれるかもしれない。だからここは岩山に向かおう!」
そうして、求婚どころではなくなってしまったヒロは、シキたちを救うべく、来た道を戻る形で行き先を北へと変えた。
キルアというのはデルタトロス山脈の北麓に位置し、大陸の丁度真ん中にあることから大陸の臍であるという人もいる。
豪族の長が治める地キルアでは、ある奇妙な噂が広まっていた。
それは《バミルゴによるキルアの侮辱》である。
キルアでは日増しにバミルゴや聖帝シキに対する憎悪が高まっていた。憎悪が高まるにつれキルアの結束力は高まり、ついにバミルゴの民を無実の罪で捕らえてしまった。そして聖帝シキの謝罪を要求し、それを人質との交換条件にしてきたのだ。
数日後、ヒロは仮面族の族長ロジがいる岩山を訪れていた。
すると、ヒロが訪ねて来ていることを聞き、ラミは居ても立っても居られず駆けつけてきた。
話したい事は山ほどある。
疫病の研究の事。
新しい医療器具の事。
………もしも、打ち明けてくれるなら、離縁した正妻の事。
肩の辺りで左右に束ねて垂らした黒髪を靡かせラミは嬉しそうに駆け寄ろうとするが、思わず歩みを止めてしまう。
遥か遠くを見つめる碧眼の瞳があまりにも切なげで、近寄る事さえ出来ない雰囲気だったからだ。
「ヒロ………」
ラミは悔しさをかみ殺してヒロに声をかけた。
「久しぶり」と言ってヒロは無理に笑顔を作っていたが、ラミは遥か彼方に追い求める人が今も彼の心の中にいる事を悟るのだった。
族長ロジはラミとともに岩窟の一段高い椅子に座りヒロの話をただ黙って聞いていた。
相変わらず表情の読み取りが難しく、何を考えているのかわからないが、ヒロはシキを救いたい一心でロジに協力を求めた。
「王太子、其方の事情は納得した」
ロジは杖を椅子の横に置き、さらに深く腰掛ける。
そして深く溜息をつき、「だが、いま一歩遅かった。キルアでは奇妙な噂が流れている。バミルゴがキルアを侮辱したとするものだ。キルアでは人質を取り女王陛下の謝罪を求めている」
と今の状況について知り得る事実を打ち明けた。
「噂と言うのが気になる。バミルゴの人々はもともと信仰心が高く、神を尊敬しつつ、同時に恐怖心も持っていた。だから、他民族の神を侮辱するなんてことは絶対にあり得ない。これは巧妙に仕組まれた罠なんだ!!」
ヒロの訴えを聞いていたロジはここで杖を持ちどっこいしょと立ち上がると、ゆっくりと横に座るラミのもとに向かい、彼女の傍に寄り添うように立った。
「非常に言いにくい事だが、鏡神の生まれ変わりであると豪語するキルアの豪族の長デルフィンは女性蔑視論者であり、サディストだ。戦女神を信仰するバミルゴや、女性君主である女王を殊の外毛嫌いしている彼がすんなり謝罪を受け入れるとは考えにくい。女王陛下に無体を働くことだって有り得る。………だが、私なら阻止するために手を貸すことはできるな」
「本当か、ロジ殿!?」
「但し条件付きだ、王太子。我が孫娘を妻に迎えてもらおうか。そうすれば、私の手を借りずとも豪族たちを力で捩じ伏せることができる。貴方にとっても、王族との強い結び付きを得たい我らにとっても、お互いに利益があるとは思わんかね? それにその正装姿。ちょうど良い機会ではないか!! 王が多くの妃を娶り、子孫を残すのは当たり前のことだ」




