成り上がり者
そっと蝋燭に火をつけると、部屋全体がぼんやりと明るくなった。
メンデューサは小机の上でペン先をインクに浸け、迫る危機を知らせるため急ぎ筆を走らせる。
大勢の娼婦たちや使用人を抱え、女性経営者の手腕を発揮していた頃と違い、広大なお屋敷内の静かな部屋にはカリカリという音だけが寂しく響き渡る。
やがて、背後のソファの方からギシギシと音鳴りがした。
ほとんどの場合、これは不審者の侵入であると警戒するだろう。
しかしメンデューサは胸の高鳴りが止まらない。
ようやくここまで直接足を運んで来てくれた。
長い努力が報われ、夢がついに現実のものになるのだ。
慌ててペンを置き、書きかけの手紙をティーポットの中に丸めて突っ込んだ。
「随分と舐めた真似してくれたな、メンデューサ。先回りして歴史書を奪うなんて。やり方が汚いところは昔とちっとも変わらない」
ソファに座る声の主を確認し、その場で飛び跳ねたい衝動を抑えながら、メンデューサはドレスの裾をずりずりと引き摺り歩み寄る。
そして汗と努力の結晶ともいうべき、大陸一の魅惑的な微笑を浮かべていた。
「………老けたな。二十年も経てば、当たり前のことだが」
ペンダリオンは微笑むメンデューサの方に一瞬だけ目をやってから、突き放すように冷たく言った。
「ちょっと! ちょっと! ちょっと!? 久しぶりにあった途端、いきなりそれ?? これでも一応、大陸一の美女で通っているんだけど。ここまで成り上るの、結構大変だったのよ。ちょっかい出しても貴方は全然会いにきてくれないから」
メンデューサはぷうと頬を膨らませて怒った素振りを見せた。しかしすぐに気を取り直し、いつも客にするように腕をペンダリオンの首に巻きつけて抱きつく。
「偉そうに、女の武器を引っ提げて我々の真似事をしていたに過ぎない。歴史書を渡してもらおうか。どうせ君が持っていたって解読できないだろう?」
大陸一の美女が言い寄っても、ペンダリオンは全く動じない。
何とか本気にさせたくて、メンデューサは彼と唇を重ね、「ねえ、ここで一緒に暮らしましょうよ。実績から言って私ほどの相棒はいないと思うのよね。色男と朝を迎えるほど深い仲だったあの子のことはさすがにもう吹っ切れたでしょう? それに彼、私の常客だったのよ」と軽い調子で言った。
何気ない一言だったが、ペンダリオンはその意味をいち早く察知して、メンデューサの腕を掴みにかかった。
「あいつと深い仲だっただと? しかも常客だったとは驚きだな。誰がおまえみたいな嘘つきで尻軽な女と一緒に暮らすか!」
ギリギリ腕を締め上げてくるペンダリオンを見て、メンデューサは夢見心地から覚め、浮かれっぱなしでうっかり失言をしてしまったことに気付いた。
二十年も前のことだから、完全に忘れていたが、ペンダリオンは二人が物置部屋で深い仲になったことを知らなかったのだ。
そもそも、あの二人を結びつけようと御膳立てを行ったのもメンデューサであった。
そしてそのことを皆に知らしめるために、彼を探しにきたカルオロン兵に情報を流したのだ。
まさか、あのような大惨事が起こるとは夢にも思わず、ちょっとした悪戯心だったのである。
「………そう言えばあの時、あいつが物置部屋でカルオロン兵を襲っていると、おまえは私に助けを求めにきたのだったな。あいつは精神に爆弾を抱えていて、窓のない閉鎖された空間が苦手なはずだから物置部屋には近づけるなと言われていたのに。どうもおかしいと思っていたが、おまえが一枚噛んでいたというわけだ」
(ねえリヴァ、あの子があんたを物置小屋で待っているよ)
(物置小屋? そんなの聞いたこともない。何処にあるんだ?)
(こっち、こっち。あの子、辛すぎて明日にもここを出て行っちゃうかもしれない。だから今夜は一緒に過ごしてあげて。ペンダリオンが小屋に近づかないよう、あの子、私の所にいるって言っておくからさ)
(メンドゥーサ、もう私には何も残されていない。自らが犯した過ちが彼らを不幸にし、全てをぶち壊してしまったのだ。これから私はすべてを終わらせるためにカルオロンへ向かう。彼のような生きたままの人形を、もう二度と作らせないために………)




